aikokuken-ryuji 日々の草稿

日々aikoku=愛国.音楽大好きな犬=ken@10年20年もっと後の日本に世界に平穏あれ。

『大は小を兼ねる』信念で大敵に打ち勝った男たちのストーリー

こんにちは。aikokuken-ryuji🐶です。

師走に入り、今年も残りあとわずか......。

思い残す事なく、最後まで突っ走っていきましょう❗

とはいえ、年末ギリギリまでお仕事でお忙しい方、29日くらいで仕事納めでゆっくりめな年末をお過ごしになられる方、様々だと思いますが、体調にお気をつけいただき、風邪等病気に苛まれませんようお過ごしいただきたいと若輩ながら、皆様のご健康を願っております。(*^^*)


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さて、長い間皆様にご愛顧いただきました、aikokuken-ryuji🐶の拙ブログも、今回をいれてあと2回で2017年を締め括らせていただきます。

今回のテーマは、『大は小を兼ねる  信念で大敵に打ち勝った男たちのストーリー』と題しまして、歴史上名高い、そして勇気ある男たちによるまさに時代を変えた武勇伝について二つほどのストーリーを書かせていただきます。✨✨

 

まずは、コチラをご覧下さい。 

 

⬇⬇【この漢、本物の勇者  高杉晋作の名言集 厳選】YouTubeさんから。


【この漢、本物の勇者】高杉晋作の名言集(厳選)【かつ魔王】 - YouTube

 

高杉晋作といえば......そう。坂本龍馬西郷隆盛と並ぶ幕末の志士として有名ですよね。


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この高杉晋作が、中心となって組織した戦闘部隊が『奇兵隊』です。

文久3年(1863年)の下関戦争の後に長州藩に起用された高杉晋作らの発案によって組織されました。

この諸隊の編制や訓練には高杉らが学んだ松下村塾の塾主・吉田松陰の『西洋歩兵論』などの影響があると指摘されています。

奇兵隊は、当初、外国艦隊からの防備が主目的であったとされ、嘉永6年(1853年)に、代将マシュー・ペリーが率いる黒船艦隊が江戸湾浦賀(現在の神奈川県横須賀市浦賀)にて来航、これまで鎖国を続けてきた日本に開国を求めてきた事件もあっての事からだと推察されます。
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そんな奇兵隊の隊員構成はというと、戦慣れしている武士ばかりの集まりではなく、なんと身分制度にとらわれない武士階級と、農民や町人などが混合されていたそうです。

奇兵隊の中にいた農民や町人は、誰でもこの国を守りたい、この国の為に役に立ちたいという志と熱き想いが強かったという事ですね。🔥🔥

ただ、袖印による階級区別はされていて、隊士には藩庁から給与が支給され、隊士は隊舎で起居し、蘭学兵学者・大村益次郎の下で訓練に励みました。

このため、いわゆる民兵組織ではなく長州藩の正規常備軍という事になります。

奇兵隊は体系的には、銃隊や砲隊などで組織され、高杉は泰平の世で、貴族化して堕落した武士よりも志をもった彼らの方が戦力になると考えていたとされます。

高杉晋作自体、幕末という時代の趨勢の渦中にあり、上記の黒船来航によって世界の脅威に我が国が曝されようとしている時、亡国となるをなんとしてでも防がねばならない!との強い、熱い想いが燃えていたのでしょう。

 

⬇⬇【高杉晋作が作り上げた奇兵隊とは】ひすとりびあさんから。


高杉晋作が作り上げた奇兵隊とは | ひすとりびあ 

 

この高杉晋作奇兵隊を連想すると、思い浮かぶのが『戊辰戦争』。

時の将軍、徳川慶喜が政権を掌握していた旧幕府軍と、新たな日本の明日を切り開こうとした新政府軍との戦いです。

ここで素朴な疑問w

何故、『戊辰』という言葉が使われたかというと、これは慶応4年/明治元年の干支が戊辰(つちのえたつ・つまり辰年)であることに由来するそうです。🐲❇

 

おわかりいただけましたか❔😂(笑)

 

さて、新政府軍の勢力は、薩摩藩長州藩土佐藩など合わせて約5000人ほどで、これに対し旧幕府軍は約15000人。

新政府軍は旧幕府軍の半数以下でした。

しかしいざ戦いとなると、初戦となる鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府軍の指揮系統に不備があったため苦戦、過半数以下の兵力であった新政府軍が勝利をおさめ、結果的に王政復古を掲げた新政府による新たな時代が幕をあける事となりました。
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(👆上の旗は、戊辰戦争の時に新政府軍が掲げたものです)

 

この戦いの一年前の慶応3年、争いを避けようとした徳川慶喜による『大政奉還』が行われましたが、結局、慶喜の思惑通りに事は運ばず、戊辰戦争が勃発しました。


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シリーズ沖縄②でも書きましたが、沖縄が今日、日本国に属していられるのも、新たな時代へ足を踏み入れなければならないと思い立った先人の想いがあったからこそ『琉球処分』によって、古くからの琉球王朝の腐敗しつつあった政治の統制する場所から逃れ、一歩前に出られる事となったのです。

この高杉晋作をはじめとした明治維新の幕末の志士たちの想いも、同じだったと思います。

いくら、江戸時代が泰平の世であり、何の変哲もない暮らしを営めたとしても、それでは同じ場所に立ち留まったまま。

国として、世界の広さを知る事なく井の中の蛙状態では、国は良い方向へと向かう筈が無い......我々は日本という国に生まれたのだから、世界に向けてその存在を知らしめると共に、亜細亜のリーダーとして日本を発展的な国にしていこう!  と、幕末の志士たちは考えたのだと思います。

だから、戊辰戦争勃発は、来るべくして起こったものだと。

新しいものを得るには、古いものはどうしても不要になってしまう。

捨てなければならない。でも、本当に不要なものは捨て、残すべきものは残し、新しいものと古き良きものを同時に活用できたなら、国や人々は漸く次のステップへと陽の目を見る事ができる。

高杉晋作の名言にもあったように、『百万の大群 恐るるに足らず   恐るるべきは我ら 弱き民一人一人の心なり』『苦しいという言葉だけは どんなことがあっても言わないでおこうじゃないか』

真の楽しさは、苦しみの中にあり、苦労し甲斐のある苦労をするよう心掛け、一人一人の信念が集まれば、大敵に勝つ事にもできる。

高杉晋作奇兵隊は、時代の駒を進め、良き国になるよう尽力され、その上に今の僕らが生きているのですね。

これらの言葉を忘れず、前に進んでいきたいですね。


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⬇⬇【第5週第6話戊辰戦争~敗者たちの幕末維新!  CGS 倉山満】YouTubeさんから。


第5週6話戊辰戦争〜敗者たちの幕末維新!【CGS 倉山満】 - YouTube

 

 

高杉晋作についての武勇伝は、ここで一区切りつけまして、、では、もうひとつのストーリーを......✨✨。

 

戊辰戦争勃発から数えること36年後の1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国ロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争......すなわち『日露戦争』が勃発しました。 

1895年のフランス・ドイツ・ロシアによる『三国干渉』を経、明治天皇の御英断により泣く泣く正当な権益の及ぶ領土を手離したにも拘わらず、それでもなお欧州の列強が日本に対して要求を突き付けてきた事から、明治天皇をはじめ大日本帝国軍、日本国民が『臥薪嘗胆』の言葉を胸に、ついに開戦に踏み切ったのが、日露戦争です。

帝国海軍・東郷平八郎元帥を筆頭に、秋山真之児玉源太郎乃木希典など一流の指揮官、軍人を中心に日本国の存亡と名誉をかけて大敵ロシアを相手に、決死の戦いを繰り広げました。


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写真:上から、東郷平八郎秋山真之児玉源太郎乃木希典。📷✨

 


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写真:上・二百三高地の激戦  下・日本海海戦

 

一年7ヶ月にも及んだこの戦争で、多くの死傷者を出しましたが、最後には日本が日露戦争に大勝利し、それまで欧米列強に奴隷扱いされ、植民地にされ不当な扱いを受けていた亜細亜の国々に、勇気と希望を与えました。 

 

亜細亜のちっぽけな俺らでも、本気を出せば大きな敵に勝てる!!」

 

事実、この日露戦争での日本の勝利をきっかけに、各地で自国の未来の為立ち上がり、同じように勝利を勝ち取り、独立した亜細亜の国がいくつかあります。

ですが、戦いは決して楽勝  というものではなく、本当に熾烈を極めたものでありました。

二百三高地については、僕も昔、仲代達矢主演の長尺映画をビデオにて観ましたが、兵隊が銃剣で突き殺されても、銃や爆弾で蹴散らされようとも、同じように突撃を繰り返し、その粘り強さが最後には功を奏し、旅順の二百三高地のてっぺんに日章旗を掲揚するに至りました。

開戦にあたって、大日本帝国軍の軍勢30万に対し、敵国ロシアは50万。

艦に関しても(シャレではありません😅ww)日本の23万トン、戦艦6隻に対し、ロシア側は51万トン、戦艦15隻と圧倒。

先の戊辰戦争のように、兵力は歴然たるものでした。

これにより、日本はロシアに短期間のうちに大敗するであろう  との喧伝が世界的に濃厚な中、戦略に戦略を重ね、大敵であるロシアを徐々に追い詰め最後には打ち負かしてしまった日本の底力。

鬨の声を上げ、大義名分と日本民族の滅亡を阻止する為、命を賭してロシアを敗った日本人の信念の結晶が見事輝き、今日の日本があるのも日露戦争での勝利があったおかげだと思わせていただきます。
 

⬇⬇【負けたら終わりの日露戦争  CGSねずさん 日本の歴史】YouTubeさんから。


負けたら終わりの日露戦争【CGS ねずさん 日本の歴史 10-9】 - YouTube

 


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「皇國ノ興廃此ノ一戦二有リ」との意味を含め東郷元帥の乗艦する旗艦『三笠』にZ旗を掲げ、強大なロシアのバルチック艦隊を殲滅した大日本帝国海軍、やられてもやられても、突撃を繰り返し、ロシア軍の歩兵連隊の包囲網をくぐり抜け見事二百三高地を奪取した大日本帝国陸軍の英霊様の魂は、高杉晋作奇兵隊戊辰戦争で幕末維新を実現させる為に戦った英霊様の魂とともに、靖國神社に祀られています。
是非、靖國神社にお詣りいただき、我が国を未来へと足を向かせた英霊様、国の存亡を食いとどめた英霊様を偲び、感謝を捧げていただきたいと願います。🙏

余談ですが、日露戦争をテーマにした映画を二本ほど挙げておきますので、機会がありましたら是非観てみて下さいませ。m(_ _)m

 

二百三高地 [DVD]

二百三高地 [DVD]

 

 

 

日本海大海戦 海ゆかば [DVD]

日本海大海戦 海ゆかば [DVD]

 

 

 

今回、挙げさせていただいたふたつのストーリーは、何も単なる歴史上の事だけではありません。

現代日本でも、このような戦いは人々の知らないところで続いているのです。

これらのストーリーに続く事柄として、1970年11月25日の三島由紀夫氏の割腹自決。

先月、東京の方で毎年行われている憂国忌があったのは記憶に新しいかと存じます。

 

憲法にがんじがらめにされている自衛隊の決起と皇室中心の日本の伝統文化の復活を命を擲って訴えておられました。

これも戊辰戦争で、新政府が掲げた王政復古に繋がるものがあると思います。

あともうひとつは、日本第一党の党首、桜井誠氏による在日朝鮮人反日活動に対する戦い。

反天連(反天皇制運動連絡会の略称)という、皇室・天皇陛下を否定する反日国賊集団と、桜井党首の戦いは、最初、反天連のデモ隊にカウンター抗議をする為わずか20人で反天連のデモ隊200人に対して訴えておられました。

今でこそ弱体化した反天連ですが、当時は桜井党首以下、抗議側にしてみれば大敵であった事が窺えます。

それでも信念を持って訴え続ければ、必ず道は開けるんだと信じて今でも戦いを続けておられます。

僕も含め、志を持つ日本人が声を挙げ、先人たち、英霊の方々の代弁者となって日本を良い方向へと導いていかねばならない必要に迫られているかと思います。

どんなに大きな敵が、目の前に立ち塞がろうとも、信念と志をもってすればいつの日か、必ず撃破する事ができる❗  そう信じて......。

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⬇⬇【歌  命尽きるまで】YouTubeさんから。


歌『命尽きるまで』 - YouTube 

 

 

今回も拙い文章のブログを最後まで読んで下さり、ありがとうございました。(*^^*)

感謝申し上げます。🙇

次回のブログで、2017年はひとまず最後とさせていただきます。

お体ご自愛下さり、素敵な冬の日を...😉✌🎶

 

                           @2677/ 12/ 15/ 草稿