aikokuken-ryuji 日々の草稿

日々aikoku=愛国.音楽大好きな犬=ken@10年20年もっと後の日本に世界に平穏あれ。

シリーズ沖縄②【沖縄は日本だ! 未来への架け橋的政策だった『琉球処分』と、沖縄独立運動の裏で蠢く売国奴の狙い】

皆様、こんにちは。aikokuken-ryujiです。 

 

さて、シリーズ沖縄として初の連載を試みた今回のブログですが、第二回は、今日沖縄県が日本の領土として日本の一部として2677年の歴史の恩恵の中に属しているそのきっかけとなった『琉球処分』と、昨今沖縄で絶えず騒がれている『沖縄を琉球王国として独立させる運動』の真意について拙いながらも書かせていただきます。

 


f:id:aikokuken-ryuji:20170908193915j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908193925j:image

ネットなどで『琉球処分』と検索してみると、ほとんどが琉球新報沖縄タイムスによる記事、また、琉球大学の左巻き教授による【明治政府と島津藩による琉球処分国際法上不正だった】などという記事が、ずらずら~っと出てきます。

琉球処分によって500年にもわたる琉球王国の歴史が壊された」「廃藩置県(後程説明します)で琉球は強制的に日本の支配下に置かれ植民地となった」これらの言い分は、必ずしも嘘の喧伝ではないにしても、真実であるかと問われればそれも躊躇すべきところです。

其の実、琉球処分については諸説あり、様々な見方がされる歴史上でも難解な史実です。

それを紐解くには膨大な時間がかかりますが、どんな問題でもそうですが、真実は一つしかないわけで、日本を愛する我々はその真実のみを認識できれば良いのです。

 

今回も、まず始めに資料としてのリンクを貼らせていただき、そこから皆様と共に学んでいきたいと思います。 

 

 ⬇⬇【目覚めよ、沖縄県民(1) 琉球独立派に屈するな 島袋 悠飛】 view pointさんの記事から。 


目覚めよ、沖縄県民(1) 琉球独立派に屈するな | オピニオンの「ビューポイント」

 

⬇⬇【目覚めよ、沖縄県民(2) 「沖縄は中華系」との誤認識を改めよ】

目覚めよ、沖縄県民(2) 「沖縄は中華系」との誤認識を改めよ | オピニオンの「ビューポイント」

 

⬇⬇【沖縄対策本部連続セミナー 第五回 ⑥ 琉球処分の真の意義  講師:仲村覚氏】YouTubeさんから。


沖縄対策本部連続セミナー 第五回 ⑥ 琉球処分の真の意義 - YouTube

 

⬇⬇【沖縄の真実  琉球王国の歴史と人物】YouTubeさんから。


沖縄の真実「琉球王国歴史と人物」 - YouTube

 

......これだけ貼ってしまったら、寧ろ僕みたいな若輩者がわざわざ論じたてて多くを語ることはないかな...?  と感じつつ萎縮しつつも、それはできないので(笑) 僕なりの考察を交えて書いていきたいと思います😅

 

まず、前述した『廃藩置県(はいはんちけん)』について概要だけ書かせていただきます。

 

🔎1875年(明治8年)、明治政府は「琉球処分」の方針をかためると、琉球藩に対して「琉球の王国制度を解体し、日本に属する沖縄県とする」ことを伝え、同年には処分官・松田道之(まつだみちゆき)を派遣して次のような命令をいいわたしました。


第一 ●清国との冊封朝貢関係を廃止して中国と断絶すること。

第二 ●新制度や学問を学ぶための若手官吏を派遣すること。

第三 ●日本の他府県にならって政治制度をあらためること。

第四 ●これらの改革を混乱なく実施するために鎮台分営(軍事施設)を設置すること、

 

これを受けた琉球藩は何の対策も見出だせないまま、日清両属的な状態を従来通り維持したいと嘆願するのみでした。

琉球の支配層の多くは、琉球が日本に帰属するとみずからの地位や身分、財産が危うくなるのではないかと考えていたのです。
しかし明治政府は、説得によっては琉球藩の対応がかわらないと判断し、藩王の逮捕をともなう武力行使による処分を決定しました。
1879年(明治12年)3月末、政府の命を受け、警官と軍隊をひきいて来琉した松田は、「琉球藩を廃して沖縄県を設置する」ことを王府に通達しました。

これが廃藩置県です。

これにより、旧琉球王国の土地・人民およびそれに関するすべての書類は政府に引き渡されました。そして、藩王尚泰(しょうたい)は華族の身分をあたえられ、東京に居住を命じられました。

こうして、琉球王国は、日本の領土として沖縄県になり、今日に至る  というわけです。


f:id:aikokuken-ryuji:20170908185231j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908185242j:image
写真上.処分官、松田道之  写真下.琉球王朝尚泰王

 

ですが、ここで歴史を認識する上で知っておきたい事は、、

 

琉球処分によって、争いが勃発し殺められた人命は皆無」な事。

 

明治維新の時とは違い、誰一人死なす事のなかった、それどころかこれだけ平和的な併合がかつてあっただろうか❔と思わせるほどの無血の取り交わしであったのですね。

事実、『琉球処分』によって平民は、清国に属し堕落しつつあった琉球王朝をはじめ、宦官の自己保身にも似た立ち回りから解放され、日本国の傘下にはいったという事は、琉球王国は滅亡というかたちをとってしまったけれど、また新たに日本に帰属したことで、他国の植民地にならずに済んだという事が言えると思います。


f:id:aikokuken-ryuji:20170908194826j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908194841j:image
当時、明治政府から廃藩置県を言い渡されたにも拘わらず、貿易の面では清国との関係がズルズルと続きどっちつかずな感じでした。

もし、琉球処分を通じて琉球王国沖縄県として日本に帰属しなかったとしたら、その内琉球王国は清国によって乗っ取られ、植民地化されてしまう危険性もなきにしもあらずだったとも言えるでしょう。

これはあくまで想像にすぎませんが、昭和の歴史を振り返ってみても、沖縄で様々な事件や騒動が起きているのをみても、そう考えざるを得ません。

祖国(本土)復帰に反対する運動や、以前のブログでもチラッと触れましたが、当時の皇太子殿下が、ひめゆりの塔を御訪問された時、左翼活動家が火炎瓶を投げつけた  などというふとどきな事件もありました。

この沖縄を語る上で外すことのできない『琉球処分』は、動画にもありますが、琉球国の平民を処分するでは無く、日本に帰属するのを拒んだ王朝や宦官の処分、、という意味合いで考えてみますと成程、琉球処分は今の沖縄県としての姿を見たら来るべき未来への架け橋だったのだとの推察ができるはずです。

 

何年か前に一人の女性の波瀾にとんだ人生を琉球王朝の激動の歴史と共に描いた『テンペスト』という映画(もとはテレビドラマ)を観た事があります。

内容は、琉球王国存亡の危機に立ち、時代の流れに逆らおうとは試みたものの、やはり叶わず琉球処分を経て、それでも我が運命を省みることなく最終的には、沖縄として新たな歴史の扉を開こう  といったものだったと思います。(うろ覚えでスミマセン😅)
f:id:aikokuken-ryuji:20170908230038j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908230307j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908230321j:image
その頃、僕は仲間由紀恵のファンだったもので観に行ったのですが、知らなかったいろいろな沖縄についての歴史が知れて、ますます沖縄に興味が湧きました。

詳細はあえて差し控えますが、DVDや原作本も出ているので、そちらの方をご覧下さい。

 

そして、先程書きましたが、沖縄の祖国復帰も同じ事が言えます。

日本が先の大戦で敗戦して以降、沖縄県は戦後30年余りにわたって米国の領土とされてきました。

本土の方は、昭和27年(1952年)にサンフランシスコ講和条約により主権を回復しましたが、沖縄は未だ米国政府統治下にあったままでした。

しかし昭和47年(1972年)5月15日に、当時の自民党総理大臣、佐藤栄作米大統領ニクソンとの間で話が交わされ、沖縄は祖国復帰を成し遂げたというわけです。

 

この事についてもいろいろ賛否両論がありますが、当時の沖縄県民の多くが、沖縄の祖国復帰を喜んだ、祝ったと聞きます。
f:id:aikokuken-ryuji:20170908205105j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908205133j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908205145j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908205156j:image
ただ、沖縄では復帰当時や復帰前も安保反対のデモや運動が盛んに行われ、『沖縄返還協議会』なる運動もありました。
これは、沖縄返還するなら沖縄から米軍基地を引き揚げるべきだと主張する団体で、決して祖国復帰を求めるものではありません。

沖縄が祖国復帰を遂げても、日米安保は生きておりましたので、当然米軍基地は沖縄に点在したままでした。

これに不満を抱き、反米・反基地運動を長きにわたり繰り広げ、それが今、辺野古移設問題、普天間基地問題を取り上げ、沖縄から米軍基地を無くせ!と運動、活動している左翼団体に引き継がれたかたちとなって沖縄の治安や秩序を揺るがしているのです。

 

沖縄県知事の、翁長雄志という人物が、その運動を支持し、公の場に於いても米軍基地撤退、辺野古移設反対などと知事自らプロパガンダを発信しているという、何ともおぞましい、恐ろしい状況が現在、沖縄に暗い影を落としています。

那覇市ゲートに建設された『龍柱(りゅうちゅう)』という龍を型どったような柱も、当時那覇市長だった翁長が作らせたものです。


f:id:aikokuken-ryuji:20170908210440j:image

これには、県民の血税である何億という多額の税金が投入されています。

まだ建設中だった頃、ネットや現実でも龍柱建設反対の署名活動などが多岐に及んでおりまして、僕も署名させていただいたりしてました。

途中、何度か建設中止になったり、中国から取り寄せたコンクリートの部材があまりにも脆く、所々ひび割れたり水漏れしたりといった指摘をされ、中止になったまま計画が頓挫すればいいのに......と思っていました。


f:id:aikokuken-ryuji:20170908210949j:image

しかしそれは遂に2015年、完成してしまいました😫💧

 

深い理由がわからない人たちの反応は、「那覇市にこんな建造物が作られたんだって。観光客増加のための県の政策の一環なのかな?」と浮かれ気味で取り敢えず認知しているようですが、何故、これ程までに龍柱の存在を否定するのか、建設反対を訴えるのか。

それは、龍柱そのものが支那にとっての沖縄分断工作にほかならないからです。

その理由を3つほど挙げますと、

 

①「龍」とは元来、中国皇帝の権力の象徴でありシンボルであるから。

②龍柱は、沖縄県庁に背中を向け、かつ中国大陸の方向に向いている。すなわち沖縄県民にも外方を向いている。

③龍柱の爪の数が5本ではなく、4本として作られている。(「5本爪」の龍の図柄は中国皇帝のみが使用でき、朝鮮など中国の冊封体制に入った周辺諸国は「4本爪」を用いてきた歴史があり、琉球王朝冊封を受け、首里城の龍柱は「4本爪」。そして今回の龍柱も「4本爪」だった。

 
f:id:aikokuken-ryuji:20170908232114j:image

 

以上の要素を含めて龍柱を見ると、これは明らかに沖縄県支那の属国であるかのような工作に見えやしませんか❗❔(# ゜Д゜)

翁長は中国福建省にも縁が深い人物で、知事としての発言などを聴いても、沖縄を支那に売り渡そうとしている、いわゆる売国奴の実像がデスマスクのように浮かんできはしませんか?
f:id:aikokuken-ryuji:20170908220140j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908220157j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908220208j:image
このハゲーー!!💢✨ヅラーーー!!💢💥と上の画像目にした途端、思わず叫んだ方も多いかと思います😂😂😂
前半、お堅い話で埋まってしまったので、ちょっとだけおフザケてみました(笑) スミマセン💦

 

話を戻しますと、翁長は権力に物を言わせ『オール沖縄』という組織を立ち上げ、米軍基地撤退、沖縄を琉球王国として日本から独立させる画策を着実とすすめています。

しかも、安倍総理に対しても一県知事の取る態度とは思えないほど尊大な対応をします。

毎年6月23日に沖縄県糸満市平和祈念公園で行われる、沖縄全戦没者追悼式では安倍総理に対して「帰れ!」などとヤジを飛ばすアホがいますよね。

翁長が言わせているのかどうかは知りませんが、当の翁長はなに食わぬ顔をしていても、腹の底では密かにほくそ笑んでいるに違いないと思います。

このように、沖縄の琉球王国独立を目論む連中の背後には、必ずと断言してもいいくらい支那中共政府の思惑が潜伏しているのです。

連日、尖閣諸島を中国の船が領海侵犯を繰り返しているのを見ると、支那は近いうち沖縄を我が物にしてやろうと虎視眈々と狙いを定めているのも頷けます。

そんな支那中共政府のイヌである親中派、翁長を筆頭とした沖縄県議連、反基地思想は沖縄県民の声だと決めつけて活動する極左活動家(事実として、この反基地運動に参加している反対派の殆どが、県民では無く本土から出向してきているプロ活動家)、彼らは間接的とは言えど支那の手助けをしているにほかなりません。

中には純粋な心の沖縄県民も、言葉巧みに騙され、反基地運動に参加する(或いはさせられる)など、その状況は危機的なものとなっています。

メディアと云えば、活動家達の支援を惜しみ無くやり、まるでそれが正しいことのように書き立てている偏向ばかりの報道しかありません。

おじぃやおばぁ達は、ネットなど見る割合はごく少ないと思うので、新聞やテレビで情報源を得るしか術がないのです。

それにつけ込んで、偏った情報しか流さないものだから、すっかり信じ込んでしまうのです。

まさに沖縄は日本で最も危険と汚辱に晒されているのです!!


f:id:aikokuken-ryuji:20170908223132j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908223225j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908223336j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908223534j:image
f:id:aikokuken-ryuji:20170908223608j:image

 

そうだったのか「沖縄!」

そうだったのか「沖縄!」

 

 ☝『そうだったのか「沖縄」』沖縄の現状が詳しく書かれています。仲村覚氏著、必読です❗



沖縄県民の皆様に、お願いします。

どうか、左翼の口車にのせられる事無く、自らのアイデンティティーを保持し、大和と共に沖縄は歴史を紡いでいかなければならない想いに立ち戻っていただきたい、琉球処分、祖国復帰を経て漸く日本のもとに帰ってこれたのだから、もう二度とその神聖な綱を手放さないで、支那に島を、魂(マブイ)を、心(チム)を売り払おうとしている輩に惑わされないで下さい!!!🙏

そうしないと、今からでも目覚め、本当の県民の声をあげないと、口車どころか石車に躓き沖縄は崖から転落する岩の如くゴロゴロとおちていってしまうのです。

どうか、どうか、お願い致します!! 


f:id:aikokuken-ryuji:20170909120923j:image
 

 

最後にまとめとして、琉球処分とよく比較される歴史に、日韓併合がありますが、これも当時の日本人の尽力によって基礎を築き、経済を発展させ大韓民国というひとつの国として再出発する事ができたのです。

すべては日本のおかげだったのです。

しかしながら、その恩を忘却の彼方に投げ捨て、反日抗日を国を揚げて国策としている韓国は、明らかに沖縄とは違います。

韓国なんかと比べるとは何事か!と憤慨された方には心よりお詫び申し上げます。ゴメンナサイ😥💧

沖縄は誰が何と言おうと、日本であることには変わりありません。

その想いを胸に、琉球独立運動を阻止する戦いに手を取り合い、僕も微力ながら学び、挑んでいきたいと思っております。m(_ _)m

 

この辺でシリーズ沖縄②を終わらせていただきます。

最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます。

次回は、少し政治的テーマを薄くして音楽の事についても触れ、かつ啓発的な内容とさせていただきたく思います。

次回もよろしくお付き合いのほど、お願い致します。🙇

 

                                 @2677/ 9/ 9/ 草稿