神風特攻隊について考える。
皆様、おはようございます。aikokuken-ryujiです。
今回は、太平洋戦争(第二次世界対戦、大東亜戦争と呼び方は様々)末期に編成された神風特別攻撃隊の事について書いていきたいと思います。
特攻隊とはなんぞや!? 日本軍と連合国軍の戦いに於て、戦況が悪化していく中、ついにサイパンが連合国軍によって陥落し、それに端を発し日本本土への攻撃が可能になってしまう。
その事を憂慮した大西瀧治郎中将は、敵による本土への侵略を阻止する為、敵空母に体当たりする戦略を展開。
結成されたのが「神風特攻隊」なのです。
隊員のなかには、本当に10代~20代くらいのまだ幼き容姿の若者ばかり。
それでも、その隊員たちは大西中将が苦し紛れに打ち明けた作戦に対して全員もろ手をあげ、「やらせて下さい!!」「やりましょう!!」と血気盛んに志願したといいます。
この歴史的事実を知った僕は、感動で涙が溢れんばかりになりました。(書いてる今もちょっと涙が......💦)
こんなにあどけない若者たちが、国のために自らの命を擲ってまで守ろうとした行為については、教育者などの間では賛否両論で、多くの教育者が「特攻隊は犬死にだった」「彼らは軍に洗脳されて無理矢理行かされた」などと否定、批判しています。
これは本当に僕としては悲しいことです。😢
あのまま何もせず決死の特攻が行われなかったならば、きっと日本はアメリカ軍の侵略を易々と赦し、戦後植民地化されていたに違いありません。
そして、日本人はもっと酷い仕打ちを受けていたと思います。
自分たちの家族や子孫に、そのような悲惨なめにあわせたくないとばかり、若者たちは特攻機に乗って行きの燃料だけを搭載し敵の空母に突っ込んでいったのです。
神風特攻隊 「命の使い方」~日本人として知っておきたいこと~ - YouTube
特攻に行った隊員はのべ5000~6000名といわれています。
その誰もが、国のために亡くなっていった英霊様。その方々の上に僕らが生きている、だからその方々の行為を決して「無駄だった」「やらされた」「かわいそう」などと無責任な感情で切り捨てず、感謝をせねばならないと思います。
それが、あとに残された僕らの使命だと感じます。
僕は、特攻について美化するわけではありませんが、これが紛れもない史実なのです。
飛び立つ時、彼らは家族や恋人に遺書、遺稿を残し仲間同士では「靖國で会おう!」と声を掛け合い、そして遥か大空へ勇敢にも飛び立って逝った。
その英霊様は、みな、靖國神社に祀られているのです。
また特攻隊については、まだまだ書き足りないところもございますので、また書いていきたいと思います。
今日はこの辺で失礼致します。m(__)m
@2676/ 10/ 1 草稿