憂國の志士、三島由紀夫氏の国防意識と国を想う熱き志についての私的考察🔎
皆様、こんにちは😃 aikokuken-ryujiです。
今日は朝から用事で出掛けていました🚙💨
来週からは大阪でも天気がぐずつく模様で、天気予報をみても☔☁などのマークがズラリ(笑)
沖縄では梅雨明けしたと聞き、大阪ではここにきて雨かい! とツッコんでしまいましたww
今回のブログですが、昔から個人的に思い入れのある、ある人物について書かせていただこうかと思いました。
まだ二十歳前後だった僕は、その人の本を読み本気で小説家を目指そうかと思ったくらいに、小説の面白さ、華麗に奏でられる文章と世界観のハーモニーに正直取り憑かれてしまったくらいです。
しかし、そこは非凡と平凡の差。僕はついに諦めてしまいました(笑)
でも、小説を書く(自分で物語をつくって書き出す)楽しさ、面白さは残っていて、前はノートによく短編とか書いてました。
その、ある人物とは... 読んでおられる方は、もうお察しかと思います。
戦後の文学史上に燦然とあらわれ、後世に足跡を残した作家・三島由紀夫氏です✨✨
三島由紀夫(本名・平岡公威)氏は、1947年(昭和22年)、東京帝国大学法学部を卒業後、22歳で大蔵省に入省。
大蔵省では、仕事と執筆活動の二重生活を送っていたそうです。
が、その翌年、作家として生きる事を決意し一年ほどで大蔵省を辞めました。
直後に処女作『仮面の告白』で衝撃のデビューを飾り、ここから"三島文学"が世に放たれる事となりました。
僕が小説を読み出したきっかけは、小・中学生から国語の教科書に載っていた物語を読むのが好きだった事に起因するのですが、学校を出て働きだしてから、三年あまり過ぎた頃からいろんな本を読むうちに、三島由紀夫氏の『仮面の告白』にたどり着きました。
まだ若かったせいか、文章で使われている字引を読まないと理解できないような言葉遣いや知識があまりわからなくて、困りましたが物語の終盤あたりで性に不能となった主人公が、従姉か誰かと束の間の情事(といっても抱き合って接吻しただけw)を交わすところの文章が非常に生々しく感じられ、興奮したのをおぼえています😂
そんなこんなで、『仮面の告白』を読んで「これは面白い❗」と思い次々と三島文学に傾倒していきました。
今まで読んだ三島由紀夫関連の本や雑誌です📕📖
な~んや、たったこれだけ!? とバッシング受けそうな少なさですが💦これだけでも、三島由紀夫という人物を理解するには充分だと僕は思っています。
もとい、三島由紀夫という人は、単なる一小説家だけのひと括りでは語るに乏しい人物です。
そこに三島由紀夫氏の文学的魅力なり人間的魅力なりが垣間見られるのだと感じています。
三島由紀夫氏をテーマとしたブログは、検索してもたくさん出てきます。
それだけ三島文学や三島由紀夫その人を信奉、または愛する人が数多くいらっしゃる事ですね。
情報量や深淵な痒いところにまで手が届くほどに書かれているのを読むと、本当に僕なんか足元にも及ばない若輩者だと改めて自己認識してしまうほど半端ないです。
そんな中で比較すると、僕の書くブログは本当にお粗末で三島由紀夫を語るには不十分すぎるところも露見するかもしれません。
でも、一人の三島由紀夫氏に想いを馳せる立場として拙いながらも今回のブログのテーマに掲げさせていただきました。
ここで書かせていただきたいのは、三島由紀夫氏が、1970年11月25日、45歳の時に東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地のバルコニーでの演説後、総監室で壮絶な割腹自殺を遂げられた経緯から生じる三島氏の日本を我が国を憂いた心情と行動、そして熱い想いと志についてです。
三島由紀夫氏は、今から40年も前から現行憲法を改正する事、戦後の日本に表象される危機意識の無さ、平和ボケした国民、続々と持て囃される横文字と欧米文化を無条件でそれを奨励する事で、古き良き日本の伝統文化の概念が失われつつある事に懸念、不安を抱いておられました。
また、左翼学生にもただ敵愾心を抱き批判するだけでなく、大いなる同情の念をもってあれこれ評論してこられたのも、やはりそこは三島氏も自身で標榜してこられた「武士道」という心から表れたものだと思います。
その両者の関係を端的に表してるのが1969年の三島由紀夫氏と東大全共闘学生との討論会です。
1969年(昭和44年)5月13日の火曜日の午後2時頃より、東京大学教養学部900番教室の会場に集まった約一千人の学生と約2時間半にわたって討論が行われました。主催は東大全学共闘会議駒場共闘焚祭委員会(代表・木村修)で、前日の5月12日から「東大焚祭」が開催されていて、13日に三島氏が招かれ、約二時間半にわたり三島由紀夫氏と東大全共闘学生とのパネルディスカッションが行われました。
討論は全共闘学生側のあまりにも飛躍しすぎた哲学論に阻まれ、あまり実ある内容ではなかったようでした。
角川文庫から出版された『討論 三島由紀夫VS東大全共闘 美と共同体と東大闘争』を読みましたが、後年読み返したり当時の模様をYouTubeなどで見る限り、学生側が持論や哲学論を展開しすぎて、結局双方とも何を語り合いたかったのかが判然としませんでした。
しかし、当時デカルトやニーチェに影響されて哲学に興味があった二十歳前後の僕は、読みながら文字の横に線を引いたり...💧
ホント、勉強熱心でした(笑)
今となっては、どうしてこの部分を線引っ張ったのかわかりかねますσ(^_^;)
この時、三島由紀夫氏は腰に短刀を忍ばせて出掛けて行ったそうです。
何かしらの決心があったのでしょうか...。
さらに三島由紀夫氏は、1968年10月に『楯の会』なる自警団的な祖国防衛を主旨とする会を組織します。
『楯の会』名称の由来は、万葉集防人歌の「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ吾は」(詠み人:今奉部與曾布〈いままつりべのよそふ〉)と、江戸末期の歌人・橘曙覧の「大皇の 醜の御楯と いふ物は 如此る物ぞと 進め真前に」の2首に由来するのだそうです。
三島由紀夫氏自身、江戸時代に流布された侍の心得的な書物『葉隠れ』を耽読しており、「武士とは、死ぬことと見つけたり」の有名な文言にある生と死についても深い洞察を試みておられます。
三島由紀夫さんの貴重なインタビュー映像です。 - YouTube
この中で、「今は民主主義の罷り通る時代なので、大義名分により侍として潔く死ぬことができないでいますが、人は何かしら自分の為に生きるのではなく、人の為に生きるのを宿命としている」とありますが、三島由紀夫氏にとっての「人の為」というのは国家、皇室、また日本の伝統文化を守り抜く(=保守)ことだったと僕は認識しています。
よく言われる「保守」の語源はまさに三島氏が言っていた事だと思います。
ここから1970年のあの事件に繋げたいところですが、少し話を戻してみたいと思います。
1961年(昭和36年)1月には『憂国』を発表、小説発表の4年後には、三島氏自身が監督・主演などを務めた映画も制作されました。
内容は、有名な二二六事件を題材に取り上げ、仲間の将校が反乱に手を染めるのをよしとせず、一人同志の申し出を断った主人公が、妻との狂おしき情事のあとで割腹自殺を遂げるといったもので、これぞ三島文学の行き着くところ "武士道とは" になるのだと思いました。
映画は近年YouTubeで(検索してそのまま再生したら何故かドイツ語verでした 笑💦)、小説も昔に読みましたが、どちらも分野としては画期的で特に小説は文字のひとつひとつがまるで血が滲むような切迫感と絶望的リアリズムの筆致で、主人公が腹を切るところの文章などは、すごく恐ろしいくらいに詳細に書かれていて、身震いがした程でした。
さらに驚愕すべきは、映画化にあたって数ヵ国で翻訳され、それを見越してか三島氏は各国用に脚本も自身で執筆され、言語もフランス語、ドイツ語などといった言葉を用いて書かれたそうです。
『驚くべきことに、ワグナー(『トリスタンとイゾルデ』)はこの日本の影像(イメージ)に最も深く調和している。そしてこの日本の影像の持つ、肉惑的であると同時に宗教的なリズムは、西洋のこれまでに創り得たもっとも美しい至福の歌の持つ旋律構成に、すこぶる密接に癒着しているのである。
— ベルナアル・アーメル「ヌーヴェル・レプブリック」紙』
ここまで三島由紀夫氏の事を話しても、まだまだ話し足りなく、僕も歯がゆい気持ちでいっぱいなのですが、あまり長々と書くのも、読んで下さる方にとって疲れると思うので、あと少しだけ...少しだけお話させていただきます🙏💦
三島由紀夫氏は幼少時から類い稀な文章力を持ち、僅か11歳で日の丸についての作文を書かれていました✨✨(; ゜▽゜)☆
下記リンクを参照⬇⬇⬇
http://world-fusigi.net/archives/8333731.html
恐るべし公威少年❗🎌
この頃から、祖国に対する深い愛情と常人離れした卓越した文章力の片鱗を見せつけていたのですね。
三島由紀夫氏は、作家になるべくしてなった宿命的な人だったのかもしれません。
僕は今回のブログを書く資料として、過去に読んだ『若きサムライのために』の中の興味深い一章「安保問題をどう考えたらよいか ー猪木正道氏との対談」から三島氏の唱える『自衛隊二分論』について読みました。
書かれていることは、本当に我が国の現状や現行憲法がいかに祖国防衛意識を軽薄にし、蔑ろにしているかを憂慮している人でなければ、決して語ることのできない貴重な話が展開されています。
三島由紀夫氏が、市ヶ谷自衛隊駐屯地のバルコニーから呼び掛けていた「シビリアン・コントロール」の事を思い出します。
文民統制(ぶんみんとうせい、シビリアン・コントロール、英: civilian control of the military)とは、文民たる政治家が軍隊を統制するという政軍関係における基本方針であり、軍事に対する政治の優先を意味する。
すなわち、自国を防衛するのは、自国民でなければならないという祖国防衛論のまさに極論ですよね。
三島由紀夫氏は、1960年当時の自民党総理大臣、佐藤栄作首相に苦言を呈しています。
このまま、日米安保条約のもと、アメリカの傘下でアメリカに守られている今の日本を憂いていると。
本当ならば、在米軍なんかいらない、自衛隊さえ国防の意識をもって他からの圧力や手枷足枷なくして、行動ができるのであれば、自分たちの力で祖国日本を外敵から守るべきであると強く言われています。
本当にその通りだと思います。
よく考えてみて下さい。アメリカはもともと先の大戦を誘発した張本人で、アメリカなど白人国家がアジア諸国を植民地化、厳しい経済制裁などしなければ、アメリカが戦勝国、日本が敗戦国となる歴史など存在しなかったのです。
映画「ターミネーター」などを観ていると、それがわかります。
過去を変え、未来の歴史を良い方向に変換できるのならば......と。
しかし、過去はかえられないもの。
今は、純粋に日本を愛し、守ろうという気概を持って日本国家を転覆させ、侵略しようと目論む外敵(支那中共、韓国、北朝鮮などの特亜3国ww)から我が国を守ろうと行動を起こさなければなりません。
そうする為には、三島由紀夫氏のような憂國の志士のかつての熱い想い、志、声をネットや書籍などで拾い、我々自身が勇気を蓄えなければならないと思います。
機会があれば、是非一読してみて下さい(*^-^*)
今、憲法改正の議論が国会議員の中でも熱してきて、国民が関心を持ちつつあります。
この期を逃してしまっては、二度と我が国は憲法改正できないものと思わせていただきます。
テロ等準備罪、共謀罪を成立させた安倍政権です。きっと、憲法改正も成し遂げてくれると一抹の期待を抱いています...。
三島由紀夫氏は、1970年11月25日正午をまわった頃、バルコニーでの演説を終え「天皇陛下万歳❗」と万歳三唱してから総 監室に引っ込み、誰に言うともなく、「20分くらい話したんだな、あれでは聞こえなかったな」とつぶやきました。
そして拉致していた益田総監の前に立ち、「総監には、恨みはありません。自衛隊を天皇にお返しするためです。こうするより仕方なかったのです」と話しかけ、制服のボタンを外し、武士道に乗っ取った大義名分のもとの潔い死に方「切腹」を選び、45年の生涯に幕をおろしました...。
三島由紀夫氏は、クーデター(一部ではそう呼ばれています)をもってして死ななければならなかったのか? 国の在り方や自衛隊の現状を憂いるなら、死よりももっと違った表現の仕方があったのでは? と言う方がいますが、ならばそうした事で、何か変わったというのでしょうか!?
敢えて死を選ばず、作家として作品を書き続けていたなら、三島氏自身は裕福な一生を終えていられたのかもしれません。
ですが、それではいけないと思い立ったからこそ、あのような行為に出たのではないのですか!?
先に書いた、自分の為に生きるより、何かほかの事、ほかの事の為に生きる方がよっぽど日本民族として理にかなっている とまで熱っぽく語る人が、自らの生活様式だけ重視して平穏な一生を遂げるのを望んではいなかったのだと思います。
それは、葉隠れの著者が「武士道とは、死ぬことと見つけたり」と書きながらも自分は潔い最期を迎えられず畳の上で死んでいった事への三島氏の述懐にも見られます。
誠に勝手な解釈なのですが、三島氏の最期は、僕的にはあれでよかったのだと思います。
そうする事によって、三島由紀夫氏を崇め奉る信者のような人や、三島氏に殉教する人の事を、必ずしも認めるわけではありませんが、僕は作家としても我が国を憂國し、祖国防衛、憲法改正を危機感をもって唱えていた三島由紀夫氏を尊敬しています。
何に関しても、大事なのは危機感です。
危機感なくして、政治や世界情勢を広く見渡す事は不可能だと思います。
三島氏は先んじて危機意識が、人よりも格段に強かったがために『楯の会』結成に至り、石原慎太郎氏と対談したり、自衛隊に何度も出入りし、『憂国』を書き、撮り、そして最後の市ヶ谷自衛隊駐屯地のバルコニーから憲法に囚われない自衛隊決起を呼び掛けたのだと。
最後に、1970年11月25日の市ヶ谷自衛隊駐屯地バルコニーでの三島由紀夫氏の演説の一部の動画を掲載させていただき、締めさせていただきます。
本当に、三島由紀夫氏のような命を賭して国を守ろうとする憂國の志士が、政治家の中に現れてくれるの事を期待します......。
今回も拙いブログを最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました m(_ _)m
@2677 /6/ 25/ 草稿