aikokuken-ryuji 日々の草稿

日々aikoku=愛国.音楽大好きな犬=ken@10年20年もっと後の日本に世界に平穏あれ。

『絶対正義』と『絶対悪』についての超短編小説📖

皆様、こんばんは。aikokuken-ryujiです。

今回のブログは、前回の最後に書いた、仏教的な内容のブログを  と、考えておりましたが、ある事情で前言を撤回させていただき(男らしくねぇ...😩💧)、表題にありますように超短編小説的なものを思い付いたまま書かせていただきます。

 

まことに、申し訳ございません...m(_ _)m

 

もちろん、小説の類いなるものなので創作と現実の僕の気持ちを混ぜ合わせたものとなります。

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『梅雨時』

 

本木公二は、またも夜の街を徘徊(うろつ)いていた。

何か、眠れぬらしく自家の床の上に寝そべっても目がさえるばかりでどうしようもないので、横で静かな寝息をたてて寝ている細君を起こさないよう細心の注意を払って、玄関の戸をなるだけゆっくりと開け、閉める時も極力はでな音をたてずに閉め、外に出たとしても家を離れる際、履いている下駄の音にも気を使いようやく住宅街から離れ、商店街に続く一本道に躍り出たところであった。

20分ぱかし歩いたところで、本木氏は様々な光景を目にした。

本木氏がただ歩いていると、後ろから車がやってきて、自分を追い越す時に余程近かったのか、右腕にバックミラーが  がん  と当たり、それでもドライバーは知らん顔して行き過ぎていった。

尾灯(テールライト)の明かりで、ドライバーが女だとわかり、本木氏は  「ちょっ」  と不機嫌そうに舌打ちをしただけでその場をやり過ごした。

あと、若い恋人同士であろう若い男女が、自転車を走らせながら横に並んで会話をしているのを見た。

一本道は、そう太くもないので、後ろからきた車は少し立ち往生していた。

それでも若い男女は、避けようともせず楽しそうに会話をしながら自転車をのろのろ走らせていた。

本木氏は、学校の教諭でもないので、それでいて社会事業者でもないものだから、「君たち、自転車に乗りながらの会話は危険だよ。会話に気をとられて運転を過り、自分達や歩行者に危ないじゃないか」と一声かける道理も見出だせぬまま、じっとその様子を凝視していた。

かく言う本木氏は、今そんな他人にかまっていられるほど余裕のある精神状態ではなかった。

彼は売れない作家であるが、4日前にやっとテーマが決まり新作に取りかかろうと筆をとったところ、書き出しの部分がいっこうに書けないでいる。

テーマは「絶対正義と絶対悪」。

はてさて、この途方もない大きなテーマについてどう書こうか。すべては書き出しいかんで決まる。

書き出しが月並みやつまらない文章であったなら、読者は喰いつくまい。

いや、最初の二、三行読んだだけで飽きられて本棚にもしまわれず、部屋の片隅に放りっぱなしにされるのではないか...。

本木氏は、売れない作家ではあるのだが、そこのところが妙に物書きのプライドたる考えをもっているのであった。

 

しばらく歩いていると、本木氏は商店街に出た。

いつも見慣れてる店、道、街灯、ゴミ箱の位置などそれらはすべて頭の中に入っている。

思い出しただけで嘔吐を催しそうだ、、本木氏はそう思うくらいにこの街には長く住んでいる。

馴染みの商店街。よく酒を飲みにふらりと足を向けたものだ。

しかし、彼は飲み屋には入らず、コンビニで安酒を買い、夜風に浸りながら一人酒を飲むのを好んだ。

その方が安くつくし、なまじ一人身で飲み屋などに入り酒を飲んでも、高くつくばかりで気持ちが鬱屈としてくるのをつまらなく思ったからである。

物書き特有の孤独感というか、いや、人間誰でも独りになって考えたいと思う時が人生には何度かあるのだ。

本木氏も今は独りでいたい。悩みの相談など細君がいるのだから、いくらでもできるだろう  というのは青臭い純粋な異性との交際まだ浅い若者の考えにすぎないだろう。

夫というものは、そうみだりに妻に泣きすがったり、軽々しく悩みを打ち明けたりしないものだ。

悩みがあったとしても、妻にはグッと口をつぐみなんでもないフリをしようとする...一種、それが男のプライドたるものだと本木氏も例外なく抱懐していた。

 

本木氏はコンビニで安酒を買い、少しのつまみにとチキンもつけてもらい、店先でチキンを狂ったように頬張ると、酒を片手にコンビニを離れた。

ふと、薬局の軒下に来た。本木氏はどすん  とシャッターの前に座り込み、存分に酒を飲み、五臓六腑に隅々まで沁みわたらせた。

だんだん酔ってくる......頭がなんだか軽く感じられ、目がまばたきする毎に浮いてくるのがわかる......。

ふと、商店街に入る前の、いつも煙草を買っている煙草屋に通りかかった事を思い出す。

夜も遅いので、当然閉まっている。

二階の窓も閉まっている。月灯りに照らされて雨戸の光沢が妙に不気味だ。

そうだ、今は梅雨時なのだ。

しかし、雨はあまり降らない。今年も空梅雨なのか。

「絶対正義と絶対悪」についての思索をめぐらせている間も、原稿の前で苦しみながらもふと窓外を見つめ、雨じゃない......と気持ちを寄せた事もあった。

 

そもそも何故、本木氏は絶対正義と絶対悪についての小説を書こうと思い立ったのか。

それは、この世の中、絶対正義というものは無くてはならない心持ちだが、最近、絶対悪  という心持ちのある人間がさっぱりいなくなってしまったのだという事に気づいた。

絶対正義  は、何の見返りも報酬も求めない。一種のヒロイズム的な日本人のこころの奥底に眠る民族性といったものがそうさせているのだろうが、それに対する絶対悪  というものが今の世間には見当たらない。

現根の悪は、絶対的に「悪」にはなりきれず、悪を行使した暁にはそれなりの見返り、報酬が必ずある。

正義  という定義に生きる人たちの立場と悪  という定義に生きる立場。

それは寸分変わりないものだと。

しかし、「絶対」という文句が先立って修飾されると、それは悪  の立場にはもう無いのだと。

悪  は必ずしも自分の立場が 悪  であると思ってはいない。

正義から見る悪は、自らが正義だと思い込んでいる。

そこが些か厄介なところである。

本木氏も、そこに多少なりの瑕瑾(かきん)を抱き、今夜も自家で筆をとるには精神的に慮(おも)んぱかるところが発生し、こうして憂さ晴らしに夜の街をぶらぶら歩いているのだ。

一体、正義とは、悪とはなんなのか......。

 

正義は、正義であって昔のような『勧善懲悪』とかの思想や歴史があるが故に信用できる産物として人々にも理解できるのだが、悪が自分たちが正義と唱えると、それは悪でなく正義という立場で、一般定義の正義に抗うものになってしまうのか......。

そこで、本木氏は停頓してしまった。

 

彼の住む街には、多くのアジア系の外国人が我が物顔で住んでいる。

彼らは選挙権もない。いつ、どこからやってきてある日突如として日本に住みつくようになったのかも判然としない。

同時にこの国に無条件で住む資格があるのか、ないのかはそれはわからないが、少なくとも彼らが正義か悪かと問われれば、本木氏は正確な答えを見出だせないであろう。

今、正義と悪の思考の軋轢の只中にある彼には、その判断ができかねる心中にあるのだろう。

本木氏は、飲んでるうちに用を足したくなった。

しかし、公衆便所が近くにないので、仕方なくその辺ですることにした。

出物腫れ物......という諺があったなァ  と朧気な頭に浮かべながら放尿を終え視線を逸らすと、 Alley (路地裏)からもれる一筋の灯りが彼の目にとまった。

ふと、その寸分の隙間を一人の少女の影が横切った。

少女は、眼鏡をかけていて鞄を大事そうに抱えながら足早に消えていった。

もう片方の手には、ビニール傘を持っていたのもみとめた。

そうだ、梅雨時なのだ。

しかし、雨はあまり降らない。この矛盾が、本木氏の行き詰まる『絶対正義』と『絶対悪』の拮抗と似たような感慨を持たせるのだった......。

 

本木氏は、体はじゅうぶんに酔っているにも拘わらず、はっきりとした意識を閃かせながら、ゆっくり、、本当にゆっくりと足を歩ませながら愛しい細君の眠る自家へと歩き出した。

危ぶまれる帰路の中途中途で、下駄をカラコロいわせながら、本木氏は未だ雨の降りそうにない空に向かって一瞥を不穏そうに投げ掛けた。

 

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以上で初の短編的小説を書かせていただきました。

なんだか、終わりが中途半端な感じになってしまい、すみません💦

テーマに掲げた『絶対正義』と『絶対悪』についての言及は敢えてしないでおきます。

それぞれ、皆様のお考え次第におまかせしたいと思います。

突然の拙作を披露してしまい、まことにすみませんでした。

 

終わりまで読んで下さった方に、感謝申し上げます。

おやすみなさい。

 

                                @2677/ 7/ 11/ 草稿

現代日本における『伝導者』の必要性と、日本が救われる道とは......?

こんばんは。aikokuken-ryujiです。

そういえば、昨日7月7日は七夕でしたね🎋

皆様、何か願い事をされましたか?(*^^*)

短冊に何か願い事を書いて、笹の葉につるされましたか?

僕は特に願い事をしたわけではありませんが、短冊に書くとしたら「家族の幸せと健康」「日本の平和と平穏」あと「僕自身が良縁に巡り会える事」くらいですかねwww

ま、僕の願い事はともかくとして(笑)皆様の願い事はきっと彦星と織姫のいる天の川に届いていつの日か叶えられることでしょう。


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せっかくですので、下記リンクに七夕の彦星と織姫の事について少しだけ触れておきます⬇⬇⬇
http://dog-which-sings.com/1183.html

 

さて、今回のブログですが、前回に引き続き映画の話をさせていただきたいと思います。

と言っても、今回は映画の話はそこそこにして、今現代日本に於いて足りないものとは何か、またその足りない部分を補うものとは一体なんなのか、どういうものなのかを中心に書いていきたいと思います。

 

まず、映画の方を簡単に紹介させていただきます。

1972年に公開されたアメリカ映画『ポセイドン・アドベンチャー』です。
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これは小説の映画化で、小説の方は1969年にポール・ギャリコによって書かれました。

原作者のポール・ギャリコは、父がイタリア系、母はオーストリアからの移民というヨーロッパ系の血を引いている人物です。

代表作に猫になった主人公が繰り広げるファンタジー『ジェニィ』や、雪の発生から消滅までの過程を、人間(女性)の一生になぞられて比喩的に示した短編(中編)『雪のひとひら』など。

こちらは、卓抜な比喩が見事で、代表作の一つと見なされます。

『ジェニィ』や『雪のひとひら』などは取り上げるテーマが非常に繊細で、とても映画にするや否や"パニック映画"の代名詞と挙げられるほどの作品『ポセイドン・アドベンチャー』を書いた作家と同一人物とは思えませんよね。

ですが、それぞれを書いたのは紛れもないポール・ギャリコその人です。

ポセイドン・アドベンチャー』の内容を簡単に説明しますと、豪華客船が海底地震による影響で巨大な津波が発生し、その津波を回避しようとするもできず、まともにかぶってしまい81,000トンを誇る客船があれよあれよという間に、まっ逆さまに海上にひっくり返ってしまうのです。

その時の衝撃で傷つき死んでしまった乗客や船員がいる中でも、なんとか生き残った人たちは、船のパーサーが、救助が来るまでこの場所に留まろうと主張しますが、それを断固としてはね除け、船は逆さになってるのだから、登って行けば生きてここを出られるかもしれない  と言い出し行動を起こす人物が出てきます。

彼の名は、スコット。

映画では『目撃』(1997年  クリント・イーストウッド監督作)『クイック&デッド』(1995年)『許されざる者』(1992年)などで近年悪役を多く演じているジーン・ハックマンが存在感たっぷりに演じています。

(僕的にはアーネスト・ボーグナイン演じるロゴ刑事がキャラクター的に一番好きです 笑💧)


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⬆写真前列右から一人目がジーン・ハックマンです。

スコットは牧師ですが、あまりにも従来のキリスト教信者の思想とはかけ離れ、破天荒な持論を展開させている型破りな牧師です。

多くのキリスト教信者や牧師は、神にすがり、神を頼るもののみが救われる  といった教義が全体的に支配していますが、スコット牧師の持論は、神は多忙な身なので人間一人一人の事など気にしていられない。だから人間も神に頼るばかりでなく、自らの内なる神を信じよ  というポジティブなもの。

ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェのように、神は死んだ  とは言わないものの、自分の中に眠る自身の神を信じ、自らの勇気と力をもって困難を克服せよと言っています。

この宗教感が全体的に小説では、重要なキーワードとして描かれ、映画のように単なるパニック映画としてではなく妙に理屈っぽい描き方になっているのが映画との相違点ですね。

事実、小説と映画の決定的な違いはラスト近くの場面にあって、映画ではスコット牧師の自己犠牲によって今まで付いてきた人々が救助隊によって助けられ、めでたしめでたしといった結末なのですが、小説の方はスコット牧師の死について、また、何故乗り合わせた大勢の乗客の中で自分たちだけが助かったのか、などとパネルディスカッションを行い始めます。

たぶん、この場面はパニック映画としてはいかにも辛気臭いので省いたものと思われます。

 
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ここでスコット牧師についてスポットを当ててみたいと思います。


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映画(小説)の中で、スコット牧師は付いてきた乗客たちを全員生きて生還させる為に、様々な奮闘や思考を巡らせます。

聖職者という立場なのか、自分に課せられた運命を感じてという事なのかはこの際いいとして、圧倒的なリーダーシップを誇り、遂に船底までたどり着いたところで、自ら死を選んで皆を助けるに至った責任感というか、強固たる意志が僕の胸にはグッときました。

これはまさに、『伝導者』の鑑だと。

自分に付いてくる賛同者、何としても生きてここを出るという強い意志を持った者だけを身を以って引っ張り、進む途中で何人かの死を目の当たりにしたにも拘わらず、希望の火を決して消すことなく自分の最期の時まで助けたいと願ったまさに『伝導者』。


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僕はどちらかと言うと、キリスト教的教義よりも日本古来の神道仏教を重んじる方なのですが、神様については否定はしません。

エスキリストを信じるのとは違いますが、一般的に言われるいわゆる『神様』の存在を信じています。

僕の心の奥底に潜む信心深い性格ゆえでしょうか...(笑)

今の若者のように、信心深さを失って自分の快楽や悦楽だけに軽々しく身を焦がしているのを見ると、少し悲しくなりますね。

まぁ、若者だけに限って言える事ではありませんが。

 

さて、これらスコット牧師についての人物像を今の日本について当てはめてみたら、現代日本に足りないもの  というのは自ずと判然とすると思います。

 

今、日本という国は疲れ果て、傷つき、貶められ、真の日本としての日本、日本民族たる日本人の継続が危ぶまれています。

それは、反日勢力や在日支那朝鮮人、また、それらの国にとって都合の悪い事に口をつぐむマスメディア、国賊売国奴政治家などによってです。

現政権を執っている自民党も、過去に多くの過ちや反日、在日、特亜3国と呼ばれる国々に対して、必要な措置をとって来なかったばっかりに大きなツケを払わされる結果になっています。

NHKなどでも連日、安倍総理稲田朋美防衛大臣に対してのバッシングを繰り返し、まるで野党(特に民進党)の伝える声が国民の声みたいに報道しているのに我慢できない苛立ちが日々募っています。(-_-#)

NHKだけではありません。フジテレビ、TBS、朝日新聞毎日新聞東京新聞中日新聞、さらに沖縄では琉球新報沖縄タイムスの2紙が依然、県民の心を惑わしているのも事実です。
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これらの日本を傷つけ、貶める勢力に抗うには、政治のトップである総理大臣が毅然とした態度で以て、発言力と実行力を如実に示す事が国民にとっての政権与党支持のバロメーターに繋がるものだと思います。

しかし、未だ大きな成果を得られていませんよね。

僕は自民党支持者、安倍総理支持者でありますが、国のトップたる総理大臣が未だに靖國神社参拝を成し遂げられず、燻っているあたりが残念でなりません。

天皇陛下から直々に任命された総理大臣という職の重さには重々向き合っておられると思いたいのですが、下をあずかる国民としては歯痒いばかりが先に立つのも仕方ない事だと思います。


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日本は、自国を強い国、厳然たる伝統文化、歴史を誇れる国として導く『伝導者』の存在を今一つ感じられない状況です。

そうしてる間にも、反日勢力や在日による内側からの日本侵略、国家転覆を目論む者共によって傷つき、疲弊していっているのです。

 

我が国を昔のような強靭な国、世界に唯一無二の伝統文化をもつ、その事を国民全員が誇りに思う精神を取り戻すには、やはり『ポセイドン・アドベンチャー』のスコット牧師のような確固たる意志を持った指導者、伝導者が必要です。

僕としては、遂に憲法改正の必要性を説き始めた安倍総理を伝導者として信じたいところですが、もう一人の政界の救世主に安倍総理と同じように期待をかけている人物がいます。

 

日本第一党党首の桜井誠、その人です。

ネットに通じている愛国者や保守の方々にとっては、日本を守る最後の砦 といった認識高いまさに救世主。

桜井さんは、在特会(在日特権を許さない市民の会)時代から注目していて、この人ならきっと今の日本を変えてくれる❗と強く胸に感じています。

 
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桜井党首率いる、日本第一党は先日の都知事選で岡村幹雄氏という素晴らしい候補者をたてましたが、残念な結果に終わりました。

ですが、きっとまたどこかの場面で巻き返していただきたいですね。

僕としては、安倍自民党の右舷を日本第一党がとってくれたら、更に自民党公明党といい加減手を切り、日本第一党と手を結んでくれれば本当の意味で、日本を取り戻す第一歩を踏み出せると考えています。(^o^)/🎌 ✨

 

その日が実現するまで、我々国民は草の根運動を決してやめてはいけないですよね❗

国民は、真に日本の為に尽力していただける、考えて実行に移していただける政治家=指導者・伝導者の出現を心待ちにしているのです。

最も尊敬する保守論客、保守政治家の一人、青山繁晴氏がいつかの講演会で仰っておられましたが、「実際に国を動かすのは、政治家でも無く、総理大臣でもない。畏れ多くも天皇陛下でもそれはないのです。ならば誰なのか!?  それは僕たちです。僕たち国民の声なのですよ」と。

まさにその通りで、表面だけ見れば国民の生活は政治に誘導されているととられがちですが、その真意はすべて国民の総意によってでしか政治家は動けないのだと。

だから日本国民の一人一人が、愛国心を持ち、真剣に国を憂い、想い、日本を貶める傷つける輩と正面切って刺し違えるほどの覚悟を行使していただける政治家が出てくるのを、我々国民は活動の合間に常に祈願をしていなければならないものと思います。

スコット牧師=(屈強な志を持つ伝導者)の指導と鞭撻の下、船底から生還=(自虐史観からの脱却、愛国心の目覚め)するのは今ですよね❗

 

最後になりましたが、前述した『ポセイドン・アドベンチャー』の映画予告編をYouTubeにて掲載しておきます。

機会があれば、今回のブログの内容と重ね合わせて観ていただければ僕としても幸いです。σ(^_^;)

(蛇足......後年、『裸の銃をもつ男』シリーズなどでコメディアンとして有名となる名優、レスリー・ニールセンが船長役として出てるのも必見です 笑)
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The Poseidon Adventure (1972) Trailer - YouTube

 

次回は、キリスト教的教義から転じて、仏教について触れたいと思います。

最後まで読んで下さり、今回も感謝でございますm(_ _)m

 

おやすみなさい💤  素敵な夢を...(*´-`)

 

                                     @2677/ 7/ 8/ 草稿

映画って、本当にいいもんですねぇ~(*´▽`)

皆様、こんばんは😃🌃  aikokuken-ryujiです。

実は最近、仕事で足首を痛めてしまって...(><;)

その痛みが今日になって酷く痛みを感じるようになってしまいました💦

仕事してる構内では、出勤時からずっと歩きっぱなしなので無理もないですが。

各地域では、台風による影響で豪雨に晒されて大変な事になってますね。

台風一過とはいうものの、お気をつけ下さいませm(_ _)m

 

さて、今回は僕の趣味のひとつ、映画について書いていきたいと思います。

タイトルが、やや水野晴郎ぽくなってしまったのには笑って誤魔化すしかないので、皆様も素直に笑って下さい😂😂

 

皆様、映画はお好きですか?  僕個人の意見では、最近の映画はあまり良いのが無く、映画館に足を運ぶ機会も失しているのでありますが、映画という娯楽は実に人の心を癒し、鼓舞し、また励ましてくれるものですね。

ある映画では、忘れかけていた大切な何かを思い出させてくれる... またある映画では、堅苦しい事ぬきにして思いっきり笑い、楽しませてくれる... またある映画では、歴史の再認識と共に先人の強い想いを受け継いでいかなければ! と、半ば益荒男と化して今まで自分が知り得なかった何かを知り、奮起のきっかけを作ってくれる...  映画には、何にせよ人の心を惹き付ける強力なパワーが内在しています。

明日への活力とでもいいますか(笑)

 

僕は邦画、洋画問わず、ジャンルも問わず、過去にいろいろな映画をみてきました。

アクション、SF、サスペンス、コメディ、恋愛もの、ホラー、オカルト、戦争もの、法廷もの...etc.

あっ、法廷ものは映画としてはちょっと個人的に退屈ものなのであまり観ていませんが(笑)

しいて言えば、退屈しない法廷ものは『十二人の怒れる男』くらいですかね😂

1954年のにテレビ放映された作品を3年後に映画化したものです。

監督は『狼の午後』などの社会派シドニー・ルメット。主演はヘンリー・フォンダでしたね。

この映画は、日本でも2009年に開始された陪審員制度に因んで教材とされた事は、記憶に新しいかと思います。

 

今回のブログですが、毎度お馴染み僕の私的考察で、微妙に例えをいれつつ端的に紹介をさせていただきたいと思います。

挙げる作品は3つ。

まず、ひとつめは日本映画が世界に誇る巨匠、黒澤明監督による時代劇超大作『七人の侍』です❗


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この映画は、最初ビデオで観ました。

さすがにリアルタイムでは観れない(生まれてない...😵💧)ので、ビデオで観て、のちにDVDを購入しました。 

脚本に『砂の器』など名作の執筆も数多い橋本忍、御大の小國英雄、そして監督兼任の黒澤明の三人。

有名な『侍のテーマ』を手掛けた音楽担当に早坂文雄、そして出演者も三船敏郎志村喬、千秋實を筆頭にそうそうたるメンバーでしたね(*^^*)

ちなみに、海外でも人気が高く、翻訳で各国でも上映され大絶賛されました。


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ここに、日本映画あり! 世界のクロサワあり! と知らしめた作品でしたね。

内容をざっくり書きますと、戦国時代......戦の絶えぬ時代にある寒村が野武士(戦で負け敗走する中で、盗賊と成り下がった武士)の一団に目をつけられ、狙われてしまう。

野武士の襲撃を防ぐ為、村人は侍を七人雇い(雇うといっても飯を食わせるのを唯一の条件に)、多くの犠牲者を出しながらも侍と共に戦い、最後は野武士から村を守るといったもの。

かなりざっくりで、映画を知らない人は (?_?)って感じでしょうが、どうかお許しを😣

 

僕は黒澤明監督の映画は、けっこう好きで『用心棒』(1961年)『天国と地獄』(1963年)『どですかでん』(1970年)などいろいろ観てきましたが、この『七人の侍』は郡を抜いてましたね。

元々、アメリカの西部劇の名監督、ジョン・フォード(『駅馬車』『リオ・ブラボー』などのウエスタン活劇の名優・ジョン・ウェインを見いだした事でも知られる)の影響で西部劇のような時代劇を撮りたい!と黒澤監督が思い立ったのがきっかけと言いますが、徹底した時代考証や内容の根深さ、ダイナミックな撮影、勇壮なテーマ音楽、そして出演俳優の力演など、これぞ時代劇といった真骨頂なるものを感じずにはいられません。

それが功を奏してかアメリカでも『荒野の七人』として翻案され当時無名だったスティーブ・マックィーンチャールズ・ブロンソンジェームズ・コバーンらを一躍スターダムに押し上げた記念碑的作品となりました。

ちなみに『荒野の七人』の監督、ジョン・スタージェスの『大脱走』は19歳の時にビデオで観て、心酔した事をおぼえています。

 

この『七人の侍』の中で印象的なシーンがあって、それは集落から離れた橋向こうの家々まではとても守りきる事ができないので、辛いだろうが引き払ってくれと侍の頭である島田勘兵衛(扮するは志村喬)が言ったところ、百姓の一人が「馬鹿馬鹿しい!自分の家捨ててまで他人の家守る事はねぇだ!」と捨て台詞と共に槍を放り投げるのをみて、勘兵衛が放つ台詞。

「離れ家は三つ、対する集落は二十。三軒の為に二十の家々を犠牲にする事はできん。また、集落がやられて離れ家の生き延びる道は無い。戦とはそういうものだ。

人を守ってこそ、己も守られる。己の事ばかり考える奴は、己をも滅ぼす奴だ!」


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これには本当に熱いものを感じました。

自分の事ばかり考えて、連帯を崩すのは、ひいては全体の秩序なり結束なりを崩す事に繋がるものだと。

戦というものが何であるか。どんなに厳しいものであるかを身勝手な心構えの百姓たちに一喝をいれた勘兵衛はまさに圧倒的リーダーシップをもって挑んでいたものと思えます。

これは置き換えれば、侍側がアメリカ、そして百姓は日本だと考えたら、どうでしょうか。

アメリカは日本の各地に在米軍基地を置き、何かあれば日米安保条約の規定により即座に日本防衛の為に動いてくれます。 

しかし、守られる側の日本は何もしないで守られてばかりいるのは、やはりおかしい。

守る側にとっても、守られる側は誠意を示してほしいと思うもの。

それでいて日米安保は成り立っているのだと思います。

この点については、就任直後にアメリカのトランプ大統領が明言していますね。

日本から米軍基地を撤退させると。

しかし、これは日本側が自国を防衛する確固たる意志を見せるか見せないかを試したものだと僕は思いました。

元々は憲法9条をはじめとする日本国憲法は米国人が作ったものですが、当時指示したダグラス・マッカーサー元帥も後年、日本が憲法改正を未だ行っていない事に驚愕したとあります。

 

本当は、我が国に祖国防衛の為の正規の軍隊が認められていれば、わざわざ日米安保条約による在日米軍などは不必要なのですが、憲法9条があるおかげで日本は未だ祖国を守る術を得られないでいるのです。

だから、『七人の侍』で何の見返りもなく命を賭けて百姓、村の為に戦う侍に対して、何の危機感も無く己の事ばかり気にして、秩序、連帯を乱す左翼、お花畑には日本の現状を知ってもらいたいと思いました。


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⬇⬇『七人の侍』予告編 YouTubeさんから。


七人の侍(プレビュー) - YouTube

 

さて、次の映画に移りたいと思います。

次に紹介するのは、2005年に公開された日本映画『男たちの大和』です。

辺見じゅんによる原作を映画化したもので、物語は大東亜戦争末期に沖縄に海上特攻の名目で出撃した日本海軍最大の戦艦、大和の末路と乗組員の人間模様を描いたものです。


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長渕剛の歌う主題歌「男たちのYAMATO」「CLOSE YOUR EYES」も有名ですよね🎵

主演は反町隆史松山ケンイチ蒼井優中村獅童仲代達矢の面々で、鈴木京香中村獅童扮する内田守二等兵曹の養女役で、現代を視点に物語が進んでいきます。

戦艦大和については、今更言わずもがなでありますが、僕は何度見ても涙するシーンがあります。

それは、松山ケンイチ扮する海軍特別年少兵・神尾克己が遂に大和に乗船し海上特攻に加わる前日、蒼井優扮する神尾の同級生・野崎妙子が想いのたけを告白するシーン。

会話の流れは、こうです。

 

妙子「克ちゃん......大和は沖縄に行くんじゃろ?  克ちゃんも死ぬるんか...?

(涙が溢れ)嫌じゃ......!嫌じゃ......!!克ちゃん死なんといて!!死んだらいけんよ!!」

神尾「妙ちゃん......俺も、死ぬるんは怖い。でも、俺らが日本を救わなければならんのじゃ。だから行くんじゃ......」

妙子「私......克ちゃんが、克ちゃんの事が好きじゃ......」
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書いてる途中で、涙が......😢

ごめんなさい💦   このシーンになるといつも涙が出てきます。 

特攻隊のブログでも触れましたが、当時の若者は国の為なら自分の命を擲ってでも死闘の限りを尽くしました。

それだけ切羽詰まっていたのです。それでもやはり人の子。死ぬのは恐い。それでもやらねばならぬ。

これを今の若者と比較すると、どうでしょうか。

三島由紀夫をテーマのブログで載せた動画にも、「今の若者は、死を恐れてはいますが、生が死の前提であるというのには疎い」と言っていますね。

恐らく、今の平和ボケした世界に生きる大半の若者は、果たして国の未来の為、大事な人を守る為に自ら死を選ぶ事ができるでしょうか......。

国家に殉死する、、それは個人の生命尊重の立場で物を言う人たちには、到底わかり得ない事だと思います。

国家、国ありきの国民、生活と深く考えるべきです❗
f:id:aikokuken-ryuji:20170705221709j:image戦艦大和に乗船し、その命を散らした3333余名の英霊様に対して、合掌。

 

⬇⬇『男たちの大和/ YAMATO』予告編 YouTubeさんから。

https://youtu.be/mn_zLLTgpcs 

 

では、最後の映画に移らせていただきます。

それは平成14年に製作されましたが、左翼や政治的圧力により僅か2日間で上映禁止となってしまった幻の映画。 

そう、『凛として愛』


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監督、ナレーションを勤めた 泉水隆一監督は平成22年7月15日に逝去されましたが、関係者の努力で、DVDやYouTube で日の目を見ることになりました。


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この映画は、日露戦争から大東亜戦争、さらに満州国建国、南京事件の嘘、通州事件の真実、盧溝橋事件、そして神風特攻隊の歴史にまでも詳細に描かれていて、まさに真実の歴史を知りたい者は本作を観よ!と豪語してるかのような充実した内容となっています。

戦後、GHQによる占領下で日本人魂を骨抜きにされ、『ちょうちょ』『我は海の子』『兵隊さんの汽車』などの童謡唱歌をも書き換えられ、さらにたった2週間足らずで制定された法律専門家でもない米国人による日本国憲法により今日まで我が国は、すべての事にがんじがらめで政府や国にとって多くの禍根、問題を残し、それが尾を引いて今でも解決されないままでいます。

些少ながら本来の日本を取り戻す活動をされている組織、政党も存在するものの、やはりGHQの意志を受け継ぐ勢力の力は甚大なもので、新聞メディアなどあらゆる媒体を駆使して、日本という国を貶め、傷つけてきました。

僕も20代後半までお花畑で過ごしてきたもので、本当の事を知るのはネットなくしてなし得なかったものと思わせていただきます。 

そういう意味で、お花畑精神からいち早く離脱し、真実の歴史を知るにはこの『凛として愛』を観るのが一番の近道だと思います。


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冒頭の画像をいくつか掲載させていただきましたが、この画像を順にみていってもわかるように、日本人が目覚める時はまさに今なのです❗🎌

 ⬇⬇下記リンク『戦後、改竄された童謡唱歌』

http://itakiso.ikora.tv/e1055868.html

 

⬇⬇下記リンク『戦争に翻弄された童謡唱歌』ヤフーブログさんから。

https://blogs.yahoo.co.jp/y0_yamaguchi/24100974.html

 

まずは『凛として愛』を観て下さい。

そして、真の歴史を知って下さい。

必ず日本人としての自分に覚醒し、この国を守る為にはどうすれば良いか...という素朴な疑問に突き当たるはずです。

また、これを観て、感動しない日本人は一人もいない事を自信をもって公言したいです。

 

⬇⬇『凛として愛』ノーカット版 YouTubeさんから。

https://youtu.be/r2zwu_1bqIg

 

先日、東京都議選挙が行われましたが、僕が支持する日本第一党からの候補、岡村幹雄氏も残念ながら落選してしまい、小池百合子知事率いる「都民ファーストの会」による一人舞台で自民党も大敗を喫してしまいました。

小池知事は、豊洲問題についてあまりにも長い間取り上げすぎ、都民の血税の何億円もの大金を無下にしてきました。

これについて、都民の皆様はどう思っておられるのでしょうか...。💧 

右派左派思想を越えて、意見は様々に別れると思うところですが、真に日本人の為に粉骨砕身していただける議員、知事が現れてくれるのを切望するばかりでございます......。

 

今回は映画について肩の力を抜いてのブログにしようと思ったのですが、結局政治、時事について語ってしまいましたね💦

でも、やはり危機感を無視できない状況に今の日本はあると思ってしまうので、締め括りはこのような感じになってしまいました。

 

今回も、拙い文章のブログを最後まで読んで下さり、ありがとうございました🙏

毎回、読んで下さる皆様には、感謝しかありません。

若輩者ではありますが、これからもご愛読のほど、よろしくお願い申し上げますm(_ _)m

おやすみなさい💤

 

                                 @2677/ 7/ 5/  草稿

 

『親孝行と親不孝』現代の家族の在り方について、考える

皆様、こんにちは☀  aikokuken-ryujiです。

今日は、暑いくらいの晴天に恵まれた行楽日和の日曜日となりました(*^-^*)

皆様は、どのように過ごされるのでしょうか...?   お出かけされる方は、熱中症にじゅうぶんお気をつけ下さりますように、お願い致します🙏

 

さてさて、今回のブログ更新ですが、最近政治ネタや時事ネタが多いですので、少しそういうのから離れて、人間が必ず経験する『親孝行』と『親不孝』について自分の事も交えて書いていきたいと思います。


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よく「孝行したい時に親は無し」という言葉を聞くと思います。

これは本当にそうだと思います。幼い頃より、親に育ててもらい、可愛がってもらい、親のおかげで学校にも行けて、成人するまでの間、本当に一生返しても返しきれないくらいの恩恵をいただいて、生きてこられた事実。

ですが、さぁ!社会人としての自分も確立できたし、これからは親孝行するぞ!  と思い立った時に、何故か親が急逝したり、うまくいかなかったりするものです。

そういう経験については、読んでおられる方々もあるかと思います。

ですから、上記の「孝行したい時に親は無し」というのはとてもわかる気がします。

 

僕は中学を出て、父の仕事を七年間手伝ってから勤めに出たのですが、それまでもけっこう両親にただならぬ苦労をかけたと思っています。

今でも思い出すのですが、僕は中3の時、いじめを受け登校拒否になり、ずっと家に籠りきりでした。

両親は、ともに仕事に出掛けて夕方まで帰らない時間を、悶々と過ごし、時にはこんな自分が嫌で仕方なく狂ってしまうくらいに苦しんだ事も多々ありました。

中学の担任から電話があるたびに、母は電話口で謝りながら泣いていたのを思い出すと、今でも胸が痛くなります。

こんな親不孝を繰り返してきた僕ですが、中学を出てから父の仕事を手伝い、その後就職し、仕事は転々としつつも社会人として、今に至れるということは、これは突き詰めて考えるに、親の力以外にないと思います。

 

親がいてくれたからこそ、自分がいる...。

 

両親のご先祖様が血を繋げてくれたからこそ、自分がいる...。


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でも、なかなか口に出して感謝を示したり、あからさまな行動で親に感謝する、親孝行するとかができない自分がいます。

何故、こんなに素直になれないんだろう......

いつも歯がゆい気持ちでいっぱいです。

まだまだ殻を破れていない自分がいるという事でしょうか...(-_-;)

 

日本の昔の民話に『姥捨て山』という話があるのはご存知かと思います。


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ある国の殿様が、年老いて働けなくなった者を不要として山に遺棄するようにというお触れを出し、ある家でもお触れに逆らえず泣く泣く老親を山に捨てにいこうとします。 

 山に老いた親を捨てるために背負っていく際に、親が道すがら小枝を折っている(あるいは糠を撒いていく)のを見た息子が、何してるのかと尋ねると、「お前が帰るときに迷わないように」と答えます。自分が捨てられるという状況にあっても子を思う親心に打たれ、息子はついに親を連れ帰る決心をします。

他に、年老いた親を捨てに行く際に子供も連れて行きますが、担いできたもっこごと親を捨てようとします。

すると、子供に「おっ父を捨てるときに使うから、もっこは持って帰ろう」と言われ、親を捨てる非道さに気付き(あるいはわが身に置き換えて思い知った恐怖から)姥捨てをやめるという内容の物語が海外でも多く流布されています。

親を捨てる......普通では考えられない発想ですが、役に立たない者は見捨てる、使えない者は切る、というこの考えは、現代社会にも深く根付いているひとつの資本主義的思想ですね。

資本主義的社会に於ける学歴重視、雇用制度にもそれは顕著にみられます。

昔と違い、今では企業からウェルカムではなく、こちら側から求めていかなければならない程に若い人たちの間でも、なかなかやりたい仕事に就けない、妥協して妥協して、やっと仕事にありつく...といった現象が右往左往しています。

それだけ、今の社会は物質的に行き届いている  という事でしょうか。

もちろん、働く側も社会貢献やその会社に貢献する為に頑張らなければならないのは、言うまでもない事ですが、企業側が常に胡座をかいているのは、どうかと思います。

 

少し話が横道に逸れましたが、「親を捨てる」という行為は、どんなかたちでもひいてはご先祖様や両親に対する恩を仇で返すといった事になりますよね。

少子高齢化社会の厳しい社会環境ではありますが、そんな時代だからこそ親と子の絆というものを大切にしていきたい、大人と若者の距離がいくら縮んだ世の中といえども、親しき仲にも礼儀ありで目上の人には尊敬の念を抱く  こういった事が今の世の中では非常に稀薄になってきていると思います。

 


「親捨て」論 金美齢氏、小沢遼子氏、呉智英氏ら賛否│NEWSポストセブン

 

⬆⬆上記で紹介させていただいた台湾人で日本に帰化された金美齢さんは、憲法改正や日本の真実の歴史について発言や著作なども多く、多方面で活躍をされている方です。

金美齢さんの著作に『凛とした子育て』というものがあります。

機会があれば、是非これから親になられる方や、若い人から子供のいる親御さんも読まれてはいかがでしょうか。

きっと、何らかの答えを導き出してくれると信じています。

 

凛とした子育て (PHP文庫)

凛とした子育て (PHP文庫)

 

確かに、思春期や第一次、第二次成長期には子供にとっては親の存在がうっとおしく感じるもの。

僕もそうでしたし、実際そういうのが重なったりいじめを受ける中で、結局両親に迷惑をかけてしまいました。

でも今はこうしてなんとか働く事もできている事は、決して自分一人の力なんかではなく、親の子を想う気持ちであったと思います。

 

【親が子を想い、子が親を想うーー】

 

この言葉は、子供の時から聞かされていました。

でも一口に「ええ言葉やなぁ。その通り」と頭でわかっていても、心でわかる事ができなければ何にもならないのではないか......。

僕なんぞは、何でも頭でわかろうとするタチなので、心で感じる  想いをひけらかす  事に真実味を感じられず躊躇してしまう時もあります。

それじゃダメなのはわかっているのですが(笑)

 

この【親が子を想い、子が親を想う】という言葉は、言い換えれば............

 

【皇室が国民を想い、国民が皇室を敬う】

というシノニム(同意義語)にも置き換えられるのではないでしょうか。

2600有余年の間、この日本という国に平安をもたらし、国民の生活の安定と平穏を何代にもわたって願い続けてこられた天皇陛下と国民の絆は、古事記にある國譲りから始まった時から、神武天皇が即位された頃からすでにその堅い絆は、あったのだと推測します。


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特に歴代天皇の中で、仁徳天皇の『民のかまど』というお話には国民と皇室の、深い絆と信頼関係がわかりやすいエピソードとしてネットや書籍などで紹介されています。
⬇⬇仁徳天皇『民のかまど』にみる聖帝物語 YouTubeさんから。

https://youtu.be/KbeqYy8iXyk 

 

そして、親子、家族について語る上で忘れてはならないのがアニメ『サザエさん』ですよね(ベタな話題、キター❗って感じ? 笑)


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戦後、ベビーブームなどが訪れ大所帯な家庭が増えましたが、その後の家族形態というものがある時代から、まったく一変してしまったと言ってもいいくらいの状況に晒されてしまいましたよね。

 

そう。お察しの通り、その名は核家族化。

 

戦後日本の家庭は、両親や祖父母との同居が著しく減少し、現在に至るまで核家族化が進んでいる状態です。

この頃から次第に、お年寄りの孤独死や青少年の犯罪とかが増えてきたんじゃないのかな...?(´^`;)

つまり、昔の家庭には、両親が共働きの場合でも、家に祖父母がいて子供の面倒をちゃんと見てくれて、時には若い親では、なかなか知識が及ばず、教えてあげられない礼儀作法やお伽噺などもしてくれて、子供にとっては物凄く大事な存在であったのです。

今のように、会社に行く前に、幼い子供を保育所や託児所などに預ける必要などもなかったわけですね。
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それが今や、親や祖父母は自分たちの生活から切り離してひとつの家族を形成する事が主流のように思われていますから、施設にも入れない老人が寂しく孤独死したり、また、若い夫婦は仕事にかまけて子供をちゃんと育てられなくて、その事で悩み、生活破綻したり、育児ノイローゼにかかってしまう若い母親などが何人も出てきています。

子供にしたって、そういう環境で育てば余計な自立心が変な風に芽生えてしまい、親の心配そっちのけて悪い友達と付き合ったり、結果的に満足な愛を与えられず育った子供達は、最悪の場合、犯罪など犯したりもしかねないですよね。

核家族というのは、いくらでもそういう危険性を想定できるくらいに深刻な問題です。

先に話した姥捨て山に話を戻すと、やはりけしからん事ではありますが、各々の家庭の経済的な問題もまったく介さずに考えるとなると、そこは様々な思慮が交錯するわけです。

そこへもっていくと『サザエさん』はまさに日本古来の生活様式、理想の家庭環境にあると考えられます。

祖父母がいて、親がいて、その強固な庇護下で子供たちは安心して成長期を謳歌する事ができるのですね。

おっと! 猫のタマも立派な家族の一員です(笑)   タマの存在は、子供たちにとって非常に「癒し」という効果による祖父母や親に次ぐ重要な立ち位置にいますよね!(≧▽≦)

 ⬇⬇下記リンク【アニメ・サザエさんから学ぶ家族団欒の在り方】

https://www.google.co.jp/amp/s/toshiakiakamine.wordpress.com/2012/05/14/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%82%A8%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E5%AE%B6%E6%97%8F%E5%9B%A3%E6%AC%92/amp/

 

1970年代に起こった『コインロッカー・ベイビー』などの事件や、幼い子供を駐車場の車中に置き去りにし、ショッピングやパチンコに平然と出掛ける若い親による幼児死亡事件もあとをたたないのを見ると、やはり親と子の絆が薄弱なるものとなってしまっているのは否めない、悲しい世の中となってしまいました...(T_T)
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今からでも遅くはないと思います。

本来の日本の家族の在り方を根本から見直して、精神的支柱を建てていくのができないわけじゃない。

まず日本人としてのアイデンティティーを胸に刻み、親に感謝し、ご先祖様に感謝し、自分の存在の証となる存在を生み出し、力の限り寵愛する。

 

今、続々と中国人などが日本に増えてきています。

北海道ではどんどん土地が中国人によって買われ続け、尖閣諸島では中国人の軍艦などが連日領海侵犯を繰り返しています。

敬愛する百田尚樹さんの『カエルの楽園』の終末観漂う世界が、現実になろうとしている今、我々日本人は、守るべきものを守り、変えるべきものは変え、無くすべきと思う制度は無くなるよう運動を起こさなければ、日本民族に明日はないものと思います。

かつて、明治天皇が仰られた『もろともに たすけ交はしてむつびあふ 友ぞ世に立つ力なるべき』

(訳=共に助け合い睦び合い切磋琢磨して向上していく友がいてこそ、世に出て活躍する力となる)

『何事におもひ入るとも 人はただ誠の道を踏むべかりけり』 

(訳=何を行うにしても 誠(まこと)の道を歩きなさい)

とのお言葉を感慨深く思いつつ胸に秘め、生きていかなければならないと思います。
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もうすぐしたらお彼岸ですね。

皆様、お墓参りをお忘れなく❗(という僕は、最近あまりお墓参りできていない...  😵💦)

今回も、最後まで読んで下り、ありがとうございましたm(_ _)m

(結局、最後は時事ネタ、政治ネタになってしまったのは、お詫び致します🙏💦)

 

                       @2677/ 7/ 2/ 草稿

 

 

 

 

 

憂國の志士、三島由紀夫氏の国防意識と国を想う熱き志についての私的考察🔎

皆様、こんにちは😃  aikokuken-ryujiです。

今日は朝から用事で出掛けていました🚙💨

来週からは大阪でも天気がぐずつく模様で、天気予報をみても☔☁などのマークがズラリ(笑)

沖縄では梅雨明けしたと聞き、大阪ではここにきて雨かい!  とツッコんでしまいましたww

 

今回のブログですが、昔から個人的に思い入れのある、ある人物について書かせていただこうかと思いました。

まだ二十歳前後だった僕は、その人の本を読み本気で小説家を目指そうかと思ったくらいに、小説の面白さ、華麗に奏でられる文章と世界観のハーモニーに正直取り憑かれてしまったくらいです。

しかし、そこは非凡と平凡の差。僕はついに諦めてしまいました(笑)

でも、小説を書く(自分で物語をつくって書き出す)楽しさ、面白さは残っていて、前はノートによく短編とか書いてました。

 

その、ある人物とは...  読んでおられる方は、もうお察しかと思います。

戦後の文学史上に燦然とあらわれ、後世に足跡を残した作家・三島由紀夫氏です✨✨


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三島由紀夫(本名・平岡公威)氏は、1947年(昭和22年)、東京帝国大学法学部を卒業後、22歳で大蔵省に入省。

大蔵省では、仕事と執筆活動の二重生活を送っていたそうです。

が、その翌年、作家として生きる事を決意し一年ほどで大蔵省を辞めました。

直後に処女作『仮面の告白』で衝撃のデビューを飾り、ここから"三島文学"が世に放たれる事となりました。

 

僕が小説を読み出したきっかけは、小・中学生から国語の教科書に載っていた物語を読むのが好きだった事に起因するのですが、学校を出て働きだしてから、三年あまり過ぎた頃からいろんな本を読むうちに、三島由紀夫氏の『仮面の告白』にたどり着きました。

まだ若かったせいか、文章で使われている字引を読まないと理解できないような言葉遣いや知識があまりわからなくて、困りましたが物語の終盤あたりで性に不能となった主人公が、従姉か誰かと束の間の情事(といっても抱き合って接吻しただけw)を交わすところの文章が非常に生々しく感じられ、興奮したのをおぼえています😂

そんなこんなで、『仮面の告白』を読んで「これは面白い❗」と思い次々と三島文学に傾倒していきました。

今まで読んだ三島由紀夫関連の本や雑誌です📕📖
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な~んや、たったこれだけ!? とバッシング受けそうな少なさですが💦これだけでも、三島由紀夫という人物を理解するには充分だと僕は思っています。

もとい、三島由紀夫という人は、単なる一小説家だけのひと括りでは語るに乏しい人物です。

愛国者、保守の間でも三島由紀夫氏の存在は特別ですよね。

そこに三島由紀夫氏の文学的魅力なり人間的魅力なりが垣間見られるのだと感じています。

 

三島由紀夫氏をテーマとしたブログは、検索してもたくさん出てきます。

それだけ三島文学や三島由紀夫その人を信奉、または愛する人が数多くいらっしゃる事ですね。

情報量や深淵な痒いところにまで手が届くほどに書かれているのを読むと、本当に僕なんか足元にも及ばない若輩者だと改めて自己認識してしまうほど半端ないです。

そんな中で比較すると、僕の書くブログは本当にお粗末で三島由紀夫を語るには不十分すぎるところも露見するかもしれません。

でも、一人の三島由紀夫氏に想いを馳せる立場として拙いながらも今回のブログのテーマに掲げさせていただきました。

 

ここで書かせていただきたいのは、三島由紀夫氏が、1970年11月25日、45歳の時に東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地のバルコニーでの演説後、総監室で壮絶な割腹自殺を遂げられた経緯から生じる三島氏の日本を我が国を憂いた心情と行動、そして熱い想いと志についてです。

三島由紀夫氏は、今から40年も前から現行憲法を改正する事、戦後の日本に表象される危機意識の無さ、平和ボケした国民、続々と持て囃される横文字と欧米文化を無条件でそれを奨励する事で、古き良き日本の伝統文化の概念が失われつつある事に懸念、不安を抱いておられました。

また、左翼学生にもただ敵愾心を抱き批判するだけでなく、大いなる同情の念をもってあれこれ評論してこられたのも、やはりそこは三島氏も自身で標榜してこられた「武士道」という心から表れたものだと思います。

その両者の関係を端的に表してるのが1969年の三島由紀夫氏と東大全共闘学生との討論会です。

1969年(昭和44年)5月13日の火曜日の午後2時頃より、東京大学教養学部900番教室の会場に集まった約一千人の学生と約2時間半にわたって討論が行われました。主催は東大全学共闘会議駒場共闘焚祭委員会(代表・木村修)で、前日の5月12日から「東大焚祭」が開催されていて、13日に三島氏が招かれ、約二時間半にわたり三島由紀夫氏と東大全共闘学生とのパネルディスカッションが行われました。


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討論は全共闘学生側のあまりにも飛躍しすぎた哲学論に阻まれ、あまり実ある内容ではなかったようでした。

角川文庫から出版された『討論 三島由紀夫VS東大全共闘  美と共同体と東大闘争』を読みましたが、後年読み返したり当時の模様をYouTubeなどで見る限り、学生側が持論や哲学論を展開しすぎて、結局双方とも何を語り合いたかったのかが判然としませんでした。

しかし、当時デカルトニーチェに影響されて哲学に興味があった二十歳前後の僕は、読みながら文字の横に線を引いたり...💧

ホント、勉強熱心でした(笑)
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今となっては、どうしてこの部分を線引っ張ったのかわかりかねますσ(^_^;)

この時、三島由紀夫氏は腰に短刀を忍ばせて出掛けて行ったそうです。

何かしらの決心があったのでしょうか...。

 

さらに三島由紀夫氏は、1968年10月に『楯の会』なる自警団的な祖国防衛を主旨とする会を組織します。


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楯の会』名称の由来は、万葉集防人歌の「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ吾は」(詠み人:今奉部與曾布〈いままつりべのよそふ〉)と、江戸末期の歌人・橘曙覧の「大皇の 醜の御楯と いふ物は 如此る物ぞと 進め真前に」の2首に由来するのだそうです。

三島由紀夫氏自身、江戸時代に流布された侍の心得的な書物葉隠れ』を耽読しており、「武士とは、死ぬことと見つけたり」の有名な文言にある生と死についても深い洞察を試みておられます。


三島由紀夫さんの貴重なインタビュー映像です。 - YouTube

この中で、「今は民主主義の罷り通る時代なので、大義名分により侍として潔く死ぬことができないでいますが、人は何かしら自分の為に生きるのではなく、人の為に生きるのを宿命としている」とありますが、三島由紀夫氏にとっての「人の為」というのは国家、皇室、また日本の伝統文化を守り抜く(=保守)ことだったと僕は認識しています。

よく言われる「保守」の語源はまさに三島氏が言っていた事だと思います。

 

ここから1970年のあの事件に繋げたいところですが、少し話を戻してみたいと思います。


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1961年(昭和36年)1月には『憂国』を発表、小説発表の4年後には、三島氏自身が監督・主演などを務めた映画も制作されました。

内容は、有名な二二六事件を題材に取り上げ、仲間の将校が反乱に手を染めるのをよしとせず、一人同志の申し出を断った主人公が、妻との狂おしき情事のあとで割腹自殺を遂げるといったもので、これぞ三島文学の行き着くところ "武士道とは" になるのだと思いました。

映画は近年YouTubeで(検索してそのまま再生したら何故かドイツ語verでした 笑💦)、小説も昔に読みましたが、どちらも分野としては画期的で特に小説は文字のひとつひとつがまるで血が滲むような切迫感と絶望的リアリズムの筆致で、主人公が腹を切るところの文章などは、すごく恐ろしいくらいに詳細に書かれていて、身震いがした程でした。

さらに驚愕すべきは、映画化にあたって数ヵ国で翻訳され、それを見越してか三島氏は各国用に脚本も自身で執筆され、言語もフランス語、ドイツ語などといった言葉を用いて書かれたそうです。

 

『驚くべきことに、ワグナー(『トリスタンとイゾルデ』)はこの日本の影像(イメージ)に最も深く調和している。そしてこの日本の影像の持つ、肉惑的であると同時に宗教的なリズムは、西洋のこれまでに創り得たもっとも美しい至福の歌の持つ旋律構成に、すこぶる密接に癒着しているのである。
— ベルナアル・アーメル「ヌーヴェル・レプブリック」紙』

 

ここまで三島由紀夫氏の事を話しても、まだまだ話し足りなく、僕も歯がゆい気持ちでいっぱいなのですが、あまり長々と書くのも、読んで下さる方にとって疲れると思うので、あと少しだけ...少しだけお話させていただきます🙏💦

 

三島由紀夫氏は幼少時から類い稀な文章力を持ち、僅か11歳で日の丸についての作文を書かれていました✨✨(; ゜▽゜)☆

 

下記リンクを参照⬇⬇⬇

http://world-fusigi.net/archives/8333731.html 


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恐るべし公威少年❗🎌

この頃から、祖国に対する深い愛情と常人離れした卓越した文章力の片鱗を見せつけていたのですね。

三島由紀夫氏は、作家になるべくしてなった宿命的な人だったのかもしれません。

 

僕は今回のブログを書く資料として、過去に読んだ『若きサムライのために』の中の興味深い一章「安保問題をどう考えたらよいか ー猪木正道氏との対談」から三島氏の唱える『自衛隊二分論』について読みました。

書かれていることは、本当に我が国の現状や現行憲法がいかに祖国防衛意識を軽薄にし、蔑ろにしているかを憂慮している人でなければ、決して語ることのできない貴重な話が展開されています。

三島由紀夫氏が、市ヶ谷自衛隊駐屯地のバルコニーから呼び掛けていた「シビリアン・コントロール」の事を思い出します。

 

文民統制(ぶんみんとうせい、シビリアン・コントロール、英: civilian control of the military)とは、文民たる政治家が軍隊を統制するという政軍関係における基本方針であり、軍事に対する政治の優先を意味する。

 

すなわち、自国を防衛するのは、自国民でなければならないという祖国防衛論のまさに極論ですよね。

三島由紀夫氏は、1960年当時の自民党総理大臣、佐藤栄作首相に苦言を呈しています。

このまま、日米安保条約のもと、アメリカの傘下でアメリカに守られている今の日本を憂いていると。

本当ならば、在米軍なんかいらない、自衛隊さえ国防の意識をもって他からの圧力や手枷足枷なくして、行動ができるのであれば、自分たちの力で祖国日本を外敵から守るべきであると強く言われています。

本当にその通りだと思います。

よく考えてみて下さい。アメリカはもともと先の大戦を誘発した張本人で、アメリカなど白人国家がアジア諸国を植民地化、厳しい経済制裁などしなければ、アメリカが戦勝国、日本が敗戦国となる歴史など存在しなかったのです。

映画「ターミネーター」などを観ていると、それがわかります。

過去を変え、未来の歴史を良い方向に変換できるのならば......と。

 

しかし、過去はかえられないもの。

今は、純粋に日本を愛し、守ろうという気概を持って日本国家を転覆させ、侵略しようと目論む外敵(支那中共、韓国、北朝鮮などの特亜3国ww)から我が国を守ろうと行動を起こさなければなりません。

そうする為には、三島由紀夫氏のような憂國の志士のかつての熱い想い、志、声をネットや書籍などで拾い、我々自身が勇気を蓄えなければならないと思います。

 

若きサムライのために (文春文庫)

若きサムライのために (文春文庫)

 

 機会があれば、是非一読してみて下さい(*^-^*)

 

今、憲法改正の議論が国会議員の中でも熱してきて、国民が関心を持ちつつあります。

この期を逃してしまっては、二度と我が国は憲法改正できないものと思わせていただきます。

テロ等準備罪共謀罪を成立させた安倍政権です。きっと、憲法改正も成し遂げてくれると一抹の期待を抱いています...。

 

三島由紀夫氏は、1970年11月25日正午をまわった頃、バルコニーでの演説を終え「天皇陛下万歳❗」と万歳三唱してから総 監室に引っ込み、誰に言うともなく、「20分くらい話したんだな、あれでは聞こえなかったな」とつぶやきました。

そして拉致していた益田総監の前に立ち、「総監には、恨みはありません。自衛隊天皇にお返しするためです。こうするより仕方なかったのです」と話しかけ、制服のボタンを外し、武士道に乗っ取った大義名分のもとの潔い死に方「切腹」を選び、45年の生涯に幕をおろしました...。

三島由紀夫氏は、クーデター(一部ではそう呼ばれています)をもってして死ななければならなかったのか?  国の在り方や自衛隊の現状を憂いるなら、死よりももっと違った表現の仕方があったのでは?  と言う方がいますが、ならばそうした事で、何か変わったというのでしょうか!?

敢えて死を選ばず、作家として作品を書き続けていたなら、三島氏自身は裕福な一生を終えていられたのかもしれません。

ですが、それではいけないと思い立ったからこそ、あのような行為に出たのではないのですか!?

先に書いた、自分の為に生きるより、何かほかの事、ほかの事の為に生きる方がよっぽど日本民族として理にかなっている  とまで熱っぽく語る人が、自らの生活様式だけ重視して平穏な一生を遂げるのを望んではいなかったのだと思います。

それは、葉隠れの著者が「武士道とは、死ぬことと見つけたり」と書きながらも自分は潔い最期を迎えられず畳の上で死んでいった事への三島氏の述懐にも見られます。

誠に勝手な解釈なのですが、三島氏の最期は、僕的にはあれでよかったのだと思います。

そうする事によって、三島由紀夫氏を崇め奉る信者のような人や、三島氏に殉教する人の事を、必ずしも認めるわけではありませんが、僕は作家としても我が国を憂國し、祖国防衛、憲法改正を危機感をもって唱えていた三島由紀夫氏を尊敬しています。

 

何に関しても、大事なのは危機感です。

危機感なくして、政治や世界情勢を広く見渡す事は不可能だと思います。

三島氏は先んじて危機意識が、人よりも格段に強かったがために『楯の会』結成に至り、石原慎太郎氏と対談したり、自衛隊に何度も出入りし、『憂国』を書き、撮り、そして最後の市ヶ谷自衛隊駐屯地のバルコニーから憲法に囚われない自衛隊決起を呼び掛けたのだと。


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最後に、1970年11月25日の市ヶ谷自衛隊駐屯地バルコニーでの三島由紀夫氏の演説の一部の動画を掲載させていただき、締めさせていただきます。 

本当に、三島由紀夫氏のような命を賭して国を守ろうとする憂國の志士が、政治家の中に現れてくれるの事を期待します......。

 

https://youtu.be/xG-bZw2rF9o

 

今回も拙いブログを最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました m(_ _)m

 

                                @2677 /6/ 25/ 草稿  

 

カルト教団『創価学会』の闇について

こんにちは。aikokuken-ryujiです。

最近、仕事が忙しく体が疲れ気味です😣💦

僕の今やってる仕事は、朝6時から始まるので4時半には目を覚まして朝食をすませ、5時過ぎには家を出ています。

週5日で休みは2日もらえていますが、仕事内容がけっこう体使ったり常に動いている仕事なので、毎日疲れます。

ただし、労働時間は9時間拘束の8時間労働、つまり6:00~15:00まで。

あとはフリーダムで、疲れた体を休めつつTwitterをみたりYouTubeみたりしています(笑)

もう6月中旬だというのに、大阪では雨があまり降らない日が続いています。

今年は(も?)空梅雨なのかな❔と思いつつ懸念されるのは、水不足。

昨年、東京では梅雨時にほとんど雨が降らなかったようで、東京在住の友達がえらく心配しておりました💦

今年はどうなんだろうか......。

 

いろいろ冒頭で雑談を展開してまいりましたが、そろそろ今回のブログのテーマにうつらさせていただきます。

 

今回のブログは、『神社・仏閣について』→『日教組について』→とくれば...!

なので、前回のブログを公開後にすぐに次回のブログのテーマが頭に閃きました。

今回は......ズバリ!  『カルト教団創価学会の闇』と題しまして、世間の知られざる新興宗教創価学会』の闇にスポットをあてて、毎度お馴染み、僕個人の考察と真実を絡めながらお話ししていきたいと思います。

 
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創価学会といえば、法華経系の在家仏教の団体で、国内に公称827万世帯を擁する新興宗教である。「創価」とは「価値創造」の意味。創価学会は価値の中心に「生命の尊厳」の確立を置き、それに基づいた「万人の幸福」と「世界の平和」の実現を目標としている。 

設立は1930年(昭和5年)、旧名は『創価教育学会』でした。

「生命の尊厳」「万人の幸福」と唱えるあたりは宗教全般にあたる人類救済と至福を示していますよね。

創立時は、意外とマトモな新興宗教団体であったのかもしれません。

しかし、2代目会長の戸田城聖が1954年(昭和29年)に政治、選挙に関わった事から1964年(昭和39年)、公明政治連盟(のちの公明党)を結成して、宗教が政治に介入、干渉するといった事態が起きてしまいました。

設立時は「政治を監視するため」との主旨で結党されたのですが、日本国憲法第20条に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と記されています。

これは明らかな憲法違反ですよね。

まぁ、広義から言えば日教組民主党も、日教組カルト教団だと見据えれば立派な憲法違反ですけどね(^_^;)
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だからといって、創価学会がカルトであるという証明にはなりません。

創価学会が今までどういう事をやってきたのか......人々や世間に一体どういう影響を及ぼしてきたのか。

あまりにも事案が多すぎて、ここで挙げるのは困難ですが、僕の私見による立場からいくつか挙げてみたいと思います。

 

まず、折伏大行進(しゃくぶく だいこうしん)について。

当時日蓮正宗の信徒団体であった「創価学会」が当時第2代会長であった戸田城聖の下で1951年(昭和26年)から推進した大規模な勧誘運動。 

この中で一方的に強硬な勧誘をされた人がたくさんいます。

その中の一人は自殺にまで追い込まれているといわれています。

僕としては許せないのが、思考能力の鈍ったお年寄りや精神病患者など心身ともに月危弱な人たちに詰め寄り、信者がその対象者を囲み、折伏を行った事です。

そうやって無抵抗な人間を会員として数を増やし、創価学会は一大勢力を得て、巨大な新興宗教の組織として発展していきました。

しかも、折伏した人の中には、子供が病気で「信心すれば必ずよくなる」と言われ、藁にもすがる思いで入信したにも拘わらず、毎日必死で信心したのに我が子が亡くなってしまい、それを先輩に言ったところ、「あなたの信心が足りなかった」と一蹴されたとの話もあります。

「信心が足りなかった」まさに殺し文句ですよね。

 

そして次は、3代目創価学会の会長となった、池田大作についてお話したいと思います。


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話す前からいきなり、このような画像を出してすみません(笑)

なんせ、池田大作は初代会長の牧口常三郎、2代目の戸田とは比べ物にならないほどのワルですから。

何故、池田大作がワルなのかと言うと、池田大作は1960年に創価学会会長の座につき、1979年に会長を退いて、名誉会長に就任。

その後は、目立った活動をみせず座談会などで会員がDVDをみせられる程度だそうです。

ネットでは、すでに死んでミイラになっているとの情報をよくみますwww

池田大作は、もとヤミ金業者で、かなり悪どい取り立て屋をしていたといわれています。


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もっと驚くべき真相は、池田大作はな、なんと!日本人ではなく韓国人であるということ。

通名池田大作 本名=ソン・テチャク(成太作)。

これはネットで検索すれば、かなりの確率でドンピシャリです。

実際、日韓友好など聖教新聞(創価学会の機関紙)で例の『世界平和』に乗っかって喧伝しています。

僕の友達に、もと創価学会員がいますが、その子の母親は、池田大作は信者の主婦にいやらしい事をしているとの噂を聞き、気持ち悪いと言っていました。

脱会した後、何度も自宅にやってきて、恫喝を受けて怖い思いをしたと言ってました。

 

僕も友達が創価学会員だった頃、選挙当日にまだ選挙を済ませてないと言った端から、近所の同じ地区の学会員のおばさんを呼んできて、「選挙まだなん?そらあかんわ!車で投票所まで送ってあげるわ」と半ば無理矢理車に押し込まれそうになったので、慌てて逃げた事がありました。

違う日に、友達に神社でお詣りしようと持ちかけましたが、神社にはお詣りしたくない...と拒否られました。

 

座談会では、未会員が訪れるときまって口のたつ学会員数名が未会員の方を取り囲んでしつこいくらいに説法や勧誘話をすると聞いています。


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脱会者を出すのは各ブロック、地域の長をつとめる人の恥として認識され、脱会していく者、意思表示をした者にストーカー行為、恫喝、脅迫行為をする。これは完全に常軌を逸しています。

過去の強制折伏と合わせて考えれば、合点がいきます。

創価学会は、フランスなど各国ですでにカルト指定を受けている危ない教団なのです。

 

下記リンク⬇⬇【マスコミが報じない!創価学会系企業のまとめ】

https://matome.naver.jp/m/odai/2133663191140833401 

 

また、この話を持ち出すとヤバイと周囲の人によく聞きます。

いわゆるタブーなのでしょうね。(前回の最後に追伸でタブーに触れてみたい  と銘打っていました 笑)

何故タブーなのか!?  その答えは芸能界や各主要メディアにありました。

中でも一番酷く侵食しているのは、ほかでもない芸能界ですね。

ざっと挙げてみただけで久本雅美山本リンダ雪村いづみ柴田理恵高橋ジョージ三船美佳上戸彩石原さとみ......エトセトラ、エトセトラ......   と、数多くの著名人の名が羅列されてしまいます。

この方たちは、テレビでもよく見かけますよね。
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これはネットでみた話なのですが、ある某芸能人が創価学会に入信しろと多数の久本雅美の配下(笑)の芸能人がひつこく詰め寄ったが返事はノー。

その結果を配下の一人が久本雅美に報告し、ほどなくして勧誘を断った某芸能人は番組を降板させられ仕事も激減したらしいです。

これが、芸能界の真実です。某芸能人だけでなく、ほかにも入信を拒否した芸能人は、見事に干され、テレビでもあまり見かけなくなってしまいました。

すべては久本雅美いかんによって仕事の有無が決まるわけです。

創価が絡んでなくても、芸能界というところはズブの素人にとっては異世界。トンデモナイところだと察しがつきますが、これはまさにヤバイです(# ゜Д゜)💦

 

そしてこれはかなり前の事件なのですが、芸能界で創価学会の手により、二つの巨星がc墜ちました。

ひとつ目は、J-POP界黎明期の人気アーティスト、尾崎豊

そしてもうひとつの巨星は、日本映画界の鬼才、伊丹十三


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二人はどちらも、公には「自殺」となっていますが、実は謎だらけです。

ネットで調べた僕の考察から書かせていただきますが、二人は明らかに創価学会に謀殺されたのだと思います。

 

まず尾崎豊。彼は奥さんが熱心な創価学会員で、夫が突然創価学会の事について疑いをもったのをきっかけに妻は、創価学会のお抱え暴力団後藤組』に夫の暗殺を持ちかけた......。

ちょっと突拍子な話ですが、ネットで見た限りの僕の私的考察は、このように行き着きました。

亡くなった時、体にいくつもの痣があったのも、後藤組の何人かに襲われて暴行を受け、命からがら自宅近くまで逃げ帰ったのだと思います。
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そして、伊丹十三監督の死ですが、伊丹監督は前作「マルタイの女」でカルト教団の脅迫と恐喝について触れておられましたよね。


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これは過去に「ミンボーの女」公開時に伊丹監督が暴漢に襲われた時と、警察に数日間『マルタイ=○対』として身辺保護を受けた時の実体験を描いているにすぎません。

伊丹監督が、狙われた理由とは何か...?

それは監督の次回作に答えがあります。

伊丹監督は「マルタイの女」の次回作は、創価学会をモデルに新興宗教を問題視する作品を企画していたのだと。

それを創価学会に嗅ぎ付けられ、例によって後藤組が派遣され、伊丹監督にワインを飲ませまくり、泥酔酩酊状態にしておいて、屋上から自殺に見せかけて突き落として殺した......。 

 

これらが真実であるかどうかは、僕にもわかりません。

ただ、可能性(Possibility)があると記述しているだけです。

真実か否かを決めるのは、各個人です。

僕は、これらの創価学会による陰謀説を信じています。

 

創価学会は、 1975年(昭和50年)には創価学会インタナショナル(SGI)を発足させ、日本を含む世界192カ国・地域に1,200万人を超える会員を擁しています。

今ではSGIとして世界に創価学会を認知させようと必死です。

残念ながら、上記にも書いた通り何ヵ国がカルト教団と指定しています。(笑)

僕の住む地域には、近くに創価学会の会館が多数みられ(東京都信濃町に住んでいるのではありません😂 笑)地域住民も多くが創価学会員だと思われます。
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でも、僕は大声で創価学会や韓国を避難したり、友達と話していますが、今まで一度としてストーカー行為や暴行を受けた事はありません。

よく創価学会は恐ろしい、関わるのをやめろと言われますが、彼らは尾崎豊伊丹十三を消したように都合の悪い事を公にされたくないが為に手段を選ばない連中です。

週刊新潮も、創価学会の闇について雑誌に掲載したところ、翌日学会員が買い占めて燃やしたという事件もありました。

彼らは、洗脳によって自己を保ち、洗脳によってでしか会員を懐柔できない惰弱な一新興宗教団体とかわりないのです。

統一教会天理教、韓国ウリスト教団、幸福の科学など危ない宗教団体が軒ならびにある中、創価学会は一番危ないと知られた宗教団体にすぎないのかもしれません。

 

【在特会】「桜井誠」 洗脳カルト宗教団体「創価学会」を語る - YouTube

 

ほかにもパヨク、極左活動家、売国奴議員、反日企業、法務省、外務省など大規模にわたって我が国を貶め、傷つけ、中には金をせしめて欣喜雀躍する者まで発生している今日この頃。

共謀罪、テロ等準備罪の可決により、一部のパヨク、お花畑が半狂乱になっていること。

これらを推して知るべきです。これが現実社会に蔓延している「悪」なのです。

自分の周りでは何事もない、自分の周囲は平和だからいいや  と知らんぷりしている時ではありません。

日増しに我が国は、売国奴によって貶められ、国家の名誉を傷つけられています。

その事に気づくべきです。今の日本人は❗

 

テレビを見るのをやめて、ネットの情報を取り入れ、何が間違ってて何が正しいのか...見極める時は今です。
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今回も、拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました(*^^*)

まだまだ書きたい事があるのですが、今回はこれにて失礼致します🙇

 

                               @2677/ 6/ 18/ 草稿 

日教組の自虐史観と反日思想教育による、日本解体の危険性を考える

こんにちは。aikokuken-ryujiです。

いつも僕の拙い文章をお読みいただきまして、ありがとうございます🙇

本当は、より多くの方々に読んでいただきたいと思っておりますので、もっとうまく、わかりやすく書きたいところなのですが、何故かうまくいかず毎回悔やむばかりです。

これからはもっと文章力に磨きをかけ、かつわかりやすく書いていけるよう精進致します。これからも、よろしくお願い致します。m(_ _)m

 

前置きが長くなりましたが、さっそく今回のテーマにうつらせていただきます。

今回は日教組(にっきょうそ)について書かせていただきます。

日教組とはなんぞや?  と思われる方は今や少数派だと思いますが、よく知らない方のために簡単に説明させていただきます。

 
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🔍日教組(『日本教職員組合』の略称)

英語:Japan Teachers' Union、略称:JTU)は、日本の教員・学校職員による労働組合の連合体である。教職員組合としては日本最大であり、日本労働組合総連合会(連合)、公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)、教育インターナショナル(EI)に加盟している。また、かつては旧社会党共産党及び民主党、その後は民進党社民党の支持団体の一つであり、両党に組織内候補を輩出している。 

 設立は1947年(昭和22年)6月、終戦の日より2年後といったあまりにも早い時期でした。

組合員数は、約24万1000人(平成28年6月30日現在)であり、地方の教育委員会などの親分にあたる日本の教育組織で最大のものです。

この組織団体は、今まで何をしてきたのか。

ここからは僕の主観で書かせていただきますが、彼らの今までやってきた事といえば、教育の現場に於いて主に「第二次世界大戦時の日本の蛮行を教え込む」「先の戦争を起こした張本人は日本の帝国軍、また多くの中国人、朝鮮人を差別し虐待し虐殺した」などといった事ばかり。

もちろん『南京大虐殺』なんぞは本当にあった歴史的事実として日本の汚点のひとつだと教科書にも記載されています。

社会科の授業では、近代史になると途端にこういう事を先生は息巻いて教えるのだそうです。

すべては日教組の差し金であると思われます。

さて、これらの歴史は史実においてすべてデタラメ、捏造、嘘だというのを知る事は、昔ほど困難ではありませんよね。

ネットが全面普及している今の世の中ですから(笑)

しかし、この嘘の話を小・中学校では未だに熱心に教えている教師が全国にゴマンといるのですね。

僕の通っていた小・中学校も日教組な感じの先生がいました。それで僕も日本軍は当時朝鮮人にひどいことをしたと教えられた記憶があります。

今となっては、それは嘘だったと認識していますが。

太平洋戦争(正式には大東亜戦争w)は、史実では決して日本が領土拡張、アジア侵略のために起こした戦争ではなく、すべて自尊自衛のためにやむなく起こったものなのです。

有名な真珠湾奇襲攻撃(パールハーバー)を敢行したのも、欧米列強の無慈悲な日本への経済制裁が困窮したからこその苦渋の決断だったのです。

この辺は学校の授業では決して習いませんよね。

ですが、これこそが真実の歴史なのです。

あと、南京大虐殺事件ですが、これは公開されている写真などを専門家が検証したところ、すべて捏造、嘘であると結果が出ています。

一部で有名なアイリス・チャンの書いた『レイプ・オブ・南京』などはまったく歴史的信憑性はゼロで、多くの写真が捏造であるとネットでもたくさんあげられています。

 
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その後、自分の書いた著作の内容が間違いであった事を悔やんでかどうかはわかりませんが、2004年11月9日、アメリカのカリフォルニアで自らの頭を撃つという悲劇的な最期、拳銃自殺を遂げました...。

彼女は、彼女なりにいろいろ悩んでいたのだと思います。死人にくちなし、、今となっては死を悼むばかりです。😢

 

感傷に浸ってばかりはいられないので敢えて厳しく言わせていただきます。南京大虐殺事件というのは歴史には存在しないのです。

当時、南京に進行した日本軍のおかげで地の治安は以前とは比べものにならないくらいよくなったということです。

ですから、これらの先生が学校で教えてる歴史は嘘ですよね。

あと、許せないのは特攻隊についての学校での教え方です。

わざわざ、特攻隊のフィルムを視聴覚室かどこかで生徒達にみせて、出撃し、敵空母に体当たりして炎上するところをみて、生徒達の中から、どっ❗と笑いが起き、先生も同じように笑い「バカだよなー」て感じで煽るのです。

「皆もこのように命を粗末にするんじゃないぞ」「お国のために死ぬなんてナンセンス」

こんな授業......信じられますか?  日本の未来永劫の平安を願って特攻隊の方々は散っていかれたのですよ!?

それを笑い物にするなんて...悲しくて、涙が出ます!!😭

同時に怒りさえ湧いてきます。

本当なら、我が国の未来のために尊い命を犠牲にして散っていかれた  と教えられないのか!?  特攻隊の人たちは、君達の未来のために死んでいったのだ  と言えないのか!?

非常に残念でなりません。どうして、こういうデタラメな教育が成り立つのか...それは、すべて日教組の間違った教育方針が元凶となっているのです。

 

日教組は、かつて「ゆとり教育」という教育法を標榜し、2002年~2010年頃にわたり、一貫して厳しい教育などをしないようになりました。

教師による体罰の問題も、ジェンダーフリーフェミニストなどから問題視されていた事もあってか、このゆとり教育は8年にもわたって学校教育の中で施行されてきました。

結果は、社会に適応できない、大人になっても子供心がぬけきれない、何に関しても深く考慮しない、思慮しない、平和であったならすべてOKな自立心の欠片も無い下らない人間を多く輩出(排出? 笑)してしまっただけですよね。

俗に言う「社会不適合者」

彼らは学校側の方針によって人間の本分さえもまともに理解できない惰弱な人格を抱え、実際社会に出て、右往左往して苦しんでいます。

それもこれも、すべて日教組の誤った教育方針が原因なのです。


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ハァ!?(゜Д゜#)  何言ってんの!?💢💢💢

 

そして彼らの間違った教育、歴史の授業で言えば自虐史観を教え込むことで誘発する危険性とは何か。

ハッキリ言って、日本解体です。

 

日教組、ひいては日本の大半の先生が、上記にしるしたような事を日常で教えていたら、子供たちは日本を自然と嫌いになり、日本人である事を恥ずかしく思い、国家から目を遠ざけてしまいます。

日教組は、それを最大の目的としています。

子供たちに、日本は悪い国だったと教えることで、愛国心を失わせようとしているのです。

 

日本の自虐史観は、戦後のアメリカ占領下でGHQによる政策が主に挙げられますが、まさに日教組GHQの意志を連綿と引き継いでいると言えるでしょう。 

これについては、高橋史朗氏著作の『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』に詳細が書いてあります。

日教組の事も多少書かれていますので、よろしければご一読をお勧めします🎵

 

 さて、日教組の許されざる所業をいろいろと語ってまいりましたが、この組織を潰そうと声をあげ、草の根運動をされている愛国者、保守の方々もおられますが、この団体を亡き者にするにはとても巨大すぎて、なかなかできません。

と言うのは、日教組を潰すには民進党も同時に潰れないと難しいのです。

何故なら、民進党の支持母体は、ほかならぬ日教組だからです!!


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民進党(旧民主党)の支持者は、統一教会とかいろいろ仄聞しますが、何よりも日教組が大きな支持勢力となって毎回選挙には組織票が投じられます。

事実、民主党政権となった時の幹事長が輿石東、彼は日教組です。


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そして、ルーピーこと鳩山由紀夫も(笑)
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ひどいですよね(>_<;)

民主党政権になって、教育現場はさらに、一層、酷くなりましたよね。

保健体育の授業で、あまりにもドギツイ性教育を平然とやり、それを恥ずかしいという概念を子供たちから無くす。

羞恥心を無くした人間というのは、単なる獣と同じです!!  

かつて観た木下恵介監督作『カルメン故郷に帰る』という1951年の日本映画初のカラー映画(そこ、いる? 笑)で往年の名優、笠智衆が「恥ずかしいという感情は、人間だけが持っているものだからね」と言っていたのを思い出してますwww

犬、猫、豚、牛などの畜生(あくまで仏教用語)には、恥ずかしいという感情はありません。羞恥心というものは、人間だけが持ちうるホモ・サピエンス的感情だと思います。

それを欲望のためだけに解放しろというのは、間違っていると思います。

そんな過激な性教育を志す日教組の思惑は、行き着くところは日本解体なのだと然るべきです。

性にだらしなくなり、日本人をセックス狂いの民族に仕立てあげようとしているのです。

この点は、毎日新聞の悪辣な偏向記事とかぶりますね。
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歴史的史実の歪曲、捏造、自虐的教育、フェニミズム、性教育の過激さ、ゆとり教育の罪、すべてをとっても日教組のやってきた事はアメリカGHQ占領政策の引き継ぎだと思ってもいいかもしれません。

それだけ、日本が虐げられ、貶められ、地盤を弛められているのです。

 

知人の話なのですが、娘さんが小学生の頃、先生に「日本は悪い事をした。これからの日本人は中国の人や韓国の人に悪いと思って生きなければならない」と言われたところ、学校から帰って親に話したところ「そんな先生は、中国か韓国に行ってもらえばいいんだよ」と話したところ、娘さんが翌日先生に同じ事を言ったらしいです(笑)(笑)

しかし、翌日から先生による娘さんへのいじめが始まったと言っておられました。

先生が生徒をいじめる!?  これは常軌を逸していますよね。

決してあってはならない事。いじめは先生が率先してなくしていかなければならないものなのに、思想の違いで生徒をいじめるなど言語道断だと思います。

日教組の正体 - YouTube

日教組は、本当に日本の癌です。皇室さえも公然と生徒の眼前で否定します。

弟の小6の担任は、天皇陛下の事を「君が代は誰や?天皇のことやで!」とあからさまに激しく批判していたと聞きました。

僕自身、小学校の卒業式には『君が代』ではなく『仰げば尊し』でもなく、当時流行っていた岡本真夜の『TOMORROW』を歌わされました。

今では、なんでやったんやろ...と思うばかりですが。 

下記リンク:日教組教師の特徴、見分け方⬇⬇

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/niti2.html

 

僕は、20歳半ばくらいまでお花畑で生きてまいりましたが、今はネットやSNSなどの影響で、考え方が360℃かわりましたが、現根、学校で授業を受けている若年層はどうなのか...。

日教組による安倍自民党反対❗といった言動をしているのではないか...?

子供を戦争に行かせるな安倍自民党とか日教組に影響されたフェミニストママ達が、子供に良からぬ事を教えてるのではないだろうか。

僕は本当に日本の将来を心配します。

このまま、日教組による自虐的、反日思想教育が子供たちに教え込まれ続けるなら、覚醒した僕らが親となって、間違いを指摘してあげなければ、日本は本当に愛国心の無い若者ばかりになり、酷い国に成り下がってしまいます。

今からでも遅くはないと思います。何も知らない、いわけない子供たちを悪の道から救い、先導してあげるのは大人としての僕らの役目であると。


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今回も、最後まで読んで下さり、ありがとうございました(*^.^*)  感謝!

 

 

(追伸=次回はもう少し危険な、タブーなテーマに触れようと思いますw)

 

                                @2677/ 6/ 11/草稿