aikokuken-ryuji 日々の草稿

日々aikoku=愛国.音楽大好きな犬=ken@10年20年もっと後の日本に世界に平穏あれ。

"ジェネラル・ヒグチ" と "カミソリ東條" 誤解され続けてきた知られざる『日本人』の歴史🔎

皆様、お疲れ様です(^^)/  aikokuken-ryujiです。

いよいよ梅雨明け➡夏本番☀☀という事で、蝉の声や夏祭りが各地で頻繁に賑いの兆しを匂わせていますね~🎵

あ、そうそう❗ 夏祭りといえば先日の13日から17日にかけて靖國神社で『みたままつり』がありましたよね✨

靖國神社の『みたままつり』には、昨年初めて行かせていただき、あの美々しく神々しい光景は未だに脳裏にやきついております(☆∀☆)

過去のブログでも【前・後編】の二回にわたって書かせていただきました。

残念ながら、今年は行けず(TT)   行きたかったなぁ......。
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まァ、まだ8月に盆踊り大会、高槻祭りなどが控えているので、そっちにパワーを傾けようと思います。(笑)   めげるな❗自分❗😆💥👊

 

今回のブログのテーマですが、先の大戦、すなわち大東亜戦争時に日本民族としての人道的立場から、危険を顧みず多くの外国人を救ったある日本人にスポットを当てて書いていきたいと思います。

外国人の命を救った日本人の例は、アジア諸国をはじめ、世界でも類をみない程多くの感動的逸話が残されています。

それだけ日本人が、外国人に対して寛容な心持ちでいるという証明なのでしょう。

「和の精神」「大和魂」さらに「八紘一宇」から成る「大御心(おおみごころ)」は、日本民族特有の性質で、それが良きにせよ悪しきにせよDNAを経て、古来より今日に至るまで外国人にも影響を与えてきました。

「八紘一宇」という言葉が、戦争当時、日本の侵略戦争を正当化させる為のものだったという説がありますが、そもそもこの言葉は、人道の普遍性を示すにすぎないものであると僕は認識しています。

日本書紀』の中の、神武天皇の御詔勅にある「八紘(あらゆる方向=世界を示す)を掩(おお)いて宇(いえ)となさん」からきています。

八紘を宇となし  四海の人を導きて  正しき平和打ち立てん🎵  ~って思わず戦前の歌が頭に浮かんじゃいました  ヘ(≧▽≦ノ)♪

 

そんな困っている人がいると、どうしても見過ごせない、手をかしてやりたい!という思いから『外国人を救った日本人』そして『戦後誤った歴史観で認識されている日本人』の2つをテーマに、歴史上でも有名なナチス・ドイツに迫害され、難民として逃れてきた多くのユダヤ人に救いの手を差しのべた日本人、樋口季一郎についてまずは書いていきます。


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樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年8月20日 - 1970年10月11日)は、日本の陸軍軍人で、出身は兵庫県淡路島。

最終階級は陸軍中将。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団師団長等を歴任した軍人さんです。

この、ハルピン特務機関長の任に就いていた1930年代当時に樋口季一郎を主導とするオトポール事件が起こったのです。

※オトポール  とは地名なのですが、セルビア語で「抵抗」の意味にあたる言語でもあり、これを真似て日本でも反安倍デモや左翼デモでも使われていますが、本稿では一切関係ありませんのでご承知おきを(笑)
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さて、事の発端は樋口季一郎が1937年(昭和12年)12月、ハルピンで開催された極東ユダヤ人大会に出席し、席上でドイツの反ユダヤ政策を批判した事です。

これについてドイツ側は猛反発。💣💥

駐日ドイツ大使も樋口季一郎の弁に激しく抗議しました。

しかし、彼のユダヤ人への想いと反差別意識を汲み取ったのが樋口季一郎の上司であった、関東軍参謀長(当時)の東條英機その人でありました。
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個人的な話なのですが、僕はこの人が大好きです😆   生き方、思想、どれを取っても三島由紀夫と同じくらい尊敬の念を抱いています。

さらに、人間東條英機の性格的特徴を表す七つの言葉があって「几帳面」「真面目」「律儀」「勤勉」「細心」「事務的」「官僚的」などがあり、軍人としても頭が切れることから『カミソリ東條』と呼称されました。

今年はじめの頃に観た映画『日本のいちばん長い日』(2015年版)にも中嶋しゅうさんが演じておられた東條英機を見て、メッチャ似てる❗と感動したほどです。

⬇⬇💓✨( ゜∀゜*)
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でも、映画で東條英機という人物を知るならば津川雅彦さん主演の『プライド 運命の瞬間』をお勧めしたいところです。(^_^)

 

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 この東條英機という人物も、戦後日本では「A級戦犯」「日本を敗戦に追い込んだ張本人」などと大いに誤った認識が広まっています。

何故でしょうか!?  

それはやはり、GHQ占領下でいわゆる極東軍事裁判なる一方的リンチ裁判で東條英機を、戦争犯罪人に仕立てあげた上で侵略戦争による罪をすべてひっかぶせ、巣鴨プリズンにて処刑、おかげで東條英機は学校教育でも歴史上の悪辣な軍人として子供達に教えられる事となりました。

実際東條英機は、戦争前、元々はイケイケドンドンの開戦派の立場にいたのですが、昭和天皇を介した様々ないきさつから、日米和平を取り持ち開戦を避けようと尽力しました。

ところが、結果として開戦に踏み切らざるをえなくなり昭和天皇の御前で涙ながらに謝罪をしたというのが真実の歴史です。

東條英機ほど天皇陛下、皇室に忠心な軍人が大日本帝国軍の中にどれほどいたのでしょうか。

昭和天皇は、飽く迄和平へのご意志を示され、東條英機はそのご意志に従うべくアメリカの突きつける経済制裁にも譲歩し、なんとか開戦を避けるよう働きかけました。

ユダヤ人を差別、迫害から守った東條英機は、皮肉にも戦後に広まった歪曲した歴史観のせいで悪者扱いされ誤解している現代日本人に擁護されないまま。

これでは靖國神社に祀られる東條英機の魂は、いつまでも浮かばれません。

可哀想すぎます!!(ToT)

 

YouTubeさんから。【東条英機の演説】⬇⬇

https://youtu.be/EvDlpwWz9Ag

 

では話を樋口季一郎に戻します。

年が明けると、関東軍は『現下ニ於ケル猶太民族施策要領』を定めました。

猶太=は、ユダヤ人を示し、軍としてユダヤ人を差別しない事を謳ったものです。

極東ユダヤ人大会でユダヤ人差別を批判した樋口季一郎特務機関長からの東條英機参謀長によるユダヤ人擁護とこの策定に至る。

こののちに起こるオトポール事件に、樋口は勿論の事、上司である東條英機ユダヤ人救出劇に関わっているのがわかりますよね。

さて、1938年(昭和13年) ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ難民は、ビザも持たずソ満国境のオトポール駅で足留めをくっていました。

それは、満州国の外交部が、彼らを入国させる許可を渋っていたからです。


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これを見た樋口季一郎は、難しい立場にありながらも決断を下し、ナチス・ドイツから命からがら逃げのびてきた多数のユダヤ人へ通過ビザを発給するよう指示を出した。

彼の部下、安江仙弘陸軍大佐もこれに同調して奔走。

安江大佐もまた、極東ユダヤ人大会に出席した一人だったのです。

樋口季一郎は、南満州鉄道(満鉄)総裁であった松岡洋右(この方も、極東軍事裁判史観や当時の首相・近衛文麿による『近衛手記』によって実像を曲げられ戦後誤った価値観を押し付けられている戦犯の一人😢)にも協力を仰ぎ、救出活動を遂行しました。

こうして、樋口季一郎東條英機両氏の働きかけによりユダヤ人約二万人(この数字については諸説ありますが💧)もの尊い命をその後に繋ぐことができたわけです。

 

【日本人なら絶対に知っておくべき真実 ~樋口季一郎「命のビザ」を発行した杉原千畝だけではなかった ユダヤ人を救ったもう一人の日本人】YouTubeさんから。⬇⬇


日本人なら絶対に知っておくべき真実 樋口季一郎「命のビザ」を発行した杉原千畝だけではなかった ユダヤ人を救ったもう一人の日本人【ココデミル】 - YouTube

 

 

映画『シンドラーのリスト』でも有名なオスカー・シンドラーさえ救ったユダヤ人は1200人、このオトポール事件から2年半の月日を経て「命のビザ」発給によりこれまたユダヤ人を救う事になる外交官・杉原千畝の方は6000人です。


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👉上:オスカー・シンドラー  下:杉原千畝

 

シンドラーに関しては、元々ナチス党の人だったので、その後ドイツにいる時分、いろいろ悲惨な目に遭ったようです😣

が、晩年、イスラエルに渡り、そこで女性と知り合い暮らすようになり、自分を救ったユダヤ人と共に暮らす事が自身への安寧を落ち着かせる事にもなったようです。

正直、ドイツには自分の居場所はもう無いんだ  と感じた末の末路だったのですね...。

 

このブログを書こうと思い立った時、樋口季一郎杉原千畝について書こうかと思いましたが、このユダヤ人救出劇に東條英機も関わっていると知り、敢えて知名度のある杉原千畝については割愛させていただこうと思いました。

それにしても、杉原千畝の方はテレビや映画などで幾度となく放映されているにも拘わらず、何故、杉原千畝より前にユダヤ人擁護と救出に身を削った樋口季一郎の事があまり知られていないのか.....。

 

⬇⬇【命のビザ  "杉原千畝"】YouTubeさんから。 

https://youtu.be/lllbzyeUa6Q

 

当時、同盟国であったドイツ政府を敵にまわすような危険行為を樋口、東條両氏は「人道上の問題」としてやってのけた事は、後の国際社会に称賛されるべき行為であった事は間違いありません。

こののち、戦後になるのですが、樋口季一郎GHQから「戦争犯罪人指名」に名前が挙がる事となります。

それは、オトポール事件を主導した事や『占守島(しゅむしゅとう)の戦い』(1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍大日本帝国陸軍との間の戦闘)でソ連軍が北海道を占領せんとする危機を戦い、守ったところからソ連が彼を標的にしていたものだと思われます。

樋口逮捕は、時間の問題でした。

しかし、そんな苦境に差し迫った樋口季一郎を救ったのは、なんとユダヤ人たちでした。

当時、ニューヨークに総本部を置いていた『世界ユダヤ協会』は、ソ連の樋口を戦争犯罪人としてつるし上げる要求を拒否するようアメリカ国防総省に働きかけていたのです。

その結果、樋口に対するソ連の暗躍は立ち消えとなりました。

これと似た話がもうひとつあって、それは1890年(明治23年)9月の事。

トルコ(当時のオスマン帝国)軍艦エルトゥールル号が、訪日の帰路、嵐に遭い和歌山県串本村紀伊大島沖で座礁、沈没した際、大島の住民達は身を呈してトルコ兵69名を救出。

岩場など危険極まりない地形をものともせず、一人一人をおぶって救助したそうです。

大島の住民達は、貧しい暮らしをしていたにも拘わらず、心身ともに傷ついたトルコ兵たちに食糧を提供しました。

さらに明治天皇がこの事を聞き付け、政府に命令され、軍艦二隻をトルコ兵達に与え、生存者を国まで送り届けた......。

これは映画にもなってますので、お時間ある時に、レンタルビデオ屋で借りて観て下さいね🎵

レンタルビデオ屋になければ、Amazonで。(笑)
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なお、この二隻の軍艦『比叡』と『金剛』には日露戦争東郷平八郎元帥とともにロシアのバルチック艦隊を殲滅した天才戦略家・秋山真之が乗っていたといいます。
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上:『比叡』 下:『金剛』

 

 

住民達の必死の介抱もさることながら、明治天皇の即座のご英断には本当に感動で何も言えなくなってしまいますよね。
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ここで、めでたしめでたし  と言いたいところですが、この話には続きがあります。

それはエルトゥールル号遭難より95年もの歳月を経た1985年、イラン・イラク戦争が勃発。

イラクサダム・フセインは、イラン上空の航空機に対する期限を定めた無差別攻撃宣言をしました。

各国は期限までにイラン在住の国民をメヘラーバード国際空港から軍用機や旅客機で救出したものの、日本国政府自衛隊の海外派遣不可の原則のために、航空自衛隊機による救援ができずに手をこまねいているばかり。

さらに、当時日本で唯一国際線を運航していた日本航空は「イランとイラクによる航行安全の保証がされない限り臨時便は出さない」とし、在イラン邦人はイランから脱出できない、いわば八方塞がりの状況に陥っていました。
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ところが、この窮状に一筋の妙光がさしたのです。

野村豊イラン駐在特命全権大使が、トルコのビルレル駐在特命全権大使に窮状を訴えたところ、ビルレルは「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答えたのです!!

ビルレルの要請を受けたトルコ航空は、自国民救援のための旅客機を2機に増やし、オルハン・スヨルジュ機長らがフライトを志願。215名の日本人はこれに分乗し、全員トルコ経由で無事に日本へ帰国する事ができました。

あれから90年、半世紀近く経っているのに、トルコの人々はエルトゥールル号の事を忘れてはいませんでした。


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......涙なくして語れない友情を超えた人間同士の愛に、書いてる途中で涙ぐんでます(;_;)

あぁ、涙でスマホの画面が見えない......😢  というのは少し言い過ぎでした(笑)  スミマセン f(^^;

 

このような話は、枚挙にいとまがありません。

日本人と日本人、日本人と外国人......それらは、国を越えた人間同士の友情、愛にほかならないと思います。

最初の方にも書きましたが、日本人には「和の精神」「大和魂」「八紘一宇」の精神が受け継がれているのです。 

その日本民族特有の性質が、2677年という世界最古の国家の礎を築き、今日まで続いてきたものだと思わせていただきます。

 

だいぶ寄り道をしてしまいましたが、樋口季一郎東條英機の話に戻ると、樋口は世界ユダヤ協会に命を救われたわけだけども、東條英機はどうであったか。

実状は、オトポール事件の際に、表舞台に立つことなく、あくまで裏方的役割を果たした東條英機ユダヤ人救出の功績が、残念ながらユダヤ人たちの間に伝わらなかったために、東條英機戦争犯罪人として名を挙げられた時は樋口季一郎の時みたいに救出活動は起こらなかったのです......😭

しかし、当の東條英機は、東京裁判で自分の側に弁護する人物を一切つけず「日本は自存自衛の為に戦争を起こしたのだ」「敗戦の責任は、首相だった私にある」と毅然として胸を張り言い放った。

そして刑が執行される直前まで、怯まなかったその真意は、皇室に忠臣たる東條英機昭和天皇戦争犯罪の汚名を着せることを誰よりも畏怖し、また、自分がすべての罪を被る事によって天皇陛下には罪が及ばない事を見届けた上での満足感ではなかったろうか。

そういう意味では、東條英機は真の軍人、真の日本民族であったと、僕も胸を張って言いたいところです。
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でも、ユダヤ人は東條英機の事をまったく知らないわけではなかった。

これは後年の話なのですが、東條英機の曾孫である英利氏が、オーストラリアのテレビ番組に招かれた際、オトポール事件の事実を知ったユダヤ人から、涙ながらに握手され、こう言われたといいます。

 

「あなたのひいおじいちゃんは、正しいことをされましたよ」

 

と。 

 

上記の文で、何故ユダヤ人救援に杉原千畝ばかりがメディア、テレビなどで取り上げられ、樋口季一郎の方は埋もれてしまっているのか。

それはやはりGHQの画策に於いて、東條英機戦争犯罪人としてでっち上げた事に起因するように、東條英機と共に活動した樋口季一郎をも巻き込み、その人種差別に異論を唱えた偉業たる歴史をも煙に巻き、占領政策下で生み出された戦後レジームの怨霊が呪いの如く、今日のメディアなどに伝播し続けている事に答えが潜んでいるように思えてなりません。

そのおかげで、ユダヤ人を救った日本人は杉原千畝只一人のように一般認識化されている事は、決して真実とは言い難いものです。

そんな見識の矮小化が、大東亜戦争従軍慰安婦問題の真実もうやむやに、広く世間にクエスチョンマークを投げ掛けている事に気付かない日本のメディア。

彼らに「自身を恥る」という人間の基本的概念と含羞は無いのでしょうか。

朝日新聞をはじめとする、売国行為に勤しんでいる嘘つき広報局は、もはや我が国に不要ですよね。

世間はどのような歴史でも、常に真実を欲するもの。

それをねじ曲げたり、写真や映像に手を加えたり、ありもしない作り話をするという事は、大衆、世論を騙くらかしている詐欺という名の犯罪ではないでしょうか。

戦後、日本の敗戦の一因として東條英機や軍部に批判が集中しました。

先程も書いたように、東條英機は開戦には慎重派でありましたが、時の朝日新聞が開戦を煽り立てたのを批判する声は挙がらないのはどうしてなのか...。

戦局劣勢なるも、国民の生命と財産を守る事を第一に考えておられた昭和天皇のご意志に背き、戦争を泥沼に引きずり込んだのは少なくとも東條英機その人の意ではなかったはずだと信じたいです。

『七生報國』『臥薪嘗胆』『武運長久』

様々な大和言葉が欧米列強から、白人社会からアジアの安政と安寧を守る自存自衛の戦いの中で訓戒として飛び交っていましたが、極限まで傷つき、疲れ果てていた日本が果たして8月15日以降も連合国軍に屈服せず戦い続けていたなら、一体どれだけの数の日本人が命を奪われ、土地を奪われていたのでしょうか。

すでに沖縄に上陸せんとしていた連合国軍によって、沖縄も掠奪され、そのあとで日本が白旗をあげていたなら現代の日本は、もっと姿形を変えていたのかもしれません。

日本人の人口だって今よりずっと少なく、生まれるべき筈の生命もこの世に精を受けることもなかったのかもしれません。

あの時、、戦争を続けるべきであったか......歴史上の通りに8月15日に終戦詔勅を賜るべきであったか......。

それは人それぞれ考えの巡らすところだと思います。

 
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東條英機樋口季一郎、安江仙弘、そして杉原千畝らはユダヤ人救済に人道主義的立場でもって成し遂げました。

人種差別こそ20世紀最大の悪といえるもので、アメリカをはじめとする白人至上主義的社会では、それは常識ですらあったのです。

その国際情勢の荒波に揉まれていた日本が、日本人が頑としてその常識を打ち破った事は、まさに戦争にこそ敗けはしたものの、人間として勝利(victory)を掴んだものだと同じ日本人として誇らしく感じます❗

その証拠に、外国人の名が多く羅列する中にぽつんと 『ジェネラル・ヒグチ』という日本人の名前が『ゴールデン・ブック』に記載されているのです。✨✨

『ジェネラル・ヒグチ』『カミソリ東條』この2つのニックネームが、ユダヤ人やアジアの人々のみならず、同胞の現代日本人の間でも広く知れ渡ってほしいと僕としては、哀願するものであります。

 

 

今回も、長々と綴ってまいりました、拙い文章を最後まで読んで下さり、心から感謝申し上げます。m(_ _)m

 

                                @2677/ 7/ 22/ 草稿