aikokuken-ryuji 日々の草稿

日々aikoku=愛国.音楽大好きな犬=ken@10年20年もっと後の日本に世界に平穏あれ。

アニメから学ぶ古き良き日本と日本人の「こころ」......そして愛国心🎌

皆様、こんにちは。aikokuken-ryujiです。

暑い中、どのようにお過ごしになられているでしょうか。

前回のブログでは、前置きに只8月にはいって暑中見舞いを申し上げただけだったのですが、実は、8月  という月は我が国にとって種々考えさせられる事の多い月なのですね。

8月6日は、1945年(昭和20年)、広島に原爆が投下された日。

大東亜戦争末期、アメリカが核兵器リトルボーイ』を初めて広島市に使用した、文字通り人類史上初の核による大量殺戮を具現化した日本国民にとって決して許す事のできない、忘れる事のできない日ですね。


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そして、その3日後には長崎に続けて、原子爆弾が投下されました。


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この広島、長崎への原爆では罪もない多くの尊い人命が失われてしまいました。

その方々に、現代に生きる我々は、ただひたすら黙祷、そして二度とこのような惨事が起きないようにと祈念するばかりであります。😢

 

そして8月15日。この日は普段ブログを読んで下さっている皆様にとっては、すでにご周知だと思います。

終戦の日』ですね。

すなわち、日本がポツダム宣言を受け入れ、昭和天皇による詔勅がラジオを通じて、日本国民の耳に痛切な程に届いた屈辱的なあの日です。

この来る終戦の日、日本国民は粛々と英霊様に頭を垂れ、感謝と追悼の念を持たなければなりません。

靖國神社に祀られる二百四十六万六千余柱の英霊様は、現代日本人が参拝されるのを心から嬉しく思っておられるに違いありません。

一人でも多くの日本人が参拝されるのを、仏様になられた英霊の方々は、待っておられるはずです。

8月15日 終戦の日には、靖國神社、各地の護国神社に参拝させていただきましょう❗
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だいぶ前置きが長くなり、すみません💦

それでは、今回のブログの本題にうつらせていただきます。

 

今回は、アニメを通じて古き良き日本、日本人のこころ  そして愛国心を皆様とともに学んでいこうと思います。

日本のアニメは、昔からいろいろありますが今はすごくリアルと言うか、書き方も何もかも従来の「漫画らしさ」を超えるものとして定着していますよね。

そんな中でも、従来の「漫画らしさ」を保っているアニメも少なからずあります。

最近で言うと、『ワンピース』『進撃の巨人』『プリキュア』『名探偵コナン』などが人気ですね。

もっと奥深いマニアックなところまでいくと、もっといろいろあるかもしれませんが、あまり詳しくないので上記に挙げた作品くらいしか最近のは知らなくて......σ(^^;)  スミマセン💧

さて、そういったアニメ作品のある中で、とりわけ僕自身が胸をうたれた作品を今から3つほど挙げていきたいと思います。

 

まずひとつ目。

これは僕の子供の時に夏休み子供劇場かなんかで放映されていたアニメで、朝に布団の中で観ていたのをおぼえています。

三丁目の夕日』 

 原作は西岸良平で、原作の連載自体は1974年9月20日号より連載。

1955年から1964年まで(昭和町30年代頃)の「夕日町三丁目」を舞台としています。

アニメ放映は、だいぶ経ってからの1990年10月からでした。

そしてそのまた後年、『Always 三丁目の夕日』と題して二度にわたって実写映画化もされましたね。

実写化の方が、記憶に新しいかもしれません。
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僕は最初テレビでみた時、子供ながらに何だかすごく懐かしい感じがしました。

映像全体から感じられる古臭さ(?)が、妙に穏やかな風情をそよ風の如く送り、いろいろなエピソードを綴る独特の世界観に自然と呑み込まれ、子供なのに何故だか心が平和になる、心が安らぐ  みたいな強い印象が今でも残っています。

とりわけ、オープニング・テーマとして流れる富田靖子が歌う『恋かくれんぼ』の叙情的メロディーがすごく好きでした🎵

 

 アニメ『三丁目の夕日』オープニング映像。YouTubeさんから。⬇⬇


三丁目の夕日 OP - YouTube

 

この『三丁目の夕日』は、戦後10年余りしか経っていない、日本のいたるところがまだ貧乏で、いたるところが空き地だらけで、今のようにアスファルトの舗道があるわけではなくほとんどが砂利道で、家や学校などの家屋も鉄コン筋クリート(もとい💦  鉄筋コンクリートww)のような綺麗なものではなく、ほとんどが木造などによるものでした。

いわば、来るべき高度成長期の前夜だったわけです。

そんな状況下で語られる様々なエピソードは、楽しい話もあれば悲しい話もある、、滑稽な話もあれば深刻な話もあるわけで、それはその時代を生きた人にしか良さなり何なりがわからないものですよね。


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僕なんぞは、いわゆる『新人類』と呼ばれる世代のもひとつ次の世代なので経済的にも物質的にもある程度安定していたので、『三丁目の夕日』で繰り広げられる世界とは少し異なるものです。

あの頃は日本中が貧しかった......。

しかし、それに伴って日本人が現代人に比べてまだ「こころ」という精神的支柱をしっかり持っていた時代でもありました。

何もかも行き届いていない時代だったからこそ、無い物ねだりをする、欲しいものがあれば自分で努力なり倹約なりを考え、最終的に我慢、忍耐が物をいい、達成、得ることができたと言えると思います。

ところが今の時代は、物質面では手に入れるのに何ら支障が無い。欲しければ何でも安くで手に入り、安かろう悪かろうでもそれになんとなく中途半端な満足をおぼえてスルーしている。

これでは、物の有り難みが薄らいでしまいますよね。

三丁目の夕日』の子供たちは、メンコ、ベーゴマ、かくれんぼ、缶けり、電車ごっこ等、時には自分達で面白いと思う遊びを考えたりして遊んでいました。

メンコにしてもベーゴマにしても、いかに相手に勝つか、強くなるかを自分たちで工夫したりとまさに日本人の持つハングリー精神と言いますか、そういうものを持っていたように思います。

今の子供たちは、中には昔ながらのかくれんぼや鬼ごっこで遊ぶ子もいますが、そのほとんどがテレビゲーム📺❇ですよね。

かく言う僕も、ちょうどファミコン(初代のファミリーコンピュータ)が出始めた頃の世代だったのでゲームもしていましたが、それと同時にザリガニ釣りや田んぼで泥まみれになって遊んだりもしていました。

僕の子供の時分は、今よりまだ田地田畑が多かったように思います。

大人の場合もそうですよね。前にブログで『サザエさん』についても触れましたが、昭和30年代のお年寄りというとだいたいが明治、大正生まれの年代で、現代のお年寄りとは比べ物にならないくらい厳格で、古風で、浮わついておらず、躾に厳しい、肝の据わった方ばかり。

自分の子も他所の子も、同じ扱いで可愛がり、また厳しく叱りつけていたようですね。

そういうお年寄りが、家や近所にいてくれたからこそ、秩序が保たれていたと言えるでしょう。

つまり、『三丁目の夕日』には現代人が失ってしまった何も無かったけれど、そのおかげで大切なものを常に持ち続けている事ができた。

それは「こころ」です。

戦中、戦後間もない頃を通して贅沢が悪と見なされていた時代、日本人はそのほとんどが感謝のこころを持って日々生活を営んでいたものだと僕は思います。

先ほど言いましたが、その時代を生きた人にしかわからないものがありますが、僕は「感じる」事はできないとわかっていても「わかる」事だけはしたいです。

何故なら、今を生きる現代人も、あの時代を生きた人の血を受け継いで生きている、ルーツある日本人にほかならないのですから。

 

always 三丁目の夕日』は話題になったようですが、好きな人には申し訳ないですが、実写版を観た限り、アニメのような懐かしさ、昔臭さが何だか僕には伝わってきませんでした😥

あの西岸良平の描くほのぼのとしたキャラクターの輪郭などがそう思わせているのかもしれませんが(笑)

三丁目の夕日』では鈴木オートを経営する鈴木一家と田舎から上京してきて、住み込みで働く従業員の六ちゃんを中心に、まさにその時代を反映する個性豊かなキャラクターが出てきます。


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上は、作家の茶川先生と実子ではないが生活を共にしている淳之介、母代わりの存在であるヒロミ。
いずれも実写版にも登場します。

彼らと夕日町三丁目の住人が織り成す、悲喜こもごもの人間模様は、ふと胸がつまったり、思わず微笑んでみたり、一時として同じ表情で見てはいられないですね。

皆様も、機会があれば漫画なりアニメなりを一度観て読んでみてはいかがでしょうか。

特に若い人たちには、こんな時代もあったんやー!!とはじめてわかる事が盛り沢山で楽しいと思いますヨ🎵

 

それでは、続いてのアニメにいきたいと思います。

ズバリ、国民的ヒーローの名をほしいままにした愛と正義と勇気の象徴、、

アンパンマン


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これも子供の頃によくテレビで見ていました。(*^^*)

ちなみに、こちらが初期のアンパンマン
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なんかどことなく、朴訥としていますよね(笑)

とても悪者の立場にいるバイキンマンと戦う気骨が感じられない......というか、なんだかそれ以前に、瓢然と現れた感がアリアリ。

とても正義の名のもとに悪と戦うヒーロー  という印象が欠けているような気がします。

しかし、作者のやなせたかし氏は、アンパンマンのヒーロー像を、単に勧善懲悪のテーマだけにしぼって生み出したわけではないらしいです。

それは、漫画やアニメを拝見すると、自ずと判ずる事ができました。

「愛と勇気」です。

一体何が愛と勇気なのかと言うと、いつもアンパンマンは空を飛んでいると、何か辛い事や嫌な事があったのか、幼い子供が(と言っても、クマさん🐻や象さん🐘などの小動物が子供に扮してる感じ?)泣きじゃくっているのをみとめると、ヒューンと降りていって自分の顔の一部(無論、あんパンw)を子供に分け与えて元気と笑顔を取り戻してもらおうとします。

するとさっきまで泣きじゃくっていた子供は、アンパンマンの優しさに触れ、ひときれのあんパンを口にすると笑顔でアンパンマンに心からのお礼を言いますよね。

これこそが、アンパンマンが愛と勇気を身を以て実践しているヒーロー像なのです。
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アンパンマンは、何もバイキンマンが心底憎いわけじゃない。ただ、無抵抗で成す術もない弱い人たちを困らしたりする時だけ、アンパンマンは、お仕置き  程度の制裁アンパンチ❗👊💥  をバイキンマンに喰らわすだけに止めています。

しかし、バイキンマンは毎回悪さをしたりします。

その時はまたアンパンマンがアンパンチを与え、お仕置きをする。

こう考えるとなんだか母と子の日常みたいな絵が背後に浮かんできませんか?

つまりアンパンマンは、その都度悪さをするバイキンマンを「成敗」するのではなく「お仕置き」をしているのですね。

その証拠に上のキャラクター全員集合の画像にも笑顔ではしゃぐバイキンマンがちゃんといますよね。

アンパンマンは、悪を完膚なきまで倒すというヒーローではなく、むしろ弱者に手を差し伸べるサクリファイス的な行為でもって人々に幸せを与える心優しきヒーローなのです。


 【言葉ってすごいね(5)完】正義の味方はカッコよくなんか、ない…やなせたかしさんの物語
2014.1.19産経ニュース  やなせたかし


【言葉ってすごいね(5)完】正義の味方はカッコよくなんか、ない…やなせたかしさんの物語 - 産経WEST

 

それが今までのアニメとはまた違った強い印象を与えたからこそ、アンパンマンは世代を越えていつまでも子供たちのヒーローたる所以なのだと思います。

 

それと、もうひとつ☝(またまた『相棒』の右京ではないですがww)アンパンマンについて触れておきたい事があります。

それは、皆様も一度は聴いた事があるであろう「アンパンマン・マーチ」についてです。

最初に歌詞を掲載しておきます。

 

アンパンマン・マーチ』作詞:やなせたかし  作曲:三木たかし

 

♪そうだ うれしいんだ
  生きる よろこび
  たとえ 胸の傷がいたんでも

 

  なんのために 生まれて
  なにをして 生きるのか
  こたえられないなんて
  そんなのは いやだ!

  今を生きる ことで
  熱い こころ 燃える
  だから 君は いくんだ
  ほほえんで
 

  そうだ うれしいんだ
  生きる よろこび
  たとえ 胸の傷がいたんでも
  ああ アンパンマン
  やさしい 君は
  いけ! みんなの夢 まもるため

 

  なにが君の しあわせ
  なにをして よろこぶ
  わからないまま おわる
  そんなのは いやだ!
  忘れないで 夢を
  こぼさないで 涙
  だから 君は とぶんだ
  どこまでも 

 

  そうだ おそれないで
  みんなのために
  愛と 勇気だけが ともだちさ
  ああ アンパンマン
  やさしい 君は
  いけ! みんなの夢 まもるため

 

この歌詞についてですが、ネット上で都市伝説として語られている「アンパンマン・マーチと神風特攻隊の関連性」と照らし合わせたところ、いくつか特攻隊員の気持ちとシンクロしている箇所がいくつかあるように思いました。

特に一番の歌詞などは、「なんのために生まれて  何をして生きるのか  こたえられないなんて  そんなのはいやだ!」とあり、その次のサビの部分では「今を生きる ことで  熱い こころ燃える  だから君はいくんだほほえんで......」と続くあたりはまさに『今を生きる』=『日本を亡国から救うために自分ができること』に繋がる一大決心であると。

その結果、特攻隊の若き尊き命が御国の為に散華されていったのです😢

すなわち、『アンパンマン・マーチ』の歌詞を深読みすると、神風特攻隊と限りなく近い位置に座するともいえるのではないのでしょうか。


 【本当は深い  アンパンマンマーチ】YouTubeさんから。⬇⬇


本当は深いアンパンマンマーチ - YouTube

 

確かにこの説に関しては、否定的な意見も多々あります。

しかし、僕はあまりにも『アンパンマン・マーチ』と神風特攻隊の関連性がありすぎる......と思ってしまうのです。

ブログを読んで下さっている皆様も、それぞれご意見や認識が千差万別あると思われます。

アンパンマン......世代を越えていつまでも弱者の、子供たちのヒーローとして認知されていってほしいですね。

 

さて、それでは最後になりましたが、3つ目のアニメにうつります。

3つ目は、テレビアニメでも幼児の心を鷲掴みにした『クレヨンしんちゃん』の劇場映画9作目となる『クレヨンしんちゃん  嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』について書いていきたいと思います。


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映画公開は、2001年4月21日。上映時間は89分。興行収入は約15億円という事でした。 

ちょうどミレニアムから一年後の2001年公開で、20世紀と21世紀の拮抗みたいな内容となっています。

物語の概要をザックリ簡単に書きますと、しんのすけ一家の住む埼玉県春日部に『20世紀博』なる1970年大阪で開かれた万国博覧会をまんま模したようなテーマパークが出来、春日部の大人たちは連日通いづめ、昔の青春を懐かしんでいた。

だが、大人たちに連れられてやってきたしんのすけ以下、子供たちは退屈で仕方ない。

そんなある夜、テレビで『20世紀博』の"大事なお報せ" を聞いた途端、しんのすけの両親・ひろしとみさえは人が変わったようになってしまう。まるで大人の体のまま心は童心へと還ったように。

それはふたば幼稚園の友達、風間くん、ネネちゃん、マサオくん、ボーちゃんの両親も同じだった。

翌日、大人たちは「証城寺の狸囃子」のメロディを刻むトラックに乗せられて(或いは自主的に乗って)春日部の町から連れ去られた。

残ったしんのすけと仲間たちは、両親を取り戻すべく行動を起こす。

両親を連れ去ったのは『イエスタデイ・ワンスモア』と名乗る組織で、21世紀の未来を自分たちの手でなきものにし、代わりに自分たちの想い描く21世紀を作ろうと企む者の仕業だった。

しんのすけ達は、自分たちの未来と両親の心を取り戻す為奔走する......。

と、こんな感じですかね?

 

【映画クレヨンしんちゃん『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』予告編】YouTubeさんから。⬇⬇


「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 予告編 - YouTube

 

この映画は、クレヨンしんちゃんの劇場版のなかでも特に好きな、そして泣いた映画でしたね😭

何故そんなに泣いたのか  と言いますと、物語中盤で『イエスタデイ・ワンスモア』春日部本部の中で難を逃れたしんのすけと妹のひまわり、飼い犬のシロが内部で迷っていると「EXSPO'70」とプレートの掛かったドアを見つける。

中では1970年当時、万国博覧会に来ていた幼いひろしと両親の姿があった。

そこにしんのすけが乱入(笑)し、『イエスタデイ・ワンスモア』の作り上げた昔の匂いに対抗する今の匂い(臭い? 笑)としてひろしの靴の悪臭を幼きひろしに嗅がせ、意識を現実に戻そうとするしんのすけ

その過程で綴られる映像の数々が、涙を誘いました。

幼き頃は、自転車で父の後ろに乗って釣りに行った思い出、成長して学生の青春を謳歌、結果悲しい想いで終わってしまった思い出、埼玉に上京して双葉商事に入社し先輩から教えを乞いながらついて回り、時には仕事でミスり上司から叱られるも同僚たちから励ましてもらった思い出、そして現在の妻となるみさえとのお付き合い、さらに結婚後第一子となるしんのすけの誕生を夫婦で喜びあい、今の家に引っ越してきて新しい生活を幸せいっぱいでスタートさせる思い出、第二子ひまわりの誕生、四人(シロを入れて四人と一匹w)となった家族で自分の幼き頃のように自転車の後ろに我が子を乗せて同じように釣りに出かける家族......  それらがすべて映像だけで流れていくところでは本当に涙が溢れてくるとともに胸の奥で熱いものが沸き立つような気持ちになりました。


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そして、足の悪臭(笑)で、ようやく現実に戻るひろしとみさえ。
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本当は笑うところなのでしょうが、何故かホロリ、ホロリと来てしまうのがクレヨンしんちゃんの劇場版に随所みられる憎い演出ですよね。

さらに野原一家が『イエスタデイ・ワンスモア』のリーダー、ケンとチャコと対決する為爆走する下りは、涙なくしてはみれません。

仮想空間で「高校三年生」を口ずさみながら巡回しているお巡りさんに、ひろしが胸ぐらを掴み「おい、出口はどこだ!?教えてくれ。早くここから出ないと懐かしくて頭おかしくなっちまうんだよ!!」と涙を流して訴える様は本当に泣きます。

すごく切ないですよね。本当ならあの頃に戻りたい......しかし愛すべき家族を得た今、家族と共に未来を生き抜いていきたいという想いが交錯してしまう。

それは家庭を持った大人しか感じられない唯一無二の感情ですね。

また、挿入歌も昭和をリアルタイムで生きた人にはこたえられない昭和の歌が盛り沢山。

『白い色は恋人の色』🎵ベッツイ&クリス /  『今日までそして明日から』🎵吉田拓郎  など懐かしい曲が流れ余計に涙腺を刺激してきます。

僕はこの頃の歌なども好きで、若い頃よく聴いていたものなので、オート三輪蕎麦屋の出前持ちが普通に砂利道を走っている時代に同化できなくても何だか懐かしさで目頭が熱くなってきます。


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ケンとチャコは、昭和の人間誰しもがこころを持っていた貧しくも懐かしい時代に、今の空虚な現代を塗りつぶして理想郷を作ろうとしていました。

日本人が真に「こころ」と「未来への 希望」を持っていたあの頃へともう一度帰依しようと。

でも、21世紀を家族と共に生きていきたいしんのすけは、傷つきながらも、体が疲れながらも、最後には息も絶え絶えにケンとチャコの計画を阻止しようと最後まで頑張りぬきます。

その勇姿をみて、また涙が......😢😢😭😭
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まぁ、5才児なのでオチはお笑い的なものになりましたが、それでも大人になりたい、家族と共に未来を生きていきたい  という強い想いはケンとチャコ、そして20世紀博の仮想空間で生きる人々の心にも直接的に響いて、ケンの作り出した『懐かしい匂い』を世界中に散布させようとしましたが、匂いのレベルか最低まで下がり、結果としてケンとチャコの計画は失敗に終わりました。

チャコ「(涙ぐんで)......おしまいね......」

ケン「(低く)......あぁ......」

チャコ「でも私、外へは行かないわよ」

ケン「......わかった」

そこへひろし、みさえ、ひまわり、シロがしんのすけの下へ駆けつける。

みんなの格好もボロボロだ。

ケン「小僧。お前の未来、返すぞ」

そう言うと、建物の舳先へと歩き出した。

彼らは死ぬ気だ。
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しかし、しんのすけの「ずるいゾ!!」の呼び掛けと飛び降りる間際に一羽の鳩の羽ばたきによって二人は一命をとりとめました。

しんのすけ「バンバンジージャンプ(正確にはバンジージャンプw)  二人だけでやるのズルいゾ!オラにもやらせろ」とその時のケンの台詞がすごく印象に残っています。

 

『また......家族に邪魔された...』

 

ケンとチャコの足元には、鳩の巣があり、巣の中には雛とたまごがありました。

チャコは全身をわななかせて思わず屈んでしまいました。

「死にたくない......」

ケンは、同じように屈み、チャコの体を優しく抱きしめました。

こうして、長らく懐かしい匂いに支配されていた大人たちは我を取り戻し、愛する我が子、愛する家族とともに帰路へとついたのです。
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このクレヨンしんちゃんを観て言いたかった事は、最初に紹介した『三丁目の夕日』とちょっと主旨が似ているのですが、古き良き時代に生きていた日本人が持っていた「こころ」が現代人の中に失われてしまったために目的を履き違えたケンとチャコのような純粋で実直な人たちが結果として悲しまなければならない、苦しまなければならない事が問題なんだと思います。

日本は今年で2677年という年を迎えています。

その途方もない長い歴史の中で、古くから伝わる伝統や習慣を重んじてきました。

これらが儚くも失われてしまうのは絶対にあってはならない事です。

今、それが失われようとしつつある現代の状況は、まったく危惧せずして見据えるなんてことはできません。 

ひとつひとつ、我々日本人が学び、教え、広めていかなければなりませんよね。

そういう意味では「保守」という言葉がしっくりくると思います。

日本に観光でやってくる外国人なども、世界にふたつとない稀有な日本文化に当の日本人以上に興味津々なところを見ると、東洋文化、すなわち日本文化に日本人自身が誇りをもって接しなければならないのではないでしょうか。

そしてこの映画で野原一家が観客に訴えたメッセージとは、【過去を懐かしむのはいいが、それに溺れて今の生活を疎かにしてはダメだ。大事なのは家族とともにこれから先の未来を生きること。悲観する事も挫折する事だってたくさんあるだろう。けど、自分たちに託された未来を生きるという責任を全うせずして自分たちの存在価値はありえない。

先を歩くのを恐懼して、後退りするくらいなら裸一貫でも敢えて前進していこう。家族や仲間とともに】という事なんだと僕は解釈します。

それは、在日反日勢力から日本を取り戻そうと日夜頑張っていただいている草の根運動の方々や、保守政治家、愛国活動家の方々にも当てはまりますね。

悪くなるとわかっている未来なら、自分達の手で良くしていかねばならない、未来とは運命、つまりそうする事は日本人として先人に報いる避けられない運命なのだと認識できますよね。

ブログを読んで下さっている皆様の心にも、そういう気概や強い想いが必ず備わっているはずです。

その心を決して忘れないように、日々の生活を営んでいってほしいと思います。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました🙇

 

                                 @2677/ 8/ 10/ 草稿