シリーズ沖縄①【捏造された沖縄戦の真実と、御国のために散った愛国の花...】
こんにちは🎵 aikokuken-ryujiです。
9月に入り、暑さは少しマシになったでしょうか......。 大阪を含め、まだまだ残暑の厳しい地域もあるかと思いますが、お体ご自愛いただきますよう、お願い申し上げます。m(_ _)m
今回のブログですが、前々から書こうと思っていた沖縄の事について長期にわたり書かせていただこうかと思います。
沖縄に関する問題は、本当に山積しており一口だけでは到底表すのが困難であるのは、普段ネットなどをみている皆様にもお分かりいただけるかと思われます。
在米軍基地の辺野古移設、オスプレイ、普天間基地、本土からの極左活動家による反基地デモ、沖縄サヨクによるキャンプ・シュワブの妨害行為、さらに親中派、翁長雄志沖縄県知事の売国政策、沖縄を琉球王国として独立させようと企む勢力、それらを日常の出来事として県民に情報を流し平然と印象操作する沖縄2紙(琉球新報・沖縄タイムス)、メディア、沖教組などなど、言い出したら枚挙にいとまがありません。💦
沖縄というところは、琉球処分、本土復帰を経て現在、これだけの問題に悩まされ、傷つき疲弊しているのです。
今日本で一番存亡の危うい地域とは、まさに沖縄県なのではないのでしょうか...❔ と確信しても疑い無いくらいです。
今回からのブログは、『シリーズ沖縄』と題しまして様々な問題について僕なりに掘り下げて説明させていただき、沖縄の置かれた現状というものを広く知っていただければ幸いと存じます。
今回は、シリーズ沖縄①【捏造された沖縄戦の真実と、御国のために散った愛国の花...】とタイトルを銘打ちまして、書いていきたいと思いますので、お付き合いのほどよろしくお願い致します🙇
はじめに言っておきますが、僕は沖縄が大好きです。(*^^*)
最初は、沖縄の血を引く友達の影響が大半を占めていましたが、その後沖縄という本土とは少し趣を異にした文化や伝統などに触発され、沖縄民謡やご当地グルメ、さらにうちなーんちゅ(沖縄の人の事をウチナーグチ=沖縄方言で表すもの)の気概や県民性といった事にも惹かれていきました。
実際、沖縄に訪れた事は一度もない💧のですが、本土にいながらも沖縄の現状を憂いる気持ちは多分にあります。
特に、三線(さんしん=沖縄の楽器でこっちで言う三味線のような弦楽器)を弾くようになってからは、より一層沖縄文化が好きになりました(^○^)
☝マイ三線です😂🎵 (※画像は加工済みのものです)
そういう繋がりで、行きつけの沖縄料理屋や、友達もできたりで良かったのですが、友達の方は音楽の事以外でもいろいろ話をしていく中で、ちょっと合わないところが生じてしまい離縁という結果となりました(T-T)
それはどういう事か......と言うと、ふとしたきっかけで僕が普段からFacebookで嫌韓系の投稿していたのを友達が見て、胸を痛めたというのです。
実は、友達の彼氏が韓国人だったとのこと。
でも友達は、彼氏も優しいし周りの人もとても良くしてくれるので、私と友達や彼氏の関係は政治とかが介入するものではない と言われました。
普通に音楽友達として接していられれば何も問題起きなかったと思うのですが、やはり僕としてもそこの部分はどうしてもいただけず、結果として友達付き合いをやめざるをえなくなりました。😢
とても悲しかったです。
そういう事もあったせいで、僕の中では「沖縄問題」が何よりも深刻で根深いテーマだと思っている次第です。
ではシリーズ沖縄①について、拙くはありますが書かせていただきます。
まず、沖縄戦についてですが、これは大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)春頃から激化した、本当に我が国が連合国軍によって追い詰められた時の戦闘です。
ネットなどをみれば、いかにそれが史上稀にみる激戦であったかがお分かりになられるかと思います。
で、史上最大の壮絶なる戦闘といわれた沖縄での地上戦は3月26日~6月23日と実質3ヶ月にわたるものでした。
ふと思い出しましたが、前回、8月15日『終戦の日』と敢えて書きましたが、本当の終戦日は実は9月2日なんですね。
連合国による対日戦勝記念日とされる場合、通常は、大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日を指すといわれています。
実際、占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)や樺太の戦い(からふとのたたかい)など、8月15日を過ぎても戦闘は行われていたのです。
前者は、太平洋戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘、後者は、太平洋戦争/大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)8月11日から8月25日にかけ、日本の内地であった樺太南部で、日本とソビエト連邦の間で戦闘が行われました。
⬇⬇【占守島の戦い】真実の日本さんから。
http://nanyo.club/?p=1003
占守島の戦い – 真実の日本
上の2枚目の画像は、真岡郵便局の電話交換手9名の女性のものです。
当時の郵便局では電信電話も管轄していたので電話交換手が樺太の真岡に常駐、勤務しておりました。
樺太の戦い時、彼女らは疎開(引き揚げ)をせずに業務中であり8月20日に真岡にソ連軍が上陸すると、勤務中の女性電話交換手12名のうち10名が局内で自決を図り、9名が亡くなりました。
これは真岡郵便局事件、また北のひめゆり(事件)とも呼ばれています。
靖國神社の遊就館には、自決した9名の電話交換手の写真や資料なども展示されています。😢
⬇⬇ 【樺太に残された日本人妻が明かす終戦後の壮絶な日々】iRONNAさんから。
この二つの戦いで亡くなられた日本軍の兵隊さん達、また真岡の電話交換手など民間の方々は一般的に『終戦の日』と今日奇しくも定められた8月15日以降も国の為に戦い、尊い命をただ国体護持の為、大切な日本、家族を守る為、散らして逝かれたのです。
この歴史も併せて、どうか現代の中で風化させる事なく広く知っていただきたいと願います。
さて、話を沖縄戦に戻します。
まずはリンクを先に貼らせていただき、そこからテーマを拾って僕なりの考察などを書かせていただこうかと思います。
⬇⬇【沖縄戦の真実 捏造された捨石作戦】2015年9月の記事から。
連合国軍勢54万(アメリカ軍)に対し、わずか11万を率いて戦った日本軍も、明らかなる兵力の差に追い詰められ、追い詰められ、遂に南端まで来た時、洞窟内で牛島中将は自決をされました...。
辞世の句は、「矢弾尽き 天地染めて 散るとても 魂還り 魂還りつつ 皇国護らん」
「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」
たとえ我が身は散るとも、その不屈の魂は地上より還り皇國を護るものとなる、さらに、この戦いに敗れるのを、秋を待たずに枯れ、散ってしまう島の青草に自分達を例え、それでも必ず春には甦る......。
これは僕的に解釈しますと、この戦いに敗れたら日本は敵である連合国側の手におち、大和民族はどうなってしまうのか...国は滅亡してしまうのではないのだろうか...それがどうしても気にかかる。
しかし、春にはきっと我が国、日本民族は息を吹き返し、以前の栄華を取り戻す日が来るであろう それを頑として信じる......といったような内容のように思えました。
歴史学者の意見では、たぶんちゃんとした解釈が成されているのでしょうが、あくまで僕の解釈なので😅
この胸中穏やかならざる心象は、牛島中将のみにとどまらず、特攻隊編成に拘わり、いかんともし難い戦況で敢えて『特攻は、作戦の外道』と自らを戒め散華していった若き特攻隊員たちに心から詫びつつ自決された大西瀧治郎中将、終戦か、戦争継続か、という極限下で悩みに悩んだ末に昭和天皇の御心に沿うかたちでポツダム宣言受諾に同意、割腹自決を遂げられた阿南惟幾陸相など多くの将校が懐抱していたやるせなき想いであったと思います。
本当に苦しい戦いの中で悩み、傷つき、その末に自決を選んだ牛島中将もまた、後の日本を憂いていたのです。
しかし、この沖縄戦をありったけの兵力を動員してまで圧倒的兵力のアメリカ軍に抗おうとしたその背景には、終戦後を見越しての考えがあったとされます。
上記のリンクにも書かれていますが、連合国軍は、沖縄を陥落させ本格的な日本本土攻略への足掛かりを作ろうという目論見でした。ですが、日本は沖縄での戦いを有利に進め、和平の切っ掛けにしたいという願いがあったようです。
和平の交渉は、ある程度勝敗が決した段階で行われるものとお考えの方も多いと思いますが、より有利な交渉を行うため、敗戦色濃厚な側も一矢報いたタイミングで行うのが通常であり、日本はこの沖縄戦を和平への最後のチャンスと考えていたのです。
敗け戦とわかっていても力の限り戦う、全力を尽くすベストを尽くす❗ これが大和魂ですよね。
一番わかりやすい例えが、オリンピックやサッカーワールドカップなどで、外国人相手に死力を尽くして勝負に挑む日本人選手のその凛とした姿です。🎌🎌✨✨✨🎌🎌
彼らはみんな、日の丸を背負ってオリンピックという世界大会に挑んでいるのです。
日本のシンボル、国旗と日本人の誇りを胸に外国人と戦うのです。
よくテレビとかでは解説者や最近は芸能人まででしゃばってきて「メダルが取れなくて残念だったけど、みんな頑張ったよね。よかった」などとのたまうコメントが多く見られますが、本当はそんなの慰めにも何にもなっていないと僕は思います。
日の丸を背負い、世界と戦うのですから勝って当然、勝つべき❗というのが本当で、選手もそれぞれ勝つことだけを胸に秘め、炎を燃やして戦うのみなのです。
それなのに、戦い終わって周りからそんな言葉を掛けられたら選手はどういう思いになるのでしょうか......。
勝てなくて申し訳ない、負けて悔しい、勝ちたかった と誰もが思うはずなのです。💦
オリンピック含めた世界大会というものは、単なるチャリティー番組でカメラ越しにやるようなちゃちなものではないのです!!
日本と日本人の誇り、名誉をかけた、文字通り『戦争・戦闘』ですよ。💥💥💣💪
だから、戦うからには絶対勝たなきゃいけない❗
少々手厳しいようですが、オリンピックを取り上げる特番とかそういうものがあまりにも軟弱すぎるので敢えて言わせていただきました。
安室奈美恵 / New Single「Hero」Lyric Video - YouTubeしかし、
あくまでスポーツとしての戦いなので、そこに政治的な煽りや嫌がらせがあってはならないのはマトモな国の国民なら常識でわかるものですが、それがわからない国もある という事だけ書かせていただき、オリンピックの話を終わります(笑)
そして、戦後の人に沖縄戦で最もよく言われているのが、
『沖縄戦で民間人である沖縄の民が、日本軍に自決を強要された』
という話です。
これはリンク内にもあり、作家の大江健三郎(ネット界隈では反原発のパヨクとして右派に認識されていますよねww)による『沖縄ノート』にも同じような事が書かれています。
実はこの話を、昨年、十三の沖縄料理屋で前の職場の先輩と飲みの席でした事があります。
先輩は、話を聴いていると極端に左寄りなわけではなく、中道左派という感じの方だと思いました。
話の流れで先輩は「沖縄戦で沖縄の人が自決したのは、日本軍が強制的にさせたものやと聞いた」と主張、僕は「いや、それは違います。日本軍は逆に沖縄の人に逃げてくれと言い、自分たちは自決する決意でいたが、沖縄の人たちは、自分たちも自決する と頑として言い放ったんです。最後まで戦い、共に同じ道を歩みたいと」と言いました。
学校などで沖縄戦について教えられる事といえば、以下のような話です。
沖縄の集団自決は沖縄県那覇市の南西にある渡嘉敷島であり、米軍の攻撃が激しくなり、住民が日本軍の陣地に逃げ込もうとしたその時、守備隊、赤松嘉次隊長が「住民はここに入るな、軍は最後の一兵になるまで戦って玉砕する。住民は日本の必勝を祈って自決せよ。」と言ったというのです。手榴弾を手にした村長や家長が「みんな笑って死のう」と悲壮な叫びをあげて、329人が集団自決したという、そのようなことが学校の教科書等に書かれ、新聞メディアでも報道されてきました。しかし、これは全くの虚偽でした。
真実は、上記の赤松隊長が「あんたらは非戦闘員だから、最後まで生きて、生きられる限り生きてくれ」というもので隊長もそう呼び掛けたといいます。
でもそれを聞いた村長以下、村の幹部は「捕虜になるより死んだ方がいい」とすでに半狂乱になっており、彼がA大尉の言葉を伝えてももはや自決を止められなかった、、死に切れなかった人は日本軍の陣地に行って、「機関銃を貸してくれ、皆自決するから」と言ったそうです。😢
赤松隊長が出てきて、「なんという早まったことをしてくれたんだ!戦いは軍がやるのだから、お前たちはしなくてもいいんだ。我々が戦う弾丸もないくらいなのだから、自決用の弾丸なんてない!」とキッパリ断ったのです!
以上が集団自決の真相です。
ちなみに、こちらは赤松隊長の私記『私は自決を命令していない』です。
歴史の真実が物語るように、赤松隊長も自身の身の潔白を訴えておられます。
atwikiさんからの引用です。⬇⬇
《私記》私は自決を命令していない - 15年戦争資料 @wiki - アットウィキ
こういう歴史をも捏造して、戦後教育は『日本軍によって自決を強要された』というまったくのデタラメを教え続けてきたのです。
沖縄の民間人は、600人のうち300人くらいが手榴弾等を用いて亡くなりました。
これについては、曽野綾子さんが著作で書かれておりますので、是非ご一読を。
沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)
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大江健三郎の『沖縄ノート』の言い分を信じるか、曽野綾子さんのこちらの著作の言い分を信じるか、それは皆様の自由です。
しかし、僕は沖縄戦で軍が民間人に命令して自決を強要した のを信じる事がどうしてもできません。
何故なら、それを信じてしまうと、慰安婦強制連行や南京大虐殺なども同じ目線として捉えなければならないからです。
僕は、慰安婦強制連行も南京大虐殺もまったく嘘っぱち、捏造であると信じていますので、沖縄戦の集団自決の強要性も嘘、捏造であると信じます。
最後に、ひめゆり学徒隊について触れたいと思います。
当時、女子学徒による看護隊として最も有名なのは『ひめゆり学徒隊』ですよね。
『ひめゆりの塔』として何度も映画化されてるのは皆様もご存知かと思います。
実は、このひめゆり学徒隊以外にも、これだけの女子学徒隊が編成され、銃後の守りに励まれたのですね...。
あまり知られていませんが、『白梅学徒隊』『ずゐせん学徒隊』『積徳(ふじ)学徒隊』などがあったそうです。
彼女達はまだ幼く、恋も知らない可憐な少女でした。しかし、そんな稚けない女学生がお国の為に、故郷沖縄の為に共に戦い、亡くなっていかれました。
この事実を前にして、沖縄戦は敗色濃厚な戦況にもかかわらず、幼き少女達までもかりだし、人命を疎かにして大儀を守るという妄執に取り憑かれた大日本帝国軍によって利用され、悲惨な末路をたどった などと誰が言えましょうか!? 沖縄は未だに戦争終結をみていない 基地が無くならない限り沖縄は救われない かつての誤りであった戦争に巻き込まれ国に殺された沖縄の民の魂は浮かばれないまま そんな無責任な戯言が飛び交っている中、国を想う僕らは一体どう考えればいいのか......。何を正しく認識し、虚偽と汚名を伝播する見えない巨大なプロパガンダという名の悪意に、どう立ち向かっていけばよいのか......。
答えは依然、霧の彼方で渦巻いたまま。
答えを見出だす唯一の方法は、正しき歴史を見定めて、護国と愛国の精神を何度も見直し、何度も御祓を繰り返し、漸く自分自身を信じる事ができたなら、少しだけ霧の中から霞んだ文字を読むことができる筈だと確信しております。
沖縄では、女子学徒隊として動員されたおばぁ(沖縄では、ほとんどの地域で"おばあさん"を親しみを込めてこう呼ぶ)が、語り部として当時の歴史を本土から訪れた人たちに話して聴かせています。
悲しいかな、その語り部の中には、ほんの数人だと思いますが真実とは離れた、ただ沖縄戦は悲惨だった、仲間の少女達は国によって殺された、二度とお国は戦争という過ちを起こしてはならない、と必ずしも悪意をもって言っているのではないにしても、そういう話をされる語り部のおばぁもいるという事を知っていただきたいのです。
⬇⬇【白梅学徒隊についてのお話 青山繁晴氏】YouTubeさんから。
【感動】天皇皇后両陛下が白梅学徒隊の生き残りと会った話 青山繁晴 - YouTube沖縄の
この動画のほかにも、女子学徒隊に関する動画は、YouTubeをはじめ、検索すればたくさんヒットしますのでそちらの方をご覧下さいませ。
長くなってしまいましたが、この辺でシリーズ沖縄①を締めくくりたいと思います。
次回【シリーズ沖縄②】は、琉球処分と沖縄独立について書かせていただこうかと考えています。
終わりまで読んで下さった方々に、感謝を申し上げます。m(_ _)m
次回も、よろしくお願い致します。🙇
@2677/ 9/ 4/ 草稿