シリーズ沖縄③【"歌"にまつわる沖縄の心と、"テーゲー精神"から学ぶ純日本人の尊び】
こんにちは🎵 aikokuken-ryujiです。
いつも拙いブログを読んでいただきまして、ありがとうございます🙇
これからも、よろしくお願い申し上げます✨
今回は、シリーズ沖縄第3弾。て事で、何について取り上げようかと考えておりましたが、前回の最後の方に触れた通りのテーマで書かせていただこうかと思います。
今回は【"歌"にまつわる沖縄の心と、"テーゲー精神"から学ぶ純日本人の尊び】と題しまして、ちょっと政治的テーマから離れ、沖縄を彩る音楽、文化、そしてうちなーんちゅがいかに、純日本人としての特性を秘めているか......について書いていきます。
このシリーズ沖縄の連載を始める最初のブログでも言いましたが、僕は沖縄が大好きです。
それはあらゆる面を見渡した上で言っているのですが、いかんせん沖縄には一度も訪れる機会を逸しているので、本質的に何が良くて何が悪いのか...というのは細かな所までは、なかなか意識が行き届かないのですが、それでも僕は沖縄が大好きです。
僕は趣味である音楽から沖縄に入った感じで、沖縄民謡やTHE BOOM、りんけんバンド、ネーネーズなど俗に言う沖縄ポップスに一時期心酔していた事があり、三線を購入してからは、練習に明け暮れ、行きつけの沖縄料理屋もでき、大阪での沖縄関連のイベントなどにも足を運んだりしてました。
そのイベントで毎年参加していたのがあって、それは、1995年頃から大阪城野外音楽堂で始まった『琉球フェスティバル』という沖縄の唄者(ウタサー:沖縄の歌手などを指す)やバンドが一堂に会し、順番に歌を歌っていくといって、最後は出演者全員と聴衆とが一丸となっての大カチャーシーで幕を閉じるといった盛大なものです。
☝今まで参加した『琉球フェスティバル』会場で買ったパンフ📕 ※僕は2007年から参加しました。
先に言っておきますが、このフェスティバルの後援に『琉球新報』『沖縄タイムス』がかかわっています💧(そこがちょっと気に入らないのですが、当時お花畑だった僕は、なーんも気にしていませんでした 笑)
だいたい、毎年きまって唄者として舞台に上がっているのは、沖縄から上京し様々な音楽を学んだ末に現在の沖縄ポップスの先駆け的存在として知られる知名定男(ちな さだお)と、石垣島白保出身でBEGINとは同級生という大島保克(おおしま やすかつ)。
彼は豊かな音楽性に富む知名定男とは対照的に、主に本格的沖縄民謡、八重山民謡を独特のこぶしの利いた美声を用いています。
そして先島、宮古、与那国といった離島(沖縄は島ごとに微妙に言葉や文化が異なります。歌もまた、しかり)の隠れた伝承歌や民謡なども発掘し、広く沖縄の心というものを歌い継いでいる稀有なシンガーです。
写真上:知名定男 写真下:大島保克
この二人以外も、だいたいメンバーは決まっているみたいですが、昨今は民謡界にデビューしたての新人唄者や、沖縄出身、または沖縄に所縁の若手グループなども多いですね。
ここで上記に挙げた知名定男、大島保克の曲で、僕が好きな歌をそれぞれご紹介したいと思います。
⬇⬇【『ウムカジ(面影)』🎵ネーネーズ】YouTubeさんから。
まず知名定男。動画は、知名定男がプロデュースした女性四人組のユニット、ネーネーズ(ネーネー とはうちなーぐちで「お姉さん」「お姉ちゃん」という意味です👩 「お兄さん」は無論、ニーニーw)の歌唱によるものです。
『面影』と書いてうちなーぐち(沖縄の方言)では "ウムカジ" と読みます。
内容は、女性が愛しく想っている殿方に対する辛く切ない心情を歌った恋歌で、メロディーも心なしか寂しげな感じですね。
メロディーキーで言うと、最初『D』ではいり(沖縄民謡はともかく、わりと知られている沖縄POPSのほとんどが『D』か『E』で始まります)、サビの部分は『Bm』『F#m』などのマイナーコードが多用されていて、どちらかと言うと、民謡では無くPOPSの部類に入ります。
あの人を想うだけで切ない、暮らしていけない、生きていけない......そんな繊細な女心をネーネーズが情感たっぷりに歌い上げる、こういう歌が実はとても好きです😂
知名定男といえば有名なのが自身でもネーネーズでも歌われている『バイバイ沖縄』ですが、個人的にこちらの『ウムカジ』を挙げさせていただきました。
ネーネーズは、第一期であった初代メンバーを経て、今では第三期、メンバーチェンジも頻繁に行われていますが、一度機会があればCDやYouTube等で聴いてみてはいかがでしょうか...。
当の知名定男は、2012年3月に声の不調により引退、現在はプロデュースや後進の指導にあたっているとのこと。
72歳、元気でご活躍いただきたいですね(*^^*)
⬇⬇【『イラヨイ月夜浜(つきやはま)』🎵大島保克】YouTubeさんから。
「イラヨイ月夜浜」 大島保克 (ギター)内田勘太郎 - YouTube
『イラヨイ月夜浜』は作詞が大島保克、作曲はBEGINのボーカル&三線担当の比嘉栄昇。
BEGINや夏川りみ、若手のやなわらばーなど多くのシンガーに歌われている名曲です。
僕個人としては、この大島保克バージョンが一番好きです❗ なんと言っても三線の響きと代々『ひばり』の屋号で呼ばれるほど村の歌い手として知られた家柄に生まれた彼の歌声に惹かれて。
僕も三線で練習するのですが、サビの「イラヨイマ~~ァヌ~~」のところがどーしても声が出ない(笑)
大島保克の、三線一本でライブに臨むそのアコースティックなスタンスがすごく好きで、生のアンプラグド(電気を通さない)な楽器と生の声で勝負する というスタイルは、さすが沖縄の唄者って感じです。
事実、島のあちこちで行われる毛遊び(もうあしび=かつて沖縄で広く行われていた慣習で、主に夕刻から深夜にかけて、若い男女が野原や海辺に集って飲食を共にし、うた三線やカチャーシーなどの歌舞を中心として交流した集会。
毛(もう)とは「野」の当て字で原野や広場を意味し、集落によってはアジマーアシビ(辻遊び)、ハマーアシビ(浜遊び)、ユーアシビ(夜遊び)などと呼ばれる例もあったといいます。参加を許される年齢はおおむね男子は17〜25歳くらい、女子は15〜22歳くらいで、ほぼ一人前となり、結婚適齢期とみなされる男女が対象となったとされる、要は歌と舞いが加わった飲み会、合コンのようなもの)では三線や時には太鼓、指笛など派手な音響設備の必要もいらなかったですから。
その場に人が集まれば、歌が始まる。沖縄は歌の島 というフレーズを昔聴いた事がありました。
なんかすごく楽しそうですよね(*^▽^*)🎶
何年か前に、京都のライブハウスに大島保克のライブを見に行った事がありましたが、その時歌われた『小浜節』という正統派八重山民謡を聴いていたら、歌声と三線に交じって微かに波🌊の音が聴こえてきそうな心地よい雰囲気に包まれてしまいました。
僕もルーツが鹿児島県なので、なんとなくそういう南国的な旋律に無意識に血が湧いた......という事でしょうか。
こちらも是非、聴いてみて下さいね。
さて、もうひとつのテーマ、【テーゲー精神から学ぶ純日本人の尊び】にうつる前に、もうひとつだけ音楽について語らせていただきます。
皆様は、かつて平成の初頭にTHE BOOMというバンドが世に放った『島唄』をご存知でしょうか。
「そんなのくらい知っとるわボケ❗」って怒鳴られそうですが💦それくらい世間の隅々まで広まった有名な歌なのですが、これを作詞・作曲・歌ったバンドは、沖縄出身ではなく山梨県出身のリーダー、宮沢和史を中心としたロックバンドでした。
それまでは、ポップ・ロック、スカ、ブラジル音楽、サンバなど、とりとめないくらい様々なジャンルの音楽をやっていましたが、宮沢和史が沖縄を訪れた際、ひめゆり学徒隊の生き残りのおばぁから沖縄戦の話を聞き、今までそういう歴史を知らずに生きてきた自分や集団自決に対する怒りと悲しみから、この島唄が作られたそうです。
しかし、集団自決についてはシリーズ沖縄①で触れたように、軍の強制では無かった真実の歴史とは違った目線で彼は受け止め、沖縄が太平洋戦争の『捨て石』となった との認識があったようです。
沖縄戦についても、女子学徒隊についても、ただうわべだけで沖縄を単なる常夏のリゾート地として見ていては決して知ることができない、、また知ろうともしない現代日本人が沖縄、沖縄と軽々しく口にするのに少しばかり瑕瑾を抱きつつも、やはり沖縄でかつて戦争があったのは知っているけれども、それがどれ程の規模のものだったか、、どれ程の激戦であったかはわからない、知ろうともしない現代日本人が多いのに悲しくなり、閉口してしまいます。
沖縄で無念のうちに散った英霊様の魂が、何故、そっぽを向かれなければいけないのか。
宮沢和史の言いたいところといえば、僕的に解釈すると、彼の歴史の誤認識は一旦置いといて、どんな歴史でも知ろうとしない、すなわち無知は罪である ただ良い面ばかり重視して負の部分は蓋をしたり目を向けないようにする、、そういう現代日本人の浮かれた感覚に疑問を投げ掛け、そうであった自分にも怒りがこみ上げてきて、その結果沖縄で散って逝かれた民間人、女子学徒隊、英霊様に鎮魂の為に『島唄』を書いたんだと思います。
⬇⬇【『島唄』 歌詞に隠された本当の意味】YouTubeさんから。
こちらは夏川りみバージョンです。
⬇⬇【夏川りみ『島唄 ~ウチナーグチver.』】YouTubeさんから。
『島唄』 Shima uta ☆ 夏川りみ Rimi Natsukawa - YouTube
僕も最初この歌を聴いた時は、こんな深い意味があったとは知りもしませんでした💧
こうやって過去の事を振り返りながらブログを書いていますと、つくづくお花畑だった自分に対して反省するばかりです。😣💦
さらに宮沢和史は、『島唄』を歌う時にきまって「自分は沖縄の人間じゃないのに沖縄に関する歌を唄って沖縄や沖縄の人たちに失礼にあたらないだろうか」と悩んでいました。
その彼の悩みをいっぺんに払拭した一言があります。
宮沢和史が相談した相手の喜納昌吉(喜納昌吉&チャンプルーズのリーダーで『ハイサイおじさん』『花 ~すべての人の心に花を』で有名)が発した言葉。
「ただ、沖縄の歌をコピーするだけじゃなく、沖縄の心や魂までコピーしてしまえば、それはもうオリジナルだ。コピーではなくなる」
この一言で、宮沢和史は救われたとインタビュー等で述べています。
......まぁ、多少強引な言い回しですがミュージシャンらしい表現の仕方だなぁと僕は思いました(^^;)
ここだけの話、喜納昌吉その人の思想は主に平和活動家として『反原発/米軍基地反対派/辺野古埋め立て承認の取り消し・撤回/選択的夫婦別姓制度の導入に賛成』等といったもので、いわゆる僕らから言わせれば左翼活動家や思想家とあまり変わらないのですね...。
以前は民主党の議員でしたから、そこは仕方ないっちゃ仕方ないのですが、沖縄の今そこにある危機を考えると、とんでもない危険思想の持ち主だと思います。
同じTHE BOOMのように本土のミュージシャンでも沖縄に関わっている中川敬率いるソウル・フラワー・ユニオンなども度々反原発、辺野古移設反対を掲げ音楽を主体に政治活動をしています。(阪神淡路大震災直後には『満月の夕べ』という名曲を歌い慰問や復興支援に尽力されていたのに......😥)
何故、本業に邁進するだけでなく、こういった活動をするのでしょうか。
するならば、日本の伝統を重んじるとか、日本を守るとかそういった愛国精神にのっとった形でやっていただきたいものです。
自分達は日本の為を思ってやっていると勘違いされているのだと思いますが、結果的に我が国の存亡にかかわる行為だと考えざるをえませんので、本当ならやめていただきたいのが願いなのですが。
だいぶ後味が悪くなってしまい、申し訳ないのですが、音楽の話はこの辺にしまして、次のテーマにいきたいと思います。
近年、沖縄県民が古くから使ってきた方言=うちなーぐちが無くなりつつあります。
それは戦後、アメリカ統治下で、標準語(うちなーぐちに対して"やまとぐち"と呼ぶ)の普及による事もあるかもしれませんが、今の沖縄に定着しているもうひとつの言語=【うちなーやまとぐち】が、その原因であると考えます。
うちなーやまとぐち とは、他府県の人には難解な琉球語とは違い、比較的わかりやすく作られた独特の言語です。
そんなうちなーやまとぐちの言葉の中に、『テーゲー』というのがあります。
テーゲーとは、物事について突き詰めて考えず、程々の良い加減に生きていこうという意味であり、また概念でもあります。
今日のうちなーんちゅ、ひいては沖縄の県民性を代表する精神的扱いとなっていますが、元々の由来は、「大概(たいがい)」の琉球漢字音で、大体、適当、おおよそ、まずまず、そこそこ、といったニュアンスも内包されます。
簡単に言えば、大阪でよく使われる『もうかりまっか?』『ぼちぼちでんな』みたいな感じですね。(違う❔😓)
テーゲーから派生した時間感覚を示す用語に、『うちなータイム』があります。
つまり、島時間。僕はまだ体験した事はありませんが、沖縄は本土の時間的感覚とは少し違うものがあるようです。
ゆったりしていて穏やか、沖縄の南国的な風土がたぶんそう感じさせているのだと思います。
さて、テーゲーについてですが、僕はこの、うちなーんちゅが持つ特性『テーゲー』に純日本人の姿が反映されていると見ました。
よく、テーゲー精神の意味するところは、時間にルーズ、いい加減、責任感が無い、などと批判される声もよく聞きます。
しかし、このテーゲー精神は、それ以上におおらかな心、深い懐からくる優しさ、それでいてやるべき事はしっかりする為の気持ちの余裕といった意味で使われるべきだと思います。
つまり【人事を尽くして、なんくるないさ】
という事だと主張したいです。
別に何に関しても、「なんくるないさ=なんとかなるさ」と構わず言ってるわけではなくて、本当になんとかなるさ と思うと考えてからの「なんくるないさ」に繋がっているのだと。
僕の友達の父親は、沖縄県与那原出身で、戦時中は山口県にいたそうで、戦後大阪に出てきたと聞きました。
初めてお会いした時は、ちょっと取っつきにくく無愛想だったのですが、何度か友達の家に遊びに行ったりを繰り返していると、段々と打ち解けていき、言葉少なで時折寂しそうな表情を見せますが、話している時は本当に素敵な笑顔で接してくれました。
一度だけでしたが、一緒に三線を弾いた事もありました🎵
女子プロレスが好きで、童謡の『兵隊さんの汽車』を歌って教えたり、はやした髭を自慢して「乃木将軍(もちろん、日露戦争の名将・乃木希典将軍のこと)みたいやろ~」と家でよく言っていたと友達が話していました。
80に手が届く年齢となっても元気でいらっしゃいましたが、3年程前に突然逝去されてしまいました...😢
もともと明るい性格だった友達も、それから少しの間はさすがに悲しみに暮れていましたが、今は「お父さんはここ(胸)の中にいるねん。ちゃんと生きてる。実家に帰れば、お父さんがいるような気がする」と屈託無い笑顔でそう言えるほど元気を取り戻しています。
テーゲー精神には、『どんな時でも前向き』な要素も含まれているんだなと、その時の事を思い出して書いてるうちに感じました。
さらに、沖縄には様々な場所に神様がおられ、身近な家の中とか森とか、その辺にも、此処にも、彼処にも......。
そんな目に見えない存在を信じたり、祀ったり、敬ったりする古くからの沖縄の県民性も、テーゲー精神に通じるところがあるのだろうか と。
現代日本人は、信仰にすっかり疎くなり、自分のルーツも生半可にしか認識できず、ご先祖様の供養も忘れ(あるいはお寺任せにする)、この国の危機を救った英霊様や天皇陛下への感謝の念も頭の片隅におくこともできず、我が身の損得や保身、自分達だけの幸せを考えるのみ。
そんな腐敗した状態にあります。それは都会に目を向ければもっと惨憺たる有り様です。
戦後、欧米文化にうつつをぬかし、高度成長に身も心も奪われ、助け合いの精神、自己犠牲の精神、コミュニティ的繋がりや交わり合いを捨て、自らの世界を構築し外界と自分とを遮断する。
いかに治療の困難な大病に現代日本人が侵されているか......どんな名医でも、この日本列島全土に蔓延しつくされた大病を完治させるのは不可能です。
ただし、その病を治すには必ずしも施術にあらず という事。
一人一人が正しい歴史認識を見つめ直し、日本という国に日本人として生まれ、育ったその有難さを身を以て感じ、自己を肯定し、自分のルーツと責任感を芽生えさせる自我に目覚める事ができるのだとすれば、たちまちにして重き病は取り除かれるのです。
現代日本人の忘れ去った大和民族の心意気を、沖縄のテーゲー精神を通じて少しずつ自分に還元させていく事。
きっと何かにぶち当たると思います。
長い間忘れてきた、大切な何かに。
先程の友達の父親についてでも書きましたが、沖縄の人は本当に暖かい方ばかり。純粋な感情を持った方ばかりです。
僕が今まで出会ってきた大阪在住の沖縄の人たちは、皆そうでした。
それでいて懐が深く、疑いを持たない人が多いように思いました。
そんな沖縄の人たちの県民性を逆手に取り、基地反対やアメリカーやオスプレイは危険だと言いくるめる左翼思想の洗脳が僕は許せません❗ いわば詐欺まがいに相当する行為です。
沖縄が沖縄であり、日本であるためには、我々本土の人間もそうですが、まず沖縄県民が怒り、立ち上がる事だと思います。
そして、沖縄の空を、森を、海を、伝統文化を、そして...テーゲー精神を守っていかなければならない必要性に日本人は迫られているのです。それは今......。
『日本を守る事=沖縄を守る事』
最後に、BEGINの『三線の花』と『島人(しまんちゅ)ぬ宝』の動画で閉じさせていただきます。
今回も、最後まで読んで下さり、本当にありがとうございましたm(_ _)m
次回のシリーズ沖縄も、よろしくお願い申し上げます。(*^^*)
⬇⬇【『島人ぬ宝』🎵BEGIN】YouTubeさんから。
@2677/ 9/ 17/ 草稿