aikokuken-ryuji 日々の草稿

日々aikoku=愛国.音楽大好きな犬=ken@10年20年もっと後の日本に世界に平穏あれ。

外国人から見た「勤勉日本人」を通して " 利己的 " から" 利他的 " への転換の先に見る『日本人らしさ』

こんにちは🎵  aikokuken-ryujiです🐶

皆様、どのようにお過ごしでしょうか。

季節はもうすっかり秋🌰🍁🍂。朝晩は肌寒く、日中は三寒四温で、衣替えと同時に着る服にもいくらか思慮がいる時季となりました。

季節の変わり目、夏から秋➡冬に転じる時によく体調を崩しがちですよね😣

皆様、お気をつけいただき、御多幸をお祈り申し上げます。m(_ _)m
f:id:aikokuken-ryuji:20171005132659j:image

 

さて、シリーズ沖縄の連載も無事、一区切りつけさせていただき、今回のブログ内容については正直、どーしよーかなー😒  って思ってたのですがつい先日、Twitterで普段から仲良くさせていただいているフォロワーさんからのお話が、とても興味深いものがあったので今回のブログで取り上げさせていただきたいと思いました。

 

題して...「外国人から見た「勤勉日本人」を通して " 利己的 " から" 利他的 " への転換の先に見る『日本人らしさ』」

 

よく日本人は、外国人に「The Japanese are diligent」(日本人は勤勉)、「Are Japanese workers working too much from usual times?」(日本人は、普段から働きすぎではないですか?)、「Japanese people lack flexibility, they are too serious」(日本人は融通が利かず、真面目すぎる)などと言われがちですよね。

確かに、日本人は欧米、欧州の人たちからすれば民族性も違いますし、文化もまったく違います。

人種が違うから(白人≠黄色人)当然の事なのですが、現代日本にも欧米、欧州人は多くいますし、逆に欧米、欧州にも在外邦人はたくさんいます。

そんな中、日本で暮らす外国人は日本の文化、暮らしについて学ぼうと懸命になりますし、欧米、欧州に住む日本人はその土地の習慣になれようと必死です。

この啓発し合う姿勢は、目に見えて自然なかたちでなければなりません。

事実、そうなのですが、まだまだ欧米、欧州人には日本の文化、習慣、暮らしぶりに全身で順応できない感じですよね。

元々、歴史の長さが違う故、日本の奥深い歴史、文化に触れてそこから理解していこうという精神的作業は欧米、欧州人にとって容易ならざるものだと思います。

対する欧米、欧州文化は民族性からいってもそれなりにフランクですから、基礎となる日本人の礼儀礼節を大事にしつつそこの文化、習慣に自然と溶け込んでいく努力をしさえすれば、そんなに難しい事ではないと思っています。言うなれば、一番の壁は" 言語 " でしょうか😅

 

それはさておき(笑)外国人、特に欧米、欧州人にとって日本人と習慣的に違う点を二、三挙げますと、まず、、

 

①日本人は朝昼晩の三食に必ず「いただきます」「ごちそうさま」を手を合わせて言うのに対し、欧米、欧州ではそれが無い。(キリスト教的習慣に基づくイエス様への祈りが、彼らにとっての「いただきます」「ごちそうさま」になるのかはわかりませんが、種々の意味で明らかに異なります)

 

②日本にも欧米、欧州にも墓(Cemetery)はあるが、日本のように神仏、亡くなった霊に対して敬虔ではあるが、あまり厳かな態度を示さない。

日本のように、お彼岸などご先祖様を粛々と敬う行事等が無い。

 

③欧米、欧州人はよくホームパーティーを週、月に何度かたびたび開いて友人、知人らを招くが、金曜日、土曜日の夜(Friday night,Saturday night)に会社の同僚と飲みに出かける習慣が無い。

 

まぁ、即座に思い付いたのは、こんなところですか...f(^_^;

あと欧米、欧州人は家の中でも靴を脱がないとか、細かい点は敢えて割愛させていただくとして、このように民族性、文化による違いが歴然とある中でも同じ人間である事には変わりないので、双方の努力次第で表向きは分かち合う事ができると思います。

しかし、羞恥心と奥ゆかしさ、目上の人を尊敬する、何代にもわたりご先祖様を大事にする、どんな時でも己をむき出しにせず周囲に合わせてひた向きにルールに従う、これらの古来から鍛え抜かれたDNAを持ち合わせている日本人が、密かに外国人のお手本となっているところがまた興味深い現象ですよね(*^^*) 

 

 ⬇⬇【海外の反応 日本人の勤勉さの秘密が判明!「アメリカの●●も日本を参考にしよう。」さらに〇〇率100%に外国人驚愕!】YouTubeさんから。
海外の反応 日本人の勤勉さの秘密が判明!「アメリカの●●も日本を参考にしよう。」さらに〇〇率100%に外国人驚愕! - YouTube 

 

日本の言葉に『人事を尽くして、天命を待つ』というのがありますが、これが日本人の勤勉たるゆえんであると思います。

僕は19歳の時分、白人アメリカ人の友達が一人いたのですが彼とは音楽繋がりで知り合い、仲良くなり、よく行く公園で一緒にギターを弾いたりビール🍺を飲んだりしました。

あまり長い付き合いではなかったのですが、かなり馴れ馴れしく自由な振る舞いが、やっぱり日本人とは違うなーと感じたのをおぼえています。

どちらかと言うと、僕の方が緊張していて会話でも相手に媚びたようになっていたように思います。

でも彼が「わからない日本語があるんだけど教えて」と偶に言って来て、快く教えてあげた事もありました。

この付き合いが日本でではなく、相手のホームグラウンド、、すなわちアメリカであったなら僕はどう感じていたでしょうか。

彼は異邦人である僕と、対等に付き合ってくれていたでしょうか。

この答えは、まだ海を渡った事の無い僕にはわかりかねますので、これ以上敷衍はしませんが代わりとして一つの映画を紹介させていただきます。

 

2001年公開の映画なので、すでにご覧になられた方も多いかと思います。

『BROTHER』

監督は北野武。今『アウトレイジ』の第三作目が控えていますよね。💥🔫

これはデビュー作『その男,凶暴につき』から続く一連の北野流ヤクザ映画のひとつなのですが、内容は日本での組同士の抗争の末、日本にいられなくなった男が腹違いの弟に会うためロサンゼルスに飛んで、そこでもひょんな事からマフィア抗争に巻き込まれていく......といったものです。

僕がこの映画について言いたいのは、本筋よりも日本人と現地のアメリカ人との男同士の友情、親愛の深さについてです。

マフィアとの血みどろの抗争で、ついに逃げ切れなくなったビートたけし演じる山本は、マフィアの親玉を拉致って行動を共にしていた仲間のデニー(オマー・エプス)に大金の入ったバッグを持たせて逃げるよう言います。

弟よりもデニーとの友情を重んじた山本は、報復に現れたマフィア達にたった一人で立ち向かい一斉射撃の前に、ついに斃れます。

北野監督のヤクザ映画は、どれも過激な暴力描写やショッキングな展開が多いですが、どこか侍じみているように感じます。

侍  と言ってみてもピンと来ないかもしれませんが、もうひとつ挙げるならフランスのフィルム・ノワールのようなsilenceがあり、非情さの中に何とも言えないいじらしさや温かさも垣間見る事ができますよね。

そういう意味では僕は北野流ヤクザ映画は好きですね。

また、映画を観ていてそのような感慨をおぼえるのは、音楽を担当した久石譲の成せるマジックもあるのかもしれません。

敵であるマフィアに「ジャップ」(=イエローモンキーと並ぶ日本人への欧米人の蔑称)と囁かれた時、銃を乱射しながらビートたけしが怒るシーンも日本人として観ていて、良い意味でスッキリしますし、舎弟が兄貴分であるたけしの為に命を賭けるシーンも欧米人の解する事のできない日本人の大和魂に感動したりします。

つまり、そういう最期の時まで自分が『日本人』であるとのスタンスを貫き通すキャラクターと、外国人同士の枠を超えた『男同士』の美学✨、ダンディズムというものが全編に溢れていて、それらの伏線となる細かい描写も実に良く描かれているのです。

これ以上書くと、ネタバレになってしまうので💦(笑)是非、機会があればご覧になってみて下さいね(^^) 

 

⬇⬇【BROTHER trailer】YouTubeさんから。


Brother Trailer - YouTube

 

さて、冒頭で書きましたが、先日聞いたTwitterのフォロワーさんからのお話について触れさせていただくと共に、もうひとつの『利己的』から『利他的』への転換についても書かせていただきます。

そのフォロワーさんは、仕事の合間に通院をされていて、カウンセラーとの話の中で「仕事を頑張りすぎる事で、知らず知らずの内に自分に負担をかけている」と言われたと言っていました。

仕事をする中で、どんな仕事でもそうですが「ここはやっておかなきゃ」とか「時間や仕事内容を予め計算して、周りがスムーズに動けるようにやろう」とか、いわゆる『段取り』なるものを形成したりします。

そして、そういつもいつもうまくいかないのが常であるので、つい無理をしてしまう。

非常に難しいところなのですが、それが仕事なんだと思います。

日本人自体が、勤勉さに美徳を感じているのもひとつの原因ですね。

そういう人は、周りから目に見えて、頑張りすぎだとか思われたりもします。

時として自分自身でも、客観的に自分を据えたとして、そう思いがちになってしまう事も少なくありません。

フォロワーさんは、最近、アニメで「ゼロから始める異世界生活」を見たと言っていました。

僕は知らないのですが、それは主人公がロールプレイングゲームの世界を生きてるかのように何度も死ぬそうです。

ゲームのセーブポイントから復活して蘇り、また同じ失敗は繰り返さないように生活して魔物と戦います。
敗れて死に、また蘇りを繰り返し、次はこのようにしようと頭の中で考えて、周りの人たちと協調し、同じ場面をクリアしていくような、そんなアニメらしいです。
そのアニメの中で魔物が主人公に対して「勤勉ですね」、「その勤勉さは素晴らしい」って何度も言うそうです。
悪の魔物が主人公に「勤勉ですね」というのを何回も見ると悪の魔物が憎らしくなるし、勤勉とはなんだろう と考えさせられると。

確かにそれを聞いた時、そうだなぁと思いました。

その自他共に認める日本人の勤勉さを世界情勢と重ね合わせてみたところ、、

 

「日本人=勤勉」問題なし。

 

ところが、中国人が、「日本人は勤勉ですね!」という。

 

朝鮮人が「日本人は勤勉ですね!」という。

 

「(先の大戦戦勝国の)アメリカ人が「日本人は勤勉ですね!」というと、いろいろ考えるところが出て来て焦燥として来るのです。 

我々日本人自身は、自分達で勤勉さを無意識的に美徳、あるいは誇りに思っているのに対し、それについて上から目線で「日本人は勤勉ですね」とのたまわれる、あろうことか外国などで「我々はザパニーズ」と偽って悪事を働いたり、日本や日本人の美徳を汚す特亜と呼ばれる国の人が実際いる事に嘆き、憤慨さえおぼえたりします。

『勤勉さ』が日本人の専売特許のような言い方まではしませんが、民族的にも日本人は古来からそのような性質が根付いているのです。

従って、そう考えると、日本人は勤勉過ぎるのでは?と。

でも、勤勉は日本人の美徳であり、誇りであるのには間違いはありません。

もうひとつ、ビジネスホテルの掃除についてのお話もありました。

観光客とおぼしき中国人が団体で泊りに来て、彼らは食べ物は食い散らかして汚すわ、カーテンを手拭きに使ったりするわ、挙げ句の果てに最悪なのは、絨毯に放尿脱糞したり、南京虫を連れて来たりして、最後は部屋を汚しに汚して帰ったそうです。
ホテル従業員は、最悪、壁床の装飾をすべて張り直す必要も出て来ました。
その時、フォロワーさんは「シナチョンはお断り!」にすればいいじゃないか!と
思ったと言います。

僕も「そうだよ💢」と憤りました。

でも、そのあと日本人が泊るから綺麗に掃除しなければと
みんなで綺麗に掃除しました。
これを前にすると、やっぱり勤勉なんだと感じましたね。

結論としては「勤勉で」の感覚から「勤勉であれ」の感覚でいいのではないか  と。

ただし、安全にかかわるお仕事の場合、手抜きは禁物で、命にかかわる事には、より勤勉でなければならないと思います。

 

 

......そのような深イイお話を懇々と聞かせていただきました。

すごく勉強になりましたし、僕自身が精神的に疲れていた時もあったので、助言のような感じで受け止められ、胸にスッと入ってきました。

日本人の『勤勉さ』は国の宝のひとつですが、近年そういう傾向が欧米文化の影響などにより薄れてきているようにも思えます。

僕はシフト系の職場で働いていますが、時間が来ると、やりかけの仕事があってもほったらかして、そそくさと帰ったり、周囲が忙しく働いているにもかかわらず、自分はマイペースでトロトロ動いていたりと、そういう人たち(若者だけに限らず)を横目で見ていると、確かに勤勉ってなんだろう......❔  と自問自答してしまいがちになります。

勿論、普通に腹は立ちますが、その分自分が動かないと!と思ってしまうのが勤勉さとなるのでしょうか。

僕が思うに、『勤勉であれ』とはすなわち、『利他的』な意識を持つ事に繋がると考えます。

『利他的』=自分だけの為『利己的』では無く、人の為に考え、動くこと。

自分を犠牲にして人に楽をさせる事。また、自分だけ幸せになろうと楽をしようとするのではなく、人にも幸せになってもらう、楽をしてもらうといった精神の向上心といったところでしょうか。

これは、日本という国があってこその日本人、ご先祖様があってこその自分達とも言い換えることができます。

逆に日本人がいてこその日本とも言えますが、やはり個人の幸の追求よりも国が平穏であらなければならない  と考える方が自然で、自分達の幸せもそこから生まれてくるものだと思います。

 

以前、学生運動をブログで取り上げましたが、その内実は大学側の不正や歪んだシステム、大人の狡さに疑惑を抱いた学生が怒って、改革をしようとした事に起因し、それに後から共産党系の思想の学生、過激派セクト、ブントが間違った方向に運動が拡張していった事に誤りがあったのだと、当時、東大安田講堂事件に警備課長として警備にあたっていた、元内閣安全保障室長の佐々淳行氏は語っています。

 

 ⬇⬇【「あの事件は何だったのか?シリーズ1 東大安田講堂事件」佐々淳行のガツンと一喝 第83喝 初代内閣安全保障室長】YouTube『超人大陸』さんから。


「あの事件は何だったのか?シリーズ1 東大安田講堂事件」佐々淳行のガツンと一喝 第83喝 初代内閣安全保障室長 佐々淳行氏 - YouTube

 

こういった大人達の都合で歪んだ教育を学んだ若者が、『利己的』な性質をもって社会に出て大半が『利他的』である場に立たされ煩悶し、順応できない者は孤立、または狡猾さを使い分けて社会をわたっていくのでしょう。

『利他的』『勤勉であれ』とは言っても、なかなかそれができないのが、我々人間です。

人の為、社会の為、日本の為とは言ってみても、やはり何処かで自分自身の得する処をどうしても考えてしまう。

それを乗り越えて、自分以外の何かの為に考え、純粋に、純朴に動くことができたら、どんなに素晴らしいものでしょうか。

僕を含め、読んでいただいている方々にとっても、それは課題だと思います。

急には無理なので、できる事からひとつひとつやり遂げていって、その過程で立ち止まり『利他的』『勤勉であれ』を自問自答し自らを高めていく事に意義があるのだと。


f:id:aikokuken-ryuji:20171006201213j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20171006201328j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20171006201425j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20171006201516j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20171006201532j:image

横山のやっさんもエエ事言う❗(*^○^*)✊
うん、よっしゃ!利他的👍✨

 

今回も、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました🙏

日本人として誇りある、実りある人生を過ごされますことを若輩ながら祈願致します。m(_ _)m

 

                             @2677/ 10/ 6/ 草稿