天安門事件から紐解く、反中共の拡がり
こんばんは。aikokuken-ryujiです。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
そろそろ梅雨も明け、夏本番が始まる気配ですね☀☀💦
暑さによる体調不良、熱中症にはくれぐれも、ご注意下さいませ。m(_ _)m
......と言う僕は、夏風邪をひいてしまいました(笑)💧
え❔ 人に言うより、まず自分が気を付けろ❗って?
そうですね。すみません σ(≧∀≦;)
さて、今回のブログですが、二日前にTwitterでこのようなツイートを目にしました。
『日本のこころを大切にする党』の中山成彬議員のツイートです。
何を隠そう、今回のブログのテーマはこの中山議員のツイートを見たからにほかなりません。
ここで触れている、劉暁波という人物は一体誰なのでしょうか。
あとからネットで産経ニュースを見て、つい先頃亡くなられた中国人だという事が判明しました。
なら、その劉暁波なる中国人は何者か。
劉 暁波(りゅう ぎょうは、リウ・シャオポー 1955年12月28日 - 2017年7月13日)は、中華人民共和国の著作家であり、元北京師範大学文学部講師。人権活動や民主化運動に参加し、度々投獄された人物であるという事がわかりました。
劉氏は、実は2010年にノーベル平和賞も受賞されているんですね。
ノーベル賞委員会は、劉暁波の受賞理由は「中国における基本的人権のために長年、非暴力的な闘いをしてきた」というもの。
中国における基本的人権のため......。
この文言を聞いただけで、中国(中華人民共和国)国内では基本的人権すらない国だという事がお分かりになると思います。
ご存知の通り、戦後の中国という国は共産党一党支配の共産主義国家として中華人民共和国を創立させましたよね。
中華人民共和国、、とは内実のところまったく人民の為の国だとは言い難いものです。
この国は、中国がまだ「清」と呼ばれてる頃から今日より、未だ何の変哲もない。
すべての元凶である毛沢東の打ち出した様々な政策なり格言なりを未だに引き継ぎ、遵守して、貧富の差際立つ矛盾と横暴極まる共産主義第一の独裁国家として成り立っているのです。
話を劉暁波氏に戻しますと、劉氏も1989年6月にあった、あの歴史的な事件......『天安門事件』に参加し、運動に身を投じ、結果として人民解放軍に殺されはしなかったものの、反革命罪の為、投獄されました。
下記リンク【劉暁波氏の危機を傍観した中共政府と左派系メディア・人権団体の矛盾:中国人漫画家、孫向文】⬇⬇⬇
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12216-1334884/
天安門事件の事は、皆様もご存知かと思います。
日本が平成の世を迎える前夜、学生たちが中心となって、中国北京の天安門広場で民主化を訴え、その鎮圧に躍り出た人民解放軍によって何千、何万という学生たちが虐殺されたあの事件です。
以下、閲覧注意画像となります。⬇⬇
こんなにも酷い有り様を、果たして時の報道メディアは放送、公開をしたのでしょうか...。
僕はこの時代まだ子供で、天安門事件すら後年の今になるまで知りませんでした。
これは、六四天安門事件(ろくよんてんあんもんじけん)と呼ばれていて、1989年6月4日のほかにも天安門での事件はあったようなのですが、ここでは1989年の事件を挙げさせていただきます。
同年4月、胡耀邦元党総書記の死をきっかけとして、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺した)し、多数の死傷者を出しました。
経緯を見てもご理解いただけるように、共産主義一党支配の国に嫌気がさし、民主化を叫んで訴えたにも拘わらず、市民に無差別的発砲、さらに戦車で轢殺するなどまるで人間のする事ではありません。
国を牛耳る共産党に物申す輩は、無差別殺人、動物を殺すのと同様に虐殺しても厭わないという事でしょうか。
これはまさにポル・ポトによる大虐殺や、帝政ロシア時代に勝るとも劣らずの蛮行以外に形容できる言葉はありません。
⬇⬇【天安門事件25周年 東京集会② 渾身の基調講演 石平「私は天安門事件で中国を捨てた」】YouTubeさんから。
天安門事件25周年 東京集会② 渾身の基調講演 石平「私は天安門事件で中国を捨てた」 - YouTube
昨年くらいに産経新聞で、共産主義に対する不満かなにかを微博(ウェイボー/中国版Twitter)をもとに掲載していた記事をみました。
そのほとんどが中国の若者による意見だったのを覚えています。
現在、中国共産党政府として中華人民共和国を牛耳っているのは習近平ですね。
彼もまた、日本に対しては威圧的な態度で、何度も何度も尖閣諸島に船を派遣して、領海侵犯を繰り返しています。
あと、よくテレビに出てくる(テレビ見なくなって2年くらいになるけど、NHKニュースあたりではいまだに出てるのかな? 笑)中国の報道官のオバハン。
これがまた腹立つ😡⚡
尖閣の事やら、日本の政治家による靖國参拝の事やらにやたら首突っ込んでくる。
支那中共の代弁者ともいえるこのオバハンの面見ただけでムカついてきます❗💢💢
そして、毎年、天安門事件についてはこう言っています。
ハァ!?Σ( ̄皿 ̄;; 無差別に市民に発砲した事や、学生を戦車で轢き殺した事について言ってんのか!?
対応は正しかったって!?(# ゜Д゜)
ただ、その非人道的やり方に異議を唱えた劉暁波氏も、中山議員のツイートにもありますように、亡くなられて遺骨を渡さない、国に逆らった反乱分子は死人となってしても許さない といった頑なな姿勢に弄ばれているのを我々日本人としても遺憾の念を示さずにはいられませんよね。
中国は、戦後、中華人民共和国として樹立する以前から日本とは折り合いが悪く、過去にも盧溝橋事件、通州事件などといった歴史的惨事に見舞われてきました。
通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に中国陥落区の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃した事件で、通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、猟奇的な殺害、処刑が行われた事件です。
これは言ってみれば、中国人による日本人居留民の排日運動の一環として行われた日本人大虐殺なのです。
支那中共政府は、それを南京大虐殺として自分たちの行った通州事件という蛮行を捏造して、未だに世界に流布しているのには、我慢なりません。
この通州事件を、学校では決して教えず、逆に戦時中、帝国陸軍は朝鮮人や中国人に口では言えない酷い事をしてきた とまったく虚偽の歴史である南京大虐殺を無垢な頭脳に教え込むのです。
反日思想教育や、反日無罪なるものは、特亜3国(支那、韓国、北朝鮮)の国家が認める一種の堅固たる法律みたいなものですが、それが日本国内でも行われているのだという事を、知らなければなりません。
これもGHQ占領下で影響された、戦後レジーム、自虐史観の成せる業が今なお脈を打っているのだと考えます。
これについては、前のブログでもご紹介させていただいた『凛として愛』を見れば一目瞭然です。
一昨年の8月15日終戦の日に、靖國神社参拝に行かせていただいた帰りに、このような本が売られていたので思わず買ってしまいました。
これは市販本ですが、いつかこの教科書が文部省を経て、日本国内の学校で採用される事を近い将来として願っています。🙏
話が前後しますが、天安門事件についてある女性歌手がひどく心を痛めていたというエピソードも挙げておきます。
その歌手とは、、1970年代から歌姫として歌謡界に燦然と輝いていたテレサ・テンです。
テレサ・テンの歌はけっこう好きで、「空港」や「つぐない」「時の流れに身をまかせ」などのヒット曲をよく聴いていました。(*^^*)
彼女は台湾人で、テレサ・テンよりも前にデビューした欧陽菲菲、「魅せられて」などのヒット曲を持つジュディ・オングも同じく台湾人。
政界でも、李登輝前総統、 作家であり批評家でもある黄文雄(こうぶんゆう)氏など日本に絶えずエールを送って下さる方々もこぞって台湾人です。
日本と友好を交わす国は、アジアに数あれど、台湾ほど日本と真の友好を結んでいる国はありません。
そういう日台友好の経緯を語る時に思い出すのは、田中角栄内閣の自民党による日中国交正常化により、台湾とは事実上断交してしまった事です。
あれは今思うと、何考えてたんだろう と思わずにはいられませんよね。
さて、テレサ・テンが天安門事件を目の当たりにして、どう感じたか......。
それは自らも歌手として、何か民主化の為に貢献できないだろうか......。
このようなテレサ・テンの切実な想いが表れているのが、1989年5月27日、香港のハッピー・バレーで開かれた「民主の歌声を中華に捧げよう」という集会に、メークなしの「民主万歳」と書かれたはちまき姿で登場した事に繋がると思います。
彼女は「私の家は山の向こう」という歌を歌い、爆発寸前の深い感情を抑えつつ、美しい情感をこめて歌い上げました。
当時の映像がYouTubeにあるのですが、何故かみれないので、こちらの動画をアップしておきます。
⬇⬇
このように、それぞれの立場で中国の民主化を掲げ、立ち上がり、訴え、そして無惨にも殺された人々への哀悼を惜しみ無く捧げる日本人は、僕だけではないはずです。
中共の横暴、それは中国の民衆、日本にも確実に及んでいるのは明白すべき事実なのです。
劉暁波氏、テレサ・テン、そして今なお支那中共政府に敢然と闘いを挑んでいる石平氏、黄文雄氏、金美齢女史、さらに中共に実効支配されんとするチベット、ウイグルで弾圧されながらも屈する事なく武力で民族を浄化しようとする人民解放軍への抗議の声を絶やさないダライ・ラマを中心とする人々、また日本で支那中共の政策にNo!!を叫ぶ草の根的運動をして下さる方々......。
今、反中共による声はネットを中心に次第に高まってきています。
もう二度と、日本の政治家による靖國参拝に対して何も言わせない❗ 尖閣諸島の領海侵犯を断固として許さない❗ チベット、ウイグルへの民族弾圧は侵略行為だ❗ 南京大虐殺の嘘は通州事件の捏造によるもの❗ といった数々の主張を支那中共政府に突きつけ、いい加減にしろ!!と政府が先陣を切って国民共々声をあげるべきではないでしょうか。
中国の習近平、韓国の文在寅、北朝鮮の金正恩というアジアを代表する極悪犯罪人、独裁者たる者達を糾弾し、彼らの暗躍から我が国、ひいては世界を共産主義から守る為に、石平氏の動画の最後にもあるように、日本国が強くなり、毅然とした態度を世界に示す事が日本、世界の平穏に繋がるものだと思わせていただきます。
あ、その為にはまずは現実問題として、NHKをはじめとするメディアの偏向・捏造報道を正さなければなりませんね😅
ちょっとやそっとでは揺るがないテレビの影響力の呪縛、洗脳から意識を解き放つのは容易ではありませんが、いつかきっと真実が明るみになり、日本にとって本当の敵は何か、、という事が周知される日が来ることを信じています。
今回も、毎度拙いブログを最後まで読んでいただきまして、感謝を申し上げます。🙇
ありがとうございました(*^▽^*)
@2677/ 7/ 18/ 草稿
仏教 ✖ 神道 ✖ 愛国心 を通して繋がる護国精神とは。
皆様、こんにちは😃 aikokuken-ryujiです。
暑いなかお疲れ様です☀☀💦
本当に暑いですよね...(><;) 今朝方なんか、蝉の鳴き声が聞こえて思わず「あぁ...夏の到来が...」と 辟易してしまいました。(笑)
とは言うものの、まだ暦は7月上旬。夏本番はこれからですよね。
来週月曜日は「海の日」で海開きが始まり、全国の海浜でも続々と海水浴に集われる方が多くなると思います。
でも一足先に海水浴行ってる人も、案外多かったりして...😁🌊
何にせよ、熱中症にはお気をつけ下さいませ。m(_ _)m
前回の事なんですが、僕の精神的な都合を理由に、計らずも拙作を掲載してしまいました。
最近、つげ義春の漫画を文庫化した本を読んでいるせいか、なんだか文章がそれっぽくなってしまったので、よけい貧相な感じになったのではないかと小心ながらに思った次第です。
それはさておいて、今回のブログに移る前に、僕が心から尊敬、敬愛してやまない歴史の偉人を三人挙げてみたいと思います。
一人目は、1960年代に一躍ロックのスーパースターとして君臨し、その後も卓越した才能と音楽性で1970年に解散するまで超人的な活躍と後世の音楽に多大な影響を与えたイギリスのロックバンド、ザ・ビートルズのメンバーの一人、ジョン・レノンです🎵
彼は音楽を趣味とする僕にとって、名実共にヒーローでしたし、また『愛』についても僕自身いろいろ音楽を通じて教えられた唯一無二の人物でした。
また、日本の文化や信仰についても、深い愛情をもっておられたというのがまた嬉しく、ジョン・レノンを越える音楽家やその人物は、二度と現れないであろうと思いたいところです。
ジョン・レノンは、1980年に40歳で凶弾に倒れ短い生涯を終えましたが、僕のみならず世界中の多くのファンは、彼の音楽を歌い続けていくことでしょう。
写真上は、軽井沢にて。写真下は、靖國神社に参拝した時の写真です。(^^)
そして、二人目は、以前のブログでも触れた三島由紀夫氏です。
三島氏については、ブログに詳細が書かれていますので、そちらをご参照していただきたいと思います。⬇⬇
http://aikokuken-ryuji.hatenablog.com/entry/2017/06/25/172658
さて、最後の一人ですが、今まで挙げた近代史の中の偉人ではなく、鎌倉時代にまで遡らなければなりません。
鎌倉時代、北条家が政権をとっていた時代......ある時、一人の僧が他国の侵略を予言し、果たしてそれは現実になり、日本国の存亡が懸かった戦を繰り広げ、やっと日本は他国の侵略を食い止めることができた。
これを歴史では「元寇」と呼び、すなわちモンゴル帝国の二度にわたる日本侵攻の事です。
そう。三人目......というのは、法華経の開祖といわれる日蓮その人です。
今回のブログは、神道、仏教、さらに愛国心と繋がる護国活動とは何かをテーマに、皆様と共に考えていきたいと思っております。
仏教と神道は違う と以前Facebookをやっていた時に指摘を受けたのをきっかけに、神道と仏教はどうして違うのだろうか......といろいろ考えてきましたが、これといった答えを見いだせず、それでも親に孝行する、ご先祖様、先人や英霊様を敬うを基本精神に今日まで生きてまいりました。
『神社・仏閣~』のブログでも書かせていただきましたが、僕は子供の頃から、神道や仏教に根差した環境で育ったので、信心深い性格は今なお消えてはいません。
家は、祖母の代から法華経の教えを通じてご先祖様をご供養する という信仰をやってきたので、子供の僕も弟もなんとなくこのような本ばかり読んで暮らしていました。
これは青山書院から出ている本で、お釈迦様や仏教の尊さについての話がわかりやすく書かれています。
今でも何故かこれらの本に愛着が湧きます(≧∀≦)
子供の頃から読んでいたせいでしょうか...。
そして大人になった今でも、神道と仏教の違いがあまりわからず、昨年、雑誌の『正論』を買い、その誌面で様々な"日本のこころ"というものを再認識しました。
その中で、日蓮についてのお話が書かれていましたので、画像だけ掲載させていただきます。
少し見にくくて、申し訳ございません💦
部屋が暑いせいか、スマホがすぐ熱をもってしまってカメラ機能があまりうまくいかないもので😣
いや、それとも僕の写し方が単に下手なだけか?(笑)
日蓮は法華経の開祖としての認識が一般的には高いかと思われます。
実際そうで、多くの弟子を生み、後世の宗教などに影響を与えてきました。
しかし、僕の思うところはちょっと違うのです。
何が違うのかというと、日蓮は法華経を世に広め、『南無妙法蓮華経』というお題目が仏教のスタンダードのひとつとなった事は言うまでもありません。
しかし、仏教の概念だけで日蓮その人を語るのは、勿体ない気がしてならないのです。
日蓮は、北条政権のもと、モンゴルが日本に攻め入ってくるのを予兆し、群衆に「敵が攻めてくるから、それに備えよ」と訴えたにも拘わらず、ほかの宗派の人からよく思われず妨害を受けたり、お役人が「嘘を申すな!そのような戯言を並べ立て町民を惑わす魔の者め!」と幾度となく捕られられたり、日蓮に対する迫害はすごいものでした。
しかし、日蓮の言いたい事はなんだったのか。
それは、他国が侵略してくることに少しでも危機感を抱け という訴えだったのだと僕は解釈します。
日蓮は、町民を惑わす気などなかった、、法華経の教えこそが日本を救う手法だと信じて疑わなかったものですから、何度迫害されても熱っぽく訴えたのです。
これを現代に置き換え(また、置き換え。最近多くてすみません 笑)たら、まさに先の三島由紀夫氏や街宣で草の根活動をしておられる方々などと酷似しているとは思えませんか?
今、中国の艦隊が執拗に沖縄の尖閣諸島に領海侵犯を続けている。
初めて中国が、尖閣諸島の領海侵犯をしたのはいつなのか。ネットでは、2013年7月頃だろうといわれていますが、本当はもっと前からやっているのではないか......。
中国が尖閣諸島の領有権を主張しているのは、遥か昔からです。
島根県の竹島には、すでに韓国の軍隊が統治し、韓国人も何人か住んでいるというではありませんか。
おかしくないですか!?
そして、お花畑といわれる平和主義的日本人は、中国がいずれ攻めてくると言っても、そんな筈はない とタカを括っているのです。
どうしてそう言い切れるのでしょうか?
これについて、多くの保守論客、愛国者の方々がネットなどで危険性を叫び、はたらきかけていますが、信じてか信じてないのか、多くの日本人は知らん顔の人が多いです。
日蓮も、蒙古が襲来してくる!!といくら訴えかけても、役人に危険分子と見なされ信じてもらえなかった。
いつの世も、危機感の無い国民性は、いつの日か国の滅亡を目の当たりにするのだという事を肝に命じてもらいたいものです。
昨年でしたか、ちょうど今のような季節に、横浜でデモ行進があったので参加させていただいた後に、横須賀中央駅前で現役の陸上自衛隊の友達とお会いして、喫茶店に入り、愛国話に花を咲かせている中、ふと僕が三島由紀夫氏の市ヶ谷での事について意見を仰いだところ、その方は「うーん...やはり三島氏のやった事は、時期尚早だったと思いますね......」と苦々しい表情で言っておられました。
そのあとで「ただ、今の現代で三島氏と同じ事をしておられるのが、桜井誠さんですよね」と付け加え、桜井さんは素晴らしい方ですよ と嬉々として話しておられたのを覚えています。
僕は、それらの話をしっかり胸に刻み込んで、横浜をあとにしました。
Japanese History Animation 22 「Mongolian invasion」まんが日本史 「蒙古襲来」 - YouTube
さて、日蓮について話をしてまいりましたが、日蓮の帰依する教義というのが実は「釈尊」というところが、僕としては興味深いところです。
釈尊=つまりお釈迦様のことです。
すべての仏教の始まりは、お釈迦様の教えから派生したのも同然で、日蓮も法華経という独自の教義の中にお釈迦様の教えを取り入れた事で、法華経信者は世界中に多くの信奉者をつくりました。
どれにも僕は入っていませんが、いろいろある中で、真に法華経を正しく教えている宗教団体がどれくらいいるのか......。
法華経を通じて、ご先祖様をご供養するのを教えていただいたのも、日蓮の教えが基盤にあったからだと思います。
「我、日本の柱とならん」
「我、日本の眼目とならん」
「我、日本の大船とならん」
というあの有名な言葉にも、釈尊の影響があったのかどうかは定かではありませんが。
で、最後にもうひとつだけ☝(ドラマ「相棒」の右京ではないw)、日蓮と法華経についての逸話をご紹介します。
日蓮は、ある日から山梨県にある身延山(みのぶざん)に隠棲し、現在の思親閣がある身延山山頂に登り、亡き父母の墓のある房総の方を拝しては両親を偲んでいました。
建治3年(1277年)9月、身延山山頂から下山の道すがら、現在の妙石坊の高座石と呼ばれる大きな石に座り信者方に説法をしていた。その時、一人の妙齢の美しい女性が熱心に日蓮の説法を聴聞していました。
「このあたりでは見かけない方であるが、一体だれであろうか」と、南部公をはじめ一緒に供をしていた人達はいぶかしく思ったのは言うまでもありません。。
日蓮は、一同が不審に思っている気持ちに気付き、また読経や法話を拝聴するためにその若い娘が度々現れていたことを知っていました。
その若い女性に向かって、「皆が不思議に思っています。あなたの本当の姿を皆に見せてあげなさい」と言った。すると、女性は笑みを湛え「お水を少し賜りとう存じます」と答えると、日蓮は傍らにあった水差しの水を一滴、その婦人に落とした。すると今まで美しい姿をしていた婦人は、たちまち緋色の鮮やかな紅龍の姿に変じて仰った。
「私は七面山に住む七面大明神です。身延山の裏鬼門をおさえて、身延一帯を守っております。末法の時代に、法華経を修め広める方々を末代まで守護し、その苦しみを除き心の安らぎと満足を与えます」と。
そう言い終えるや否や、七面山山頂の方へと天高く飛んで行きました。
その場に居合わせた人々は、この光景を目の当たりにし随喜の涙を流して感激したといいます。
実際、身延山にある奥之院(おくのいん)には、七面大明神を祀る岩みたいなものがあって、そこを2週くらい廻ると、良いらしいですよ。(*^^*)
仏教には様々な宗派がありますが、僕は法華経以外はあまりよくわからないので、ここで書くのは控えさせていただきます。
そして、先ほど書いた仏教の対岸にある神道についてお話していきたいと思います。
書く前に、ちょっと待てよッ......ムムム...(-_-;)
ですが、神道とは、日本人の誰もが持っている精神だと信じています。
仏を敬う心、神様を敬う心、それらは日本人の心に根付いているのです。
ただ、それに気づくことなく生きている日本人が多いという事だけで、徐々に掘り返していけば必ずその極致に達するものだと信じています。
日本人は、誰一人薄情な人間はいない。
いたとしても、それらの人は、気づいていないだけだと。
脈々と受け継がれてきた、日本人の精神を......。
先程、尖閣諸島の話を書きましたが、今こうしてる間にも尖閣周辺には中国船が大挙している事だと思います。
彼らは領海侵犯するだけで、決して何もしてこない、、すなわち日本国民にこう思わせようとしているのです。
「あれだけ中国の船が尖閣周辺に来てるのって、ちょっと異常だよ。もしかしたら、こうまでしつこくしてくるって事は、本当は尖閣諸島って元々は中国の領土なのかも。」
こう考えさせるために、毎日毎日尖閣周辺に船を動員する中国の印象操作が、本当は日本の領土である尖閣諸島を危うい状態にさせているのです。
親日派で知られる、台湾の李登輝元総統も、日本における信仰について書籍で書いておられます。
本書で李登輝氏は、第六章で『信仰は力なり』と題し、日本精神の素晴らしさと自らの境地「私でない私」台湾の言葉で表現するところの「我是不是我的我」について語っておられます。
こちらも是非、ご一読される事をお勧めします(*^^*)
戦後70余年......今の日本に住む日本人は、大半が平和ボケし、ひとたび戦争となると狼狽し、命を失くすのは嫌だとか、政府は戦争をしたがってるとか、ありもしない妄執にとり憑かれ、自己保身に走るのでしょうが、台湾をはじめとするアジアの人たち(特亜3国をのぞくのは、モチのロン❗)は、日本の事を日本人以上に気にかけ、心配し、憂いています。
当の日本人が立ち上がらなくて、どうするつもりなのですか!?
「神道と云ふは 人々日用の間にあり」(度会延佳 わたらい・のぶよし 「陽復記」『神道のことば』より)とあるように、神道は日本人に生まれた時から備わっているDNAと同じくらい重要なものです。
普段の生活の中でも、常に日本人たるを忘れず、日々をこなしていく事が大切であると思わせていただきます。
僕は幼き頃より法華経の教えに触れ、その仮定で神道を知るようになり、好きになり、学び、それらから自然的に芽生えた愛国心......三つの要素をミックスし、重ね合わせた結果、今の僕がいるのだという事です。
最後に、『別冊 正論27』の中の【『立正安國論』で今もある危機説いた日蓮 ー迫害受けても国や民、自らの親を思うー 筆者:北川前肇氏】からの文を引用、掲載させていただきます。
「国を治める帝王は、国家の制度を基として、国をおさめ、人々は田畠を耕して世の中に生きています。
そうであるのに、他国から攻められて国土を侵略され、また国内の戦乱によって、土地が奪われたならば、どうしておどろかずにいられましょうか。どうしてさわがずにいられましょうか。
国が亡び、家を失ったとすれば、いったいどこにのがれるところがあるでしょうか。
あなたが、自分自身の安らかなことを願うのであれば、まず何をおいても国の四方が穏やかであることを祈らねばならないのでは、ありますまいか」
今回も拙い文章のブログを、最後までお読みいただきまして、ありがとうございました🙇
これにて、失礼致します。
@2677/ 7/ 13/ 草稿
『絶対正義』と『絶対悪』についての超短編小説📖
皆様、こんばんは。aikokuken-ryujiです。
今回のブログは、前回の最後に書いた、仏教的な内容のブログを と、考えておりましたが、ある事情で前言を撤回させていただき(男らしくねぇ...😩💧)、表題にありますように超短編小説的なものを思い付いたまま書かせていただきます。
まことに、申し訳ございません...m(_ _)m
もちろん、小説の類いなるものなので創作と現実の僕の気持ちを混ぜ合わせたものとなります。
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『梅雨時』
本木公二は、またも夜の街を徘徊(うろつ)いていた。
何か、眠れぬらしく自家の床の上に寝そべっても目がさえるばかりでどうしようもないので、横で静かな寝息をたてて寝ている細君を起こさないよう細心の注意を払って、玄関の戸をなるだけゆっくりと開け、閉める時も極力はでな音をたてずに閉め、外に出たとしても家を離れる際、履いている下駄の音にも気を使いようやく住宅街から離れ、商店街に続く一本道に躍り出たところであった。
20分ぱかし歩いたところで、本木氏は様々な光景を目にした。
本木氏がただ歩いていると、後ろから車がやってきて、自分を追い越す時に余程近かったのか、右腕にバックミラーが がん と当たり、それでもドライバーは知らん顔して行き過ぎていった。
尾灯(テールライト)の明かりで、ドライバーが女だとわかり、本木氏は 「ちょっ」 と不機嫌そうに舌打ちをしただけでその場をやり過ごした。
あと、若い恋人同士であろう若い男女が、自転車を走らせながら横に並んで会話をしているのを見た。
一本道は、そう太くもないので、後ろからきた車は少し立ち往生していた。
それでも若い男女は、避けようともせず楽しそうに会話をしながら自転車をのろのろ走らせていた。
本木氏は、学校の教諭でもないので、それでいて社会事業者でもないものだから、「君たち、自転車に乗りながらの会話は危険だよ。会話に気をとられて運転を過り、自分達や歩行者に危ないじゃないか」と一声かける道理も見出だせぬまま、じっとその様子を凝視していた。
かく言う本木氏は、今そんな他人にかまっていられるほど余裕のある精神状態ではなかった。
彼は売れない作家であるが、4日前にやっとテーマが決まり新作に取りかかろうと筆をとったところ、書き出しの部分がいっこうに書けないでいる。
テーマは「絶対正義と絶対悪」。
はてさて、この途方もない大きなテーマについてどう書こうか。すべては書き出しいかんで決まる。
書き出しが月並みやつまらない文章であったなら、読者は喰いつくまい。
いや、最初の二、三行読んだだけで飽きられて本棚にもしまわれず、部屋の片隅に放りっぱなしにされるのではないか...。
本木氏は、売れない作家ではあるのだが、そこのところが妙に物書きのプライドたる考えをもっているのであった。
しばらく歩いていると、本木氏は商店街に出た。
いつも見慣れてる店、道、街灯、ゴミ箱の位置などそれらはすべて頭の中に入っている。
思い出しただけで嘔吐を催しそうだ、、本木氏はそう思うくらいにこの街には長く住んでいる。
馴染みの商店街。よく酒を飲みにふらりと足を向けたものだ。
しかし、彼は飲み屋には入らず、コンビニで安酒を買い、夜風に浸りながら一人酒を飲むのを好んだ。
その方が安くつくし、なまじ一人身で飲み屋などに入り酒を飲んでも、高くつくばかりで気持ちが鬱屈としてくるのをつまらなく思ったからである。
物書き特有の孤独感というか、いや、人間誰でも独りになって考えたいと思う時が人生には何度かあるのだ。
本木氏も今は独りでいたい。悩みの相談など細君がいるのだから、いくらでもできるだろう というのは青臭い純粋な異性との交際まだ浅い若者の考えにすぎないだろう。
夫というものは、そうみだりに妻に泣きすがったり、軽々しく悩みを打ち明けたりしないものだ。
悩みがあったとしても、妻にはグッと口をつぐみなんでもないフリをしようとする...一種、それが男のプライドたるものだと本木氏も例外なく抱懐していた。
本木氏はコンビニで安酒を買い、少しのつまみにとチキンもつけてもらい、店先でチキンを狂ったように頬張ると、酒を片手にコンビニを離れた。
ふと、薬局の軒下に来た。本木氏はどすん とシャッターの前に座り込み、存分に酒を飲み、五臓六腑に隅々まで沁みわたらせた。
だんだん酔ってくる......頭がなんだか軽く感じられ、目がまばたきする毎に浮いてくるのがわかる......。
ふと、商店街に入る前の、いつも煙草を買っている煙草屋に通りかかった事を思い出す。
夜も遅いので、当然閉まっている。
二階の窓も閉まっている。月灯りに照らされて雨戸の光沢が妙に不気味だ。
そうだ、今は梅雨時なのだ。
しかし、雨はあまり降らない。今年も空梅雨なのか。
「絶対正義と絶対悪」についての思索をめぐらせている間も、原稿の前で苦しみながらもふと窓外を見つめ、雨じゃない......と気持ちを寄せた事もあった。
そもそも何故、本木氏は絶対正義と絶対悪についての小説を書こうと思い立ったのか。
それは、この世の中、絶対正義というものは無くてはならない心持ちだが、最近、絶対悪 という心持ちのある人間がさっぱりいなくなってしまったのだという事に気づいた。
絶対正義 は、何の見返りも報酬も求めない。一種のヒロイズム的な日本人のこころの奥底に眠る民族性といったものがそうさせているのだろうが、それに対する絶対悪 というものが今の世間には見当たらない。
現根の悪は、絶対的に「悪」にはなりきれず、悪を行使した暁にはそれなりの見返り、報酬が必ずある。
正義 という定義に生きる人たちの立場と悪 という定義に生きる立場。
それは寸分変わりないものだと。
しかし、「絶対」という文句が先立って修飾されると、それは悪 の立場にはもう無いのだと。
悪 は必ずしも自分の立場が 悪 であると思ってはいない。
正義から見る悪は、自らが正義だと思い込んでいる。
そこが些か厄介なところである。
本木氏も、そこに多少なりの瑕瑾(かきん)を抱き、今夜も自家で筆をとるには精神的に慮(おも)んぱかるところが発生し、こうして憂さ晴らしに夜の街をぶらぶら歩いているのだ。
一体、正義とは、悪とはなんなのか......。
正義は、正義であって昔のような『勧善懲悪』とかの思想や歴史があるが故に信用できる産物として人々にも理解できるのだが、悪が自分たちが正義と唱えると、それは悪でなく正義という立場で、一般定義の正義に抗うものになってしまうのか......。
そこで、本木氏は停頓してしまった。
彼の住む街には、多くのアジア系の外国人が我が物顔で住んでいる。
彼らは選挙権もない。いつ、どこからやってきてある日突如として日本に住みつくようになったのかも判然としない。
同時にこの国に無条件で住む資格があるのか、ないのかはそれはわからないが、少なくとも彼らが正義か悪かと問われれば、本木氏は正確な答えを見出だせないであろう。
今、正義と悪の思考の軋轢の只中にある彼には、その判断ができかねる心中にあるのだろう。
本木氏は、飲んでるうちに用を足したくなった。
しかし、公衆便所が近くにないので、仕方なくその辺ですることにした。
出物腫れ物......という諺があったなァ と朧気な頭に浮かべながら放尿を終え視線を逸らすと、 Alley (路地裏)からもれる一筋の灯りが彼の目にとまった。
ふと、その寸分の隙間を一人の少女の影が横切った。
少女は、眼鏡をかけていて鞄を大事そうに抱えながら足早に消えていった。
もう片方の手には、ビニール傘を持っていたのもみとめた。
そうだ、梅雨時なのだ。
しかし、雨はあまり降らない。この矛盾が、本木氏の行き詰まる『絶対正義』と『絶対悪』の拮抗と似たような感慨を持たせるのだった......。
本木氏は、体はじゅうぶんに酔っているにも拘わらず、はっきりとした意識を閃かせながら、ゆっくり、、本当にゆっくりと足を歩ませながら愛しい細君の眠る自家へと歩き出した。
危ぶまれる帰路の中途中途で、下駄をカラコロいわせながら、本木氏は未だ雨の降りそうにない空に向かって一瞥を不穏そうに投げ掛けた。
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以上で初の短編的小説を書かせていただきました。
なんだか、終わりが中途半端な感じになってしまい、すみません💦
テーマに掲げた『絶対正義』と『絶対悪』についての言及は敢えてしないでおきます。
それぞれ、皆様のお考え次第におまかせしたいと思います。
突然の拙作を披露してしまい、まことにすみませんでした。
終わりまで読んで下さった方に、感謝申し上げます。
おやすみなさい。
@2677/ 7/ 11/ 草稿
現代日本における『伝導者』の必要性と、日本が救われる道とは......?
こんばんは。aikokuken-ryujiです。
そういえば、昨日7月7日は七夕でしたね🎋
皆様、何か願い事をされましたか?(*^^*)
短冊に何か願い事を書いて、笹の葉につるされましたか?
僕は特に願い事をしたわけではありませんが、短冊に書くとしたら「家族の幸せと健康」「日本の平和と平穏」あと「僕自身が良縁に巡り会える事」くらいですかねwww
ま、僕の願い事はともかくとして(笑)皆様の願い事はきっと彦星と織姫のいる天の川に届いていつの日か叶えられることでしょう。
せっかくですので、下記リンクに七夕の彦星と織姫の事について少しだけ触れておきます⬇⬇⬇
http://dog-which-sings.com/1183.html
さて、今回のブログですが、前回に引き続き映画の話をさせていただきたいと思います。
と言っても、今回は映画の話はそこそこにして、今現代日本に於いて足りないものとは何か、またその足りない部分を補うものとは一体なんなのか、どういうものなのかを中心に書いていきたいと思います。
まず、映画の方を簡単に紹介させていただきます。
1972年に公開されたアメリカ映画『ポセイドン・アドベンチャー』です。
これは小説の映画化で、小説の方は1969年にポール・ギャリコによって書かれました。
原作者のポール・ギャリコは、父がイタリア系、母はオーストリアからの移民というヨーロッパ系の血を引いている人物です。
代表作に猫になった主人公が繰り広げるファンタジー『ジェニィ』や、雪の発生から消滅までの過程を、人間(女性)の一生になぞられて比喩的に示した短編(中編)『雪のひとひら』など。
こちらは、卓抜な比喩が見事で、代表作の一つと見なされます。
『ジェニィ』や『雪のひとひら』などは取り上げるテーマが非常に繊細で、とても映画にするや否や"パニック映画"の代名詞と挙げられるほどの作品『ポセイドン・アドベンチャー』を書いた作家と同一人物とは思えませんよね。
ですが、それぞれを書いたのは紛れもないポール・ギャリコその人です。
『ポセイドン・アドベンチャー』の内容を簡単に説明しますと、豪華客船が海底地震による影響で巨大な津波が発生し、その津波を回避しようとするもできず、まともにかぶってしまい81,000トンを誇る客船があれよあれよという間に、まっ逆さまに海上にひっくり返ってしまうのです。
その時の衝撃で傷つき死んでしまった乗客や船員がいる中でも、なんとか生き残った人たちは、船のパーサーが、救助が来るまでこの場所に留まろうと主張しますが、それを断固としてはね除け、船は逆さになってるのだから、登って行けば生きてここを出られるかもしれない と言い出し行動を起こす人物が出てきます。
彼の名は、スコット。
映画では『目撃』(1997年 クリント・イーストウッド監督作)『クイック&デッド』(1995年)『許されざる者』(1992年)などで近年悪役を多く演じているジーン・ハックマンが存在感たっぷりに演じています。
(僕的にはアーネスト・ボーグナイン演じるロゴ刑事がキャラクター的に一番好きです 笑💧)
⬆写真前列右から一人目がジーン・ハックマンです。
スコットは牧師ですが、あまりにも従来のキリスト教信者の思想とはかけ離れ、破天荒な持論を展開させている型破りな牧師です。
多くのキリスト教信者や牧師は、神にすがり、神を頼るもののみが救われる といった教義が全体的に支配していますが、スコット牧師の持論は、神は多忙な身なので人間一人一人の事など気にしていられない。だから人間も神に頼るばかりでなく、自らの内なる神を信じよ というポジティブなもの。
ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェのように、神は死んだ とは言わないものの、自分の中に眠る自身の神を信じ、自らの勇気と力をもって困難を克服せよと言っています。
この宗教感が全体的に小説では、重要なキーワードとして描かれ、映画のように単なるパニック映画としてではなく妙に理屈っぽい描き方になっているのが映画との相違点ですね。
事実、小説と映画の決定的な違いはラスト近くの場面にあって、映画ではスコット牧師の自己犠牲によって今まで付いてきた人々が救助隊によって助けられ、めでたしめでたしといった結末なのですが、小説の方はスコット牧師の死について、また、何故乗り合わせた大勢の乗客の中で自分たちだけが助かったのか、などとパネルディスカッションを行い始めます。
たぶん、この場面はパニック映画としてはいかにも辛気臭いので省いたものと思われます。
ここでスコット牧師についてスポットを当ててみたいと思います。
映画(小説)の中で、スコット牧師は付いてきた乗客たちを全員生きて生還させる為に、様々な奮闘や思考を巡らせます。
聖職者という立場なのか、自分に課せられた運命を感じてという事なのかはこの際いいとして、圧倒的なリーダーシップを誇り、遂に船底までたどり着いたところで、自ら死を選んで皆を助けるに至った責任感というか、強固たる意志が僕の胸にはグッときました。
これはまさに、『伝導者』の鑑だと。
自分に付いてくる賛同者、何としても生きてここを出るという強い意志を持った者だけを身を以って引っ張り、進む途中で何人かの死を目の当たりにしたにも拘わらず、希望の火を決して消すことなく自分の最期の時まで助けたいと願ったまさに『伝導者』。
僕はどちらかと言うと、キリスト教的教義よりも日本古来の神道や仏教を重んじる方なのですが、神様については否定はしません。
イエスキリストを信じるのとは違いますが、一般的に言われるいわゆる『神様』の存在を信じています。
僕の心の奥底に潜む信心深い性格ゆえでしょうか...(笑)
今の若者のように、信心深さを失って自分の快楽や悦楽だけに軽々しく身を焦がしているのを見ると、少し悲しくなりますね。
まぁ、若者だけに限って言える事ではありませんが。
さて、これらスコット牧師についての人物像を今の日本について当てはめてみたら、現代日本に足りないもの というのは自ずと判然とすると思います。
今、日本という国は疲れ果て、傷つき、貶められ、真の日本としての日本、日本民族たる日本人の継続が危ぶまれています。
それは、反日勢力や在日支那朝鮮人、また、それらの国にとって都合の悪い事に口をつぐむマスメディア、国賊売国奴政治家などによってです。
現政権を執っている自民党も、過去に多くの過ちや反日、在日、特亜3国と呼ばれる国々に対して、必要な措置をとって来なかったばっかりに大きなツケを払わされる結果になっています。
NHKなどでも連日、安倍総理や稲田朋美防衛大臣に対してのバッシングを繰り返し、まるで野党(特に民進党)の伝える声が国民の声みたいに報道しているのに我慢できない苛立ちが日々募っています。(-_-#)
NHKだけではありません。フジテレビ、TBS、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、中日新聞、さらに沖縄では琉球新報、沖縄タイムスの2紙が依然、県民の心を惑わしているのも事実です。
これらの日本を傷つけ、貶める勢力に抗うには、政治のトップである総理大臣が毅然とした態度で以て、発言力と実行力を如実に示す事が国民にとっての政権与党支持のバロメーターに繋がるものだと思います。
しかし、未だ大きな成果を得られていませんよね。
僕は自民党支持者、安倍総理支持者でありますが、国のトップたる総理大臣が未だに靖國神社参拝を成し遂げられず、燻っているあたりが残念でなりません。
天皇陛下から直々に任命された総理大臣という職の重さには重々向き合っておられると思いたいのですが、下をあずかる国民としては歯痒いばかりが先に立つのも仕方ない事だと思います。
日本は、自国を強い国、厳然たる伝統文化、歴史を誇れる国として導く『伝導者』の存在を今一つ感じられない状況です。
そうしてる間にも、反日勢力や在日による内側からの日本侵略、国家転覆を目論む者共によって傷つき、疲弊していっているのです。
我が国を昔のような強靭な国、世界に唯一無二の伝統文化をもつ、その事を国民全員が誇りに思う精神を取り戻すには、やはり『ポセイドン・アドベンチャー』のスコット牧師のような確固たる意志を持った指導者、伝導者が必要です。
僕としては、遂に憲法改正の必要性を説き始めた安倍総理を伝導者として信じたいところですが、もう一人の政界の救世主に安倍総理と同じように期待をかけている人物がいます。
ネットに通じている愛国者や保守の方々にとっては、日本を守る最後の砦 といった認識高いまさに救世主。
桜井さんは、在特会(在日特権を許さない市民の会)時代から注目していて、この人ならきっと今の日本を変えてくれる❗と強く胸に感じています。
桜井党首率いる、日本第一党は先日の都知事選で岡村幹雄氏という素晴らしい候補者をたてましたが、残念な結果に終わりました。
ですが、きっとまたどこかの場面で巻き返していただきたいですね。
僕としては、安倍自民党の右舷を日本第一党がとってくれたら、更に自民党が公明党といい加減手を切り、日本第一党と手を結んでくれれば本当の意味で、日本を取り戻す第一歩を踏み出せると考えています。(^o^)/🎌 ✨
その日が実現するまで、我々国民は草の根運動を決してやめてはいけないですよね❗
国民は、真に日本の為に尽力していただける、考えて実行に移していただける政治家=指導者・伝導者の出現を心待ちにしているのです。
最も尊敬する保守論客、保守政治家の一人、青山繁晴氏がいつかの講演会で仰っておられましたが、「実際に国を動かすのは、政治家でも無く、総理大臣でもない。畏れ多くも天皇陛下でもそれはないのです。ならば誰なのか!? それは僕たちです。僕たち国民の声なのですよ」と。
まさにその通りで、表面だけ見れば国民の生活は政治に誘導されているととられがちですが、その真意はすべて国民の総意によってでしか政治家は動けないのだと。
だから日本国民の一人一人が、愛国心を持ち、真剣に国を憂い、想い、日本を貶める傷つける輩と正面切って刺し違えるほどの覚悟を行使していただける政治家が出てくるのを、我々国民は活動の合間に常に祈願をしていなければならないものと思います。
スコット牧師=(屈強な志を持つ伝導者)の指導と鞭撻の下、船底から生還=(自虐史観からの脱却、愛国心の目覚め)するのは今ですよね❗
最後になりましたが、前述した『ポセイドン・アドベンチャー』の映画予告編をYouTubeにて掲載しておきます。
機会があれば、今回のブログの内容と重ね合わせて観ていただければ僕としても幸いです。σ(^_^;)
(蛇足......後年、『裸の銃をもつ男』シリーズなどでコメディアンとして有名となる名優、レスリー・ニールセンが船長役として出てるのも必見です 笑)
The Poseidon Adventure (1972) Trailer - YouTube
次回は、キリスト教的教義から転じて、仏教について触れたいと思います。
最後まで読んで下さり、今回も感謝でございますm(_ _)m
おやすみなさい💤 素敵な夢を...(*´-`)
@2677/ 7/ 8/ 草稿
映画って、本当にいいもんですねぇ~(*´▽`)
皆様、こんばんは😃🌃 aikokuken-ryujiです。
実は最近、仕事で足首を痛めてしまって...(><;)
その痛みが今日になって酷く痛みを感じるようになってしまいました💦
仕事してる構内では、出勤時からずっと歩きっぱなしなので無理もないですが。
各地域では、台風による影響で豪雨に晒されて大変な事になってますね。
台風一過とはいうものの、お気をつけ下さいませm(_ _)m
さて、今回は僕の趣味のひとつ、映画について書いていきたいと思います。
タイトルが、やや水野晴郎ぽくなってしまったのには笑って誤魔化すしかないので、皆様も素直に笑って下さい😂😂
皆様、映画はお好きですか? 僕個人の意見では、最近の映画はあまり良いのが無く、映画館に足を運ぶ機会も失しているのでありますが、映画という娯楽は実に人の心を癒し、鼓舞し、また励ましてくれるものですね。
ある映画では、忘れかけていた大切な何かを思い出させてくれる... またある映画では、堅苦しい事ぬきにして思いっきり笑い、楽しませてくれる... またある映画では、歴史の再認識と共に先人の強い想いを受け継いでいかなければ! と、半ば益荒男と化して今まで自分が知り得なかった何かを知り、奮起のきっかけを作ってくれる... 映画には、何にせよ人の心を惹き付ける強力なパワーが内在しています。
明日への活力とでもいいますか(笑)
僕は邦画、洋画問わず、ジャンルも問わず、過去にいろいろな映画をみてきました。
アクション、SF、サスペンス、コメディ、恋愛もの、ホラー、オカルト、戦争もの、法廷もの...etc.
あっ、法廷ものは映画としてはちょっと個人的に退屈ものなのであまり観ていませんが(笑)
しいて言えば、退屈しない法廷ものは『十二人の怒れる男』くらいですかね😂
1954年のにテレビ放映された作品を3年後に映画化したものです。
監督は『狼の午後』などの社会派シドニー・ルメット。主演はヘンリー・フォンダでしたね。
この映画は、日本でも2009年に開始された陪審員制度に因んで教材とされた事は、記憶に新しいかと思います。
今回のブログですが、毎度お馴染み僕の私的考察で、微妙に例えをいれつつ端的に紹介をさせていただきたいと思います。
挙げる作品は3つ。
まず、ひとつめは日本映画が世界に誇る巨匠、黒澤明監督による時代劇超大作『七人の侍』です❗
この映画は、最初ビデオで観ました。
さすがにリアルタイムでは観れない(生まれてない...😵💧)ので、ビデオで観て、のちにDVDを購入しました。
脚本に『砂の器』など名作の執筆も数多い橋本忍、御大の小國英雄、そして監督兼任の黒澤明の三人。
有名な『侍のテーマ』を手掛けた音楽担当に早坂文雄、そして出演者も三船敏郎、志村喬、千秋實を筆頭にそうそうたるメンバーでしたね(*^^*)
ちなみに、海外でも人気が高く、翻訳で各国でも上映され大絶賛されました。
ここに、日本映画あり! 世界のクロサワあり! と知らしめた作品でしたね。
内容をざっくり書きますと、戦国時代......戦の絶えぬ時代にある寒村が野武士(戦で負け敗走する中で、盗賊と成り下がった武士)の一団に目をつけられ、狙われてしまう。
野武士の襲撃を防ぐ為、村人は侍を七人雇い(雇うといっても飯を食わせるのを唯一の条件に)、多くの犠牲者を出しながらも侍と共に戦い、最後は野武士から村を守るといったもの。
かなりざっくりで、映画を知らない人は (?_?)って感じでしょうが、どうかお許しを😣
僕は黒澤明監督の映画は、けっこう好きで『用心棒』(1961年)『天国と地獄』(1963年)『どですかでん』(1970年)などいろいろ観てきましたが、この『七人の侍』は郡を抜いてましたね。
元々、アメリカの西部劇の名監督、ジョン・フォード(『駅馬車』『リオ・ブラボー』などのウエスタン活劇の名優・ジョン・ウェインを見いだした事でも知られる)の影響で西部劇のような時代劇を撮りたい!と黒澤監督が思い立ったのがきっかけと言いますが、徹底した時代考証や内容の根深さ、ダイナミックな撮影、勇壮なテーマ音楽、そして出演俳優の力演など、これぞ時代劇といった真骨頂なるものを感じずにはいられません。
それが功を奏してかアメリカでも『荒野の七人』として翻案され当時無名だったスティーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンらを一躍スターダムに押し上げた記念碑的作品となりました。
ちなみに『荒野の七人』の監督、ジョン・スタージェスの『大脱走』は19歳の時にビデオで観て、心酔した事をおぼえています。
この『七人の侍』の中で印象的なシーンがあって、それは集落から離れた橋向こうの家々まではとても守りきる事ができないので、辛いだろうが引き払ってくれと侍の頭である島田勘兵衛(扮するは志村喬)が言ったところ、百姓の一人が「馬鹿馬鹿しい!自分の家捨ててまで他人の家守る事はねぇだ!」と捨て台詞と共に槍を放り投げるのをみて、勘兵衛が放つ台詞。
「離れ家は三つ、対する集落は二十。三軒の為に二十の家々を犠牲にする事はできん。また、集落がやられて離れ家の生き延びる道は無い。戦とはそういうものだ。
人を守ってこそ、己も守られる。己の事ばかり考える奴は、己をも滅ぼす奴だ!」
これには本当に熱いものを感じました。
自分の事ばかり考えて、連帯を崩すのは、ひいては全体の秩序なり結束なりを崩す事に繋がるものだと。
戦というものが何であるか。どんなに厳しいものであるかを身勝手な心構えの百姓たちに一喝をいれた勘兵衛はまさに圧倒的リーダーシップをもって挑んでいたものと思えます。
これは置き換えれば、侍側がアメリカ、そして百姓は日本だと考えたら、どうでしょうか。
アメリカは日本の各地に在米軍基地を置き、何かあれば日米安保条約の規定により即座に日本防衛の為に動いてくれます。
しかし、守られる側の日本は何もしないで守られてばかりいるのは、やはりおかしい。
守る側にとっても、守られる側は誠意を示してほしいと思うもの。
それでいて日米安保は成り立っているのだと思います。
この点については、就任直後にアメリカのトランプ大統領が明言していますね。
日本から米軍基地を撤退させると。
しかし、これは日本側が自国を防衛する確固たる意志を見せるか見せないかを試したものだと僕は思いました。
元々は憲法9条をはじめとする日本国憲法は米国人が作ったものですが、当時指示したダグラス・マッカーサー元帥も後年、日本が憲法改正を未だ行っていない事に驚愕したとあります。
本当は、我が国に祖国防衛の為の正規の軍隊が認められていれば、わざわざ日米安保条約による在日米軍などは不必要なのですが、憲法9条があるおかげで日本は未だ祖国を守る術を得られないでいるのです。
だから、『七人の侍』で何の見返りもなく命を賭けて百姓、村の為に戦う侍に対して、何の危機感も無く己の事ばかり気にして、秩序、連帯を乱す左翼、お花畑には日本の現状を知ってもらいたいと思いました。
さて、次の映画に移りたいと思います。
次に紹介するのは、2005年に公開された日本映画『男たちの大和』です。
辺見じゅんによる原作を映画化したもので、物語は大東亜戦争末期に沖縄に海上特攻の名目で出撃した日本海軍最大の戦艦、大和の末路と乗組員の人間模様を描いたものです。
長渕剛の歌う主題歌「男たちのYAMATO」「CLOSE YOUR EYES」も有名ですよね🎵
主演は反町隆史、松山ケンイチ、蒼井優、中村獅童、仲代達矢の面々で、鈴木京香が中村獅童扮する内田守二等兵曹の養女役で、現代を視点に物語が進んでいきます。
戦艦大和については、今更言わずもがなでありますが、僕は何度見ても涙するシーンがあります。
それは、松山ケンイチ扮する海軍特別年少兵・神尾克己が遂に大和に乗船し海上特攻に加わる前日、蒼井優扮する神尾の同級生・野崎妙子が想いのたけを告白するシーン。
会話の流れは、こうです。
妙子「克ちゃん......大和は沖縄に行くんじゃろ? 克ちゃんも死ぬるんか...?
(涙が溢れ)嫌じゃ......!嫌じゃ......!!克ちゃん死なんといて!!死んだらいけんよ!!」
神尾「妙ちゃん......俺も、死ぬるんは怖い。でも、俺らが日本を救わなければならんのじゃ。だから行くんじゃ......」
妙子「私......克ちゃんが、克ちゃんの事が好きじゃ......」
書いてる途中で、涙が......😢
ごめんなさい💦 このシーンになるといつも涙が出てきます。
特攻隊のブログでも触れましたが、当時の若者は国の為なら自分の命を擲ってでも死闘の限りを尽くしました。
それだけ切羽詰まっていたのです。それでもやはり人の子。死ぬのは恐い。それでもやらねばならぬ。
これを今の若者と比較すると、どうでしょうか。
三島由紀夫をテーマのブログで載せた動画にも、「今の若者は、死を恐れてはいますが、生が死の前提であるというのには疎い」と言っていますね。
恐らく、今の平和ボケした世界に生きる大半の若者は、果たして国の未来の為、大事な人を守る為に自ら死を選ぶ事ができるでしょうか......。
国家に殉死する、、それは個人の生命尊重の立場で物を言う人たちには、到底わかり得ない事だと思います。
国家、国ありきの国民、生活と深く考えるべきです❗
戦艦大和に乗船し、その命を散らした3333余名の英霊様に対して、合掌。
⬇⬇『男たちの大和/ YAMATO』予告編 YouTubeさんから。
では、最後の映画に移らせていただきます。
それは平成14年に製作されましたが、左翼や政治的圧力により僅か2日間で上映禁止となってしまった幻の映画。
そう、『凛として愛』
監督、ナレーションを勤めた 泉水隆一監督は平成22年7月15日に逝去されましたが、関係者の努力で、DVDやYouTube で日の目を見ることになりました。
この映画は、日露戦争から大東亜戦争、さらに満州国建国、南京事件の嘘、通州事件の真実、盧溝橋事件、そして神風特攻隊の歴史にまでも詳細に描かれていて、まさに真実の歴史を知りたい者は本作を観よ!と豪語してるかのような充実した内容となっています。
戦後、GHQによる占領下で日本人魂を骨抜きにされ、『ちょうちょ』『我は海の子』『兵隊さんの汽車』などの童謡唱歌をも書き換えられ、さらにたった2週間足らずで制定された法律専門家でもない米国人による日本国憲法により今日まで我が国は、すべての事にがんじがらめで政府や国にとって多くの禍根、問題を残し、それが尾を引いて今でも解決されないままでいます。
些少ながら本来の日本を取り戻す活動をされている組織、政党も存在するものの、やはりGHQの意志を受け継ぐ勢力の力は甚大なもので、新聞メディアなどあらゆる媒体を駆使して、日本という国を貶め、傷つけてきました。
僕も20代後半までお花畑で過ごしてきたもので、本当の事を知るのはネットなくしてなし得なかったものと思わせていただきます。
そういう意味で、お花畑精神からいち早く離脱し、真実の歴史を知るにはこの『凛として愛』を観るのが一番の近道だと思います。
冒頭の画像をいくつか掲載させていただきましたが、この画像を順にみていってもわかるように、日本人が目覚める時はまさに今なのです❗🎌
⬇⬇下記リンク『戦後、改竄された童謡唱歌』
http://itakiso.ikora.tv/e1055868.html
⬇⬇下記リンク『戦争に翻弄された童謡唱歌』ヤフーブログさんから。
https://blogs.yahoo.co.jp/y0_yamaguchi/24100974.html
まずは『凛として愛』を観て下さい。
そして、真の歴史を知って下さい。
必ず日本人としての自分に覚醒し、この国を守る為にはどうすれば良いか...という素朴な疑問に突き当たるはずです。
また、これを観て、感動しない日本人は一人もいない事を自信をもって公言したいです。
⬇⬇『凛として愛』ノーカット版 YouTubeさんから。
先日、東京都議選挙が行われましたが、僕が支持する日本第一党からの候補、岡村幹雄氏も残念ながら落選してしまい、小池百合子知事率いる「都民ファーストの会」による一人舞台で自民党も大敗を喫してしまいました。
小池知事は、豊洲問題についてあまりにも長い間取り上げすぎ、都民の血税の何億円もの大金を無下にしてきました。
これについて、都民の皆様はどう思っておられるのでしょうか...。💧
右派左派思想を越えて、意見は様々に別れると思うところですが、真に日本人の為に粉骨砕身していただける議員、知事が現れてくれるのを切望するばかりでございます......。
今回は映画について肩の力を抜いてのブログにしようと思ったのですが、結局政治、時事について語ってしまいましたね💦
でも、やはり危機感を無視できない状況に今の日本はあると思ってしまうので、締め括りはこのような感じになってしまいました。
今回も、拙い文章のブログを最後まで読んで下さり、ありがとうございました🙏
毎回、読んで下さる皆様には、感謝しかありません。
若輩者ではありますが、これからもご愛読のほど、よろしくお願い申し上げますm(_ _)m
おやすみなさい💤
@2677/ 7/ 5/ 草稿
『親孝行と親不孝』現代の家族の在り方について、考える
皆様、こんにちは☀ aikokuken-ryujiです。
今日は、暑いくらいの晴天に恵まれた行楽日和の日曜日となりました(*^-^*)
皆様は、どのように過ごされるのでしょうか...? お出かけされる方は、熱中症にじゅうぶんお気をつけ下さりますように、お願い致します🙏
さてさて、今回のブログ更新ですが、最近政治ネタや時事ネタが多いですので、少しそういうのから離れて、人間が必ず経験する『親孝行』と『親不孝』について自分の事も交えて書いていきたいと思います。
よく「孝行したい時に親は無し」という言葉を聞くと思います。
これは本当にそうだと思います。幼い頃より、親に育ててもらい、可愛がってもらい、親のおかげで学校にも行けて、成人するまでの間、本当に一生返しても返しきれないくらいの恩恵をいただいて、生きてこられた事実。
ですが、さぁ!社会人としての自分も確立できたし、これからは親孝行するぞ! と思い立った時に、何故か親が急逝したり、うまくいかなかったりするものです。
そういう経験については、読んでおられる方々もあるかと思います。
ですから、上記の「孝行したい時に親は無し」というのはとてもわかる気がします。
僕は中学を出て、父の仕事を七年間手伝ってから勤めに出たのですが、それまでもけっこう両親にただならぬ苦労をかけたと思っています。
今でも思い出すのですが、僕は中3の時、いじめを受け登校拒否になり、ずっと家に籠りきりでした。
両親は、ともに仕事に出掛けて夕方まで帰らない時間を、悶々と過ごし、時にはこんな自分が嫌で仕方なく狂ってしまうくらいに苦しんだ事も多々ありました。
中学の担任から電話があるたびに、母は電話口で謝りながら泣いていたのを思い出すと、今でも胸が痛くなります。
こんな親不孝を繰り返してきた僕ですが、中学を出てから父の仕事を手伝い、その後就職し、仕事は転々としつつも社会人として、今に至れるということは、これは突き詰めて考えるに、親の力以外にないと思います。
親がいてくれたからこそ、自分がいる...。
両親のご先祖様が血を繋げてくれたからこそ、自分がいる...。
でも、なかなか口に出して感謝を示したり、あからさまな行動で親に感謝する、親孝行するとかができない自分がいます。
何故、こんなに素直になれないんだろう......
いつも歯がゆい気持ちでいっぱいです。
まだまだ殻を破れていない自分がいるという事でしょうか...(-_-;)
日本の昔の民話に『姥捨て山』という話があるのはご存知かと思います。
ある国の殿様が、年老いて働けなくなった者を不要として山に遺棄するようにというお触れを出し、ある家でもお触れに逆らえず泣く泣く老親を山に捨てにいこうとします。
山に老いた親を捨てるために背負っていく際に、親が道すがら小枝を折っている(あるいは糠を撒いていく)のを見た息子が、何してるのかと尋ねると、「お前が帰るときに迷わないように」と答えます。自分が捨てられるという状況にあっても子を思う親心に打たれ、息子はついに親を連れ帰る決心をします。
他に、年老いた親を捨てに行く際に子供も連れて行きますが、担いできたもっこごと親を捨てようとします。
すると、子供に「おっ父を捨てるときに使うから、もっこは持って帰ろう」と言われ、親を捨てる非道さに気付き(あるいはわが身に置き換えて思い知った恐怖から)姥捨てをやめるという内容の物語が海外でも多く流布されています。
親を捨てる......普通では考えられない発想ですが、役に立たない者は見捨てる、使えない者は切る、というこの考えは、現代社会にも深く根付いているひとつの資本主義的思想ですね。
資本主義的社会に於ける学歴重視、雇用制度にもそれは顕著にみられます。
昔と違い、今では企業からウェルカムではなく、こちら側から求めていかなければならない程に若い人たちの間でも、なかなかやりたい仕事に就けない、妥協して妥協して、やっと仕事にありつく...といった現象が右往左往しています。
それだけ、今の社会は物質的に行き届いている という事でしょうか。
もちろん、働く側も社会貢献やその会社に貢献する為に頑張らなければならないのは、言うまでもない事ですが、企業側が常に胡座をかいているのは、どうかと思います。
少し話が横道に逸れましたが、「親を捨てる」という行為は、どんなかたちでもひいてはご先祖様や両親に対する恩を仇で返すといった事になりますよね。
少子高齢化社会の厳しい社会環境ではありますが、そんな時代だからこそ親と子の絆というものを大切にしていきたい、大人と若者の距離がいくら縮んだ世の中といえども、親しき仲にも礼儀ありで目上の人には尊敬の念を抱く こういった事が今の世の中では非常に稀薄になってきていると思います。
「親捨て」論 金美齢氏、小沢遼子氏、呉智英氏ら賛否│NEWSポストセブン
⬆⬆上記で紹介させていただいた台湾人で日本に帰化された金美齢さんは、憲法改正や日本の真実の歴史について発言や著作なども多く、多方面で活躍をされている方です。
金美齢さんの著作に『凛とした子育て』というものがあります。
機会があれば、是非これから親になられる方や、若い人から子供のいる親御さんも読まれてはいかがでしょうか。
きっと、何らかの答えを導き出してくれると信じています。
確かに、思春期や第一次、第二次成長期には子供にとっては親の存在がうっとおしく感じるもの。
僕もそうでしたし、実際そういうのが重なったりいじめを受ける中で、結局両親に迷惑をかけてしまいました。
でも今はこうしてなんとか働く事もできている事は、決して自分一人の力なんかではなく、親の子を想う気持ちであったと思います。
【親が子を想い、子が親を想うーー】
この言葉は、子供の時から聞かされていました。
でも一口に「ええ言葉やなぁ。その通り」と頭でわかっていても、心でわかる事ができなければ何にもならないのではないか......。
僕なんぞは、何でも頭でわかろうとするタチなので、心で感じる 想いをひけらかす 事に真実味を感じられず躊躇してしまう時もあります。
それじゃダメなのはわかっているのですが(笑)
この【親が子を想い、子が親を想う】という言葉は、言い換えれば............
【皇室が国民を想い、国民が皇室を敬う】
というシノニム(同意義語)にも置き換えられるのではないでしょうか。
2600有余年の間、この日本という国に平安をもたらし、国民の生活の安定と平穏を何代にもわたって願い続けてこられた天皇陛下と国民の絆は、古事記にある國譲りから始まった時から、神武天皇が即位された頃からすでにその堅い絆は、あったのだと推測します。
特に歴代天皇の中で、仁徳天皇の『民のかまど』というお話には国民と皇室の、深い絆と信頼関係がわかりやすいエピソードとしてネットや書籍などで紹介されています。
⬇⬇仁徳天皇『民のかまど』にみる聖帝物語 YouTubeさんから。
そして、親子、家族について語る上で忘れてはならないのがアニメ『サザエさん』ですよね(ベタな話題、キター❗って感じ? 笑)
戦後、ベビーブームなどが訪れ大所帯な家庭が増えましたが、その後の家族形態というものがある時代から、まったく一変してしまったと言ってもいいくらいの状況に晒されてしまいましたよね。
そう。お察しの通り、その名は核家族化。
戦後日本の家庭は、両親や祖父母との同居が著しく減少し、現在に至るまで核家族化が進んでいる状態です。
この頃から次第に、お年寄りの孤独死や青少年の犯罪とかが増えてきたんじゃないのかな...?(´^`;)
つまり、昔の家庭には、両親が共働きの場合でも、家に祖父母がいて子供の面倒をちゃんと見てくれて、時には若い親では、なかなか知識が及ばず、教えてあげられない礼儀作法やお伽噺などもしてくれて、子供にとっては物凄く大事な存在であったのです。
今のように、会社に行く前に、幼い子供を保育所や託児所などに預ける必要などもなかったわけですね。
それが今や、親や祖父母は自分たちの生活から切り離してひとつの家族を形成する事が主流のように思われていますから、施設にも入れない老人が寂しく孤独死したり、また、若い夫婦は仕事にかまけて子供をちゃんと育てられなくて、その事で悩み、生活破綻したり、育児ノイローゼにかかってしまう若い母親などが何人も出てきています。
子供にしたって、そういう環境で育てば余計な自立心が変な風に芽生えてしまい、親の心配そっちのけて悪い友達と付き合ったり、結果的に満足な愛を与えられず育った子供達は、最悪の場合、犯罪など犯したりもしかねないですよね。
核家族というのは、いくらでもそういう危険性を想定できるくらいに深刻な問題です。
先に話した姥捨て山に話を戻すと、やはりけしからん事ではありますが、各々の家庭の経済的な問題もまったく介さずに考えるとなると、そこは様々な思慮が交錯するわけです。
そこへもっていくと『サザエさん』はまさに日本古来の生活様式、理想の家庭環境にあると考えられます。
祖父母がいて、親がいて、その強固な庇護下で子供たちは安心して成長期を謳歌する事ができるのですね。
おっと! 猫のタマも立派な家族の一員です(笑) タマの存在は、子供たちにとって非常に「癒し」という効果による祖父母や親に次ぐ重要な立ち位置にいますよね!(≧▽≦)
⬇⬇下記リンク【アニメ・サザエさんから学ぶ家族団欒の在り方】
1970年代に起こった『コインロッカー・ベイビー』などの事件や、幼い子供を駐車場の車中に置き去りにし、ショッピングやパチンコに平然と出掛ける若い親による幼児死亡事件もあとをたたないのを見ると、やはり親と子の絆が薄弱なるものとなってしまっているのは否めない、悲しい世の中となってしまいました...(T_T)
今からでも遅くはないと思います。
本来の日本の家族の在り方を根本から見直して、精神的支柱を建てていくのができないわけじゃない。
まず日本人としてのアイデンティティーを胸に刻み、親に感謝し、ご先祖様に感謝し、自分の存在の証となる存在を生み出し、力の限り寵愛する。
今、続々と中国人などが日本に増えてきています。
北海道ではどんどん土地が中国人によって買われ続け、尖閣諸島では中国人の軍艦などが連日領海侵犯を繰り返しています。
敬愛する百田尚樹さんの『カエルの楽園』の終末観漂う世界が、現実になろうとしている今、我々日本人は、守るべきものを守り、変えるべきものは変え、無くすべきと思う制度は無くなるよう運動を起こさなければ、日本民族に明日はないものと思います。
かつて、明治天皇が仰られた『もろともに たすけ交はしてむつびあふ 友ぞ世に立つ力なるべき』
(訳=共に助け合い睦び合い切磋琢磨して向上していく友がいてこそ、世に出て活躍する力となる)
『何事におもひ入るとも 人はただ誠の道を踏むべかりけり』
(訳=何を行うにしても 誠(まこと)の道を歩きなさい)
とのお言葉を感慨深く思いつつ胸に秘め、生きていかなければならないと思います。
もうすぐしたらお彼岸ですね。
皆様、お墓参りをお忘れなく❗(という僕は、最近あまりお墓参りできていない... 😵💦)
今回も、最後まで読んで下り、ありがとうございましたm(_ _)m
(結局、最後は時事ネタ、政治ネタになってしまったのは、お詫び致します🙏💦)
@2677/ 7/ 2/ 草稿
憂國の志士、三島由紀夫氏の国防意識と国を想う熱き志についての私的考察🔎
皆様、こんにちは😃 aikokuken-ryujiです。
今日は朝から用事で出掛けていました🚙💨
来週からは大阪でも天気がぐずつく模様で、天気予報をみても☔☁などのマークがズラリ(笑)
沖縄では梅雨明けしたと聞き、大阪ではここにきて雨かい! とツッコんでしまいましたww
今回のブログですが、昔から個人的に思い入れのある、ある人物について書かせていただこうかと思いました。
まだ二十歳前後だった僕は、その人の本を読み本気で小説家を目指そうかと思ったくらいに、小説の面白さ、華麗に奏でられる文章と世界観のハーモニーに正直取り憑かれてしまったくらいです。
しかし、そこは非凡と平凡の差。僕はついに諦めてしまいました(笑)
でも、小説を書く(自分で物語をつくって書き出す)楽しさ、面白さは残っていて、前はノートによく短編とか書いてました。
その、ある人物とは... 読んでおられる方は、もうお察しかと思います。
戦後の文学史上に燦然とあらわれ、後世に足跡を残した作家・三島由紀夫氏です✨✨
三島由紀夫(本名・平岡公威)氏は、1947年(昭和22年)、東京帝国大学法学部を卒業後、22歳で大蔵省に入省。
大蔵省では、仕事と執筆活動の二重生活を送っていたそうです。
が、その翌年、作家として生きる事を決意し一年ほどで大蔵省を辞めました。
直後に処女作『仮面の告白』で衝撃のデビューを飾り、ここから"三島文学"が世に放たれる事となりました。
僕が小説を読み出したきっかけは、小・中学生から国語の教科書に載っていた物語を読むのが好きだった事に起因するのですが、学校を出て働きだしてから、三年あまり過ぎた頃からいろんな本を読むうちに、三島由紀夫氏の『仮面の告白』にたどり着きました。
まだ若かったせいか、文章で使われている字引を読まないと理解できないような言葉遣いや知識があまりわからなくて、困りましたが物語の終盤あたりで性に不能となった主人公が、従姉か誰かと束の間の情事(といっても抱き合って接吻しただけw)を交わすところの文章が非常に生々しく感じられ、興奮したのをおぼえています😂
そんなこんなで、『仮面の告白』を読んで「これは面白い❗」と思い次々と三島文学に傾倒していきました。
今まで読んだ三島由紀夫関連の本や雑誌です📕📖
な~んや、たったこれだけ!? とバッシング受けそうな少なさですが💦これだけでも、三島由紀夫という人物を理解するには充分だと僕は思っています。
もとい、三島由紀夫という人は、単なる一小説家だけのひと括りでは語るに乏しい人物です。
そこに三島由紀夫氏の文学的魅力なり人間的魅力なりが垣間見られるのだと感じています。
三島由紀夫氏をテーマとしたブログは、検索してもたくさん出てきます。
それだけ三島文学や三島由紀夫その人を信奉、または愛する人が数多くいらっしゃる事ですね。
情報量や深淵な痒いところにまで手が届くほどに書かれているのを読むと、本当に僕なんか足元にも及ばない若輩者だと改めて自己認識してしまうほど半端ないです。
そんな中で比較すると、僕の書くブログは本当にお粗末で三島由紀夫を語るには不十分すぎるところも露見するかもしれません。
でも、一人の三島由紀夫氏に想いを馳せる立場として拙いながらも今回のブログのテーマに掲げさせていただきました。
ここで書かせていただきたいのは、三島由紀夫氏が、1970年11月25日、45歳の時に東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地のバルコニーでの演説後、総監室で壮絶な割腹自殺を遂げられた経緯から生じる三島氏の日本を我が国を憂いた心情と行動、そして熱い想いと志についてです。
三島由紀夫氏は、今から40年も前から現行憲法を改正する事、戦後の日本に表象される危機意識の無さ、平和ボケした国民、続々と持て囃される横文字と欧米文化を無条件でそれを奨励する事で、古き良き日本の伝統文化の概念が失われつつある事に懸念、不安を抱いておられました。
また、左翼学生にもただ敵愾心を抱き批判するだけでなく、大いなる同情の念をもってあれこれ評論してこられたのも、やはりそこは三島氏も自身で標榜してこられた「武士道」という心から表れたものだと思います。
その両者の関係を端的に表してるのが1969年の三島由紀夫氏と東大全共闘学生との討論会です。
1969年(昭和44年)5月13日の火曜日の午後2時頃より、東京大学教養学部900番教室の会場に集まった約一千人の学生と約2時間半にわたって討論が行われました。主催は東大全学共闘会議駒場共闘焚祭委員会(代表・木村修)で、前日の5月12日から「東大焚祭」が開催されていて、13日に三島氏が招かれ、約二時間半にわたり三島由紀夫氏と東大全共闘学生とのパネルディスカッションが行われました。
討論は全共闘学生側のあまりにも飛躍しすぎた哲学論に阻まれ、あまり実ある内容ではなかったようでした。
角川文庫から出版された『討論 三島由紀夫VS東大全共闘 美と共同体と東大闘争』を読みましたが、後年読み返したり当時の模様をYouTubeなどで見る限り、学生側が持論や哲学論を展開しすぎて、結局双方とも何を語り合いたかったのかが判然としませんでした。
しかし、当時デカルトやニーチェに影響されて哲学に興味があった二十歳前後の僕は、読みながら文字の横に線を引いたり...💧
ホント、勉強熱心でした(笑)
今となっては、どうしてこの部分を線引っ張ったのかわかりかねますσ(^_^;)
この時、三島由紀夫氏は腰に短刀を忍ばせて出掛けて行ったそうです。
何かしらの決心があったのでしょうか...。
さらに三島由紀夫氏は、1968年10月に『楯の会』なる自警団的な祖国防衛を主旨とする会を組織します。
『楯の会』名称の由来は、万葉集防人歌の「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ吾は」(詠み人:今奉部與曾布〈いままつりべのよそふ〉)と、江戸末期の歌人・橘曙覧の「大皇の 醜の御楯と いふ物は 如此る物ぞと 進め真前に」の2首に由来するのだそうです。
三島由紀夫氏自身、江戸時代に流布された侍の心得的な書物『葉隠れ』を耽読しており、「武士とは、死ぬことと見つけたり」の有名な文言にある生と死についても深い洞察を試みておられます。
三島由紀夫さんの貴重なインタビュー映像です。 - YouTube
この中で、「今は民主主義の罷り通る時代なので、大義名分により侍として潔く死ぬことができないでいますが、人は何かしら自分の為に生きるのではなく、人の為に生きるのを宿命としている」とありますが、三島由紀夫氏にとっての「人の為」というのは国家、皇室、また日本の伝統文化を守り抜く(=保守)ことだったと僕は認識しています。
よく言われる「保守」の語源はまさに三島氏が言っていた事だと思います。
ここから1970年のあの事件に繋げたいところですが、少し話を戻してみたいと思います。
1961年(昭和36年)1月には『憂国』を発表、小説発表の4年後には、三島氏自身が監督・主演などを務めた映画も制作されました。
内容は、有名な二二六事件を題材に取り上げ、仲間の将校が反乱に手を染めるのをよしとせず、一人同志の申し出を断った主人公が、妻との狂おしき情事のあとで割腹自殺を遂げるといったもので、これぞ三島文学の行き着くところ "武士道とは" になるのだと思いました。
映画は近年YouTubeで(検索してそのまま再生したら何故かドイツ語verでした 笑💦)、小説も昔に読みましたが、どちらも分野としては画期的で特に小説は文字のひとつひとつがまるで血が滲むような切迫感と絶望的リアリズムの筆致で、主人公が腹を切るところの文章などは、すごく恐ろしいくらいに詳細に書かれていて、身震いがした程でした。
さらに驚愕すべきは、映画化にあたって数ヵ国で翻訳され、それを見越してか三島氏は各国用に脚本も自身で執筆され、言語もフランス語、ドイツ語などといった言葉を用いて書かれたそうです。
『驚くべきことに、ワグナー(『トリスタンとイゾルデ』)はこの日本の影像(イメージ)に最も深く調和している。そしてこの日本の影像の持つ、肉惑的であると同時に宗教的なリズムは、西洋のこれまでに創り得たもっとも美しい至福の歌の持つ旋律構成に、すこぶる密接に癒着しているのである。
— ベルナアル・アーメル「ヌーヴェル・レプブリック」紙』
ここまで三島由紀夫氏の事を話しても、まだまだ話し足りなく、僕も歯がゆい気持ちでいっぱいなのですが、あまり長々と書くのも、読んで下さる方にとって疲れると思うので、あと少しだけ...少しだけお話させていただきます🙏💦
三島由紀夫氏は幼少時から類い稀な文章力を持ち、僅か11歳で日の丸についての作文を書かれていました✨✨(; ゜▽゜)☆
下記リンクを参照⬇⬇⬇
http://world-fusigi.net/archives/8333731.html
恐るべし公威少年❗🎌
この頃から、祖国に対する深い愛情と常人離れした卓越した文章力の片鱗を見せつけていたのですね。
三島由紀夫氏は、作家になるべくしてなった宿命的な人だったのかもしれません。
僕は今回のブログを書く資料として、過去に読んだ『若きサムライのために』の中の興味深い一章「安保問題をどう考えたらよいか ー猪木正道氏との対談」から三島氏の唱える『自衛隊二分論』について読みました。
書かれていることは、本当に我が国の現状や現行憲法がいかに祖国防衛意識を軽薄にし、蔑ろにしているかを憂慮している人でなければ、決して語ることのできない貴重な話が展開されています。
三島由紀夫氏が、市ヶ谷自衛隊駐屯地のバルコニーから呼び掛けていた「シビリアン・コントロール」の事を思い出します。
文民統制(ぶんみんとうせい、シビリアン・コントロール、英: civilian control of the military)とは、文民たる政治家が軍隊を統制するという政軍関係における基本方針であり、軍事に対する政治の優先を意味する。
すなわち、自国を防衛するのは、自国民でなければならないという祖国防衛論のまさに極論ですよね。
三島由紀夫氏は、1960年当時の自民党総理大臣、佐藤栄作首相に苦言を呈しています。
このまま、日米安保条約のもと、アメリカの傘下でアメリカに守られている今の日本を憂いていると。
本当ならば、在米軍なんかいらない、自衛隊さえ国防の意識をもって他からの圧力や手枷足枷なくして、行動ができるのであれば、自分たちの力で祖国日本を外敵から守るべきであると強く言われています。
本当にその通りだと思います。
よく考えてみて下さい。アメリカはもともと先の大戦を誘発した張本人で、アメリカなど白人国家がアジア諸国を植民地化、厳しい経済制裁などしなければ、アメリカが戦勝国、日本が敗戦国となる歴史など存在しなかったのです。
映画「ターミネーター」などを観ていると、それがわかります。
過去を変え、未来の歴史を良い方向に変換できるのならば......と。
しかし、過去はかえられないもの。
今は、純粋に日本を愛し、守ろうという気概を持って日本国家を転覆させ、侵略しようと目論む外敵(支那中共、韓国、北朝鮮などの特亜3国ww)から我が国を守ろうと行動を起こさなければなりません。
そうする為には、三島由紀夫氏のような憂國の志士のかつての熱い想い、志、声をネットや書籍などで拾い、我々自身が勇気を蓄えなければならないと思います。
機会があれば、是非一読してみて下さい(*^-^*)
今、憲法改正の議論が国会議員の中でも熱してきて、国民が関心を持ちつつあります。
この期を逃してしまっては、二度と我が国は憲法改正できないものと思わせていただきます。
テロ等準備罪、共謀罪を成立させた安倍政権です。きっと、憲法改正も成し遂げてくれると一抹の期待を抱いています...。
三島由紀夫氏は、1970年11月25日正午をまわった頃、バルコニーでの演説を終え「天皇陛下万歳❗」と万歳三唱してから総 監室に引っ込み、誰に言うともなく、「20分くらい話したんだな、あれでは聞こえなかったな」とつぶやきました。
そして拉致していた益田総監の前に立ち、「総監には、恨みはありません。自衛隊を天皇にお返しするためです。こうするより仕方なかったのです」と話しかけ、制服のボタンを外し、武士道に乗っ取った大義名分のもとの潔い死に方「切腹」を選び、45年の生涯に幕をおろしました...。
三島由紀夫氏は、クーデター(一部ではそう呼ばれています)をもってして死ななければならなかったのか? 国の在り方や自衛隊の現状を憂いるなら、死よりももっと違った表現の仕方があったのでは? と言う方がいますが、ならばそうした事で、何か変わったというのでしょうか!?
敢えて死を選ばず、作家として作品を書き続けていたなら、三島氏自身は裕福な一生を終えていられたのかもしれません。
ですが、それではいけないと思い立ったからこそ、あのような行為に出たのではないのですか!?
先に書いた、自分の為に生きるより、何かほかの事、ほかの事の為に生きる方がよっぽど日本民族として理にかなっている とまで熱っぽく語る人が、自らの生活様式だけ重視して平穏な一生を遂げるのを望んではいなかったのだと思います。
それは、葉隠れの著者が「武士道とは、死ぬことと見つけたり」と書きながらも自分は潔い最期を迎えられず畳の上で死んでいった事への三島氏の述懐にも見られます。
誠に勝手な解釈なのですが、三島氏の最期は、僕的にはあれでよかったのだと思います。
そうする事によって、三島由紀夫氏を崇め奉る信者のような人や、三島氏に殉教する人の事を、必ずしも認めるわけではありませんが、僕は作家としても我が国を憂國し、祖国防衛、憲法改正を危機感をもって唱えていた三島由紀夫氏を尊敬しています。
何に関しても、大事なのは危機感です。
危機感なくして、政治や世界情勢を広く見渡す事は不可能だと思います。
三島氏は先んじて危機意識が、人よりも格段に強かったがために『楯の会』結成に至り、石原慎太郎氏と対談したり、自衛隊に何度も出入りし、『憂国』を書き、撮り、そして最後の市ヶ谷自衛隊駐屯地のバルコニーから憲法に囚われない自衛隊決起を呼び掛けたのだと。
最後に、1970年11月25日の市ヶ谷自衛隊駐屯地バルコニーでの三島由紀夫氏の演説の一部の動画を掲載させていただき、締めさせていただきます。
本当に、三島由紀夫氏のような命を賭して国を守ろうとする憂國の志士が、政治家の中に現れてくれるの事を期待します......。
今回も拙いブログを最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました m(_ _)m
@2677 /6/ 25/ 草稿