昔の学生運動とは、なんだったのか...
こんにちは。aikokuken-ryujiです。
6月にはいって、だんだんと暑くなってまいりましたね💦
初夏の訪れで、早くも熱中症で倒れてしまう児童やお年寄りがちらほらいます。
どうか、皆様お体にお気をつけ下さいませ。m(__)m
今回のブログにうつる前に、僕の過去を少しだけお話しさせていただきます。
僕は今ではいろいろ日本について話しているのですが、もともとは何も知らない、いわゆる「お花畑」と言われる人たちと同じでした。
10代~20代半ばまでは、ひたすら仕事に従事し、その中で音楽を聴いたり映画を観たり、二度とない若い時代を自分だけの悦楽として楽しむ日々を送っていました。
19の頃、ふと手にしたギターで音楽の趣味に磨きをかけ(笑)練習していくうちに、昔のフォークソングに傾倒していき、良きか悪しきか、1960年代に流行っていたフォークソングを聴くようになりました。
その流れで当時、日本のいたるところで頻発していた学生運動というのを知り、彼らの間で流行っていた『反体制フォーク』というメッセージ色の強い歌を聴くようになり、運動のいろいろを本などで読み(当時ネットによる情報などはあまり普及していませんでした)
あの頃の若者たちは、国の事を考えて闘っていたんだなぁ...と思い込んでしまいました。
大人たちの矛盾や日和見主義、ご都合主義的な社会では当然の如く交わされている負の部分が、まだ純粋な若者たちには受け入れがたかったのだと。
まだ20前後だった僕も、何故か彼らに感情移入して、学生運動を肯定していました。
さて、だいぶ遠回りしてしまいましたが、本題に移ります(笑)
今回は、60~70年代の学生運動とはなんだったのか について書いて行こうと思います。
【岡林信康の友よを学生運動の風景をバックに】YouTubeさんから⬇⬇
学生運動は、1960年代に『全学連』という組織が「安保粉砕!」と声をあげ国会を取り巻いてデモをした事に始まり、その後多くの学生を巻き込んで社会現象ともなる大々的な運動を繰り返してきました。
1955年から始まったベトナム戦争(北ベトナムと南ベトナムによる内戦)に、1964頃からアメリカが軍事的に介入し戦局が泥沼状態に化してきた時に、学生たちが日米安全保障条約で日本政府がアメリカに荷担する事は、アメリカと一緒になってベトナム戦争に参加しているのと同じだ!と、まず自分たちに身近な大学を相手取って糾弾を始めました。
その後「学費値下げ」やら「東大を動物園にしろ」やらいろんな要求が掲げられてきました。
時代とともに様々な主張のもと、組織もねずみ講のように増え、運動の終焉(あの有名な1969年東大安田講堂陥落)直前ではすでにノンポリ学生(ノンポリスティック=直接政治的思想のもとで運動に参加していない学生)は少なくなり、政治思想の強い学生が主導となって組織されていきました。
彼らは一体何をしたかったのだろうか。
お花畑時代の僕は、学生運動をひとつの大人たちへの主張、国を想う学生たちの闘いだと認識してましたが、今となっては随分といろいろ本を読んだりネットをみたりして、学生運動への評価も180℃変わってしまいました。
そして、彼らが実は' 平和と自由を勝ち取ると称して、当局に実力行使で暴力すらも厭わない' 早い話が国家反逆者であったと。
そう考えると、まさに巷で騒いでいる「ヘイトスピーチに対抗する」「差別主義者は許さない」などと叫んで平和を標榜し暴力をふるっている極左活動家、パヨク、しばき隊などの左巻きといわれる人たちと何ら変わらないわけです。
あとで知りましたが、学生運動の主体となっていたのは、大半が共産主義同盟の学生たちが組織(用語でブント、セクトと言うらしい)していたというのが実情だったらしいです。
台湾から帰化された金美齢さんがTwitterで言っておられましたが「当時の学生運動とは、【ごっこ】であった」と。
実際、機動隊との衝突もたびたびあって双方に甚大なる怪我人も出たり激しさ極まる闘争で、死者も出たとの記録があります。
それでもやはり学生たちにとっては【ごっこ】だったのでしょうか...。
確かに最近で言う「SEALDs」などは、彼らに比べればより【ごっこ】感が強く思われ、なんか暇な学生たちが政治をネタに遊んでるみたいに思いますよね😂
SEALDsの連中に、当時の学生みたいに体を張って権力に対抗できるわけがないと思います。そこは時代たるゆえんですね。
みんな夢でありました/全共闘・高校全共闘・浪人共闘・学生運動・新左翼 - YouTube
昔の僕は、学生運動の目的や方針を間違って認識していたようですが、今書いていると本当に彼らは何をしたかったのだろうか...。
何が欲しかったのだろうか。一体、何に燃えていたのだろうか。
そして......団塊の世代となった今、自分たちの過去に対して、どういう眼差しを投げ掛けるのだろうか......。と考えを巡らせてしまいます。
中には「あの頃は青春の一頁にすぎない」と感嘆する人や「実に恥ずかしかった。今となっては何故あんなことをしたのか」と若気の至りを悔恨する人、「今もまだ闘いは続いている。終わっていない」と現体制に不信と不服を抱き、息を巻く人などそれは十人十色だと思います。
しかし僕などは、最初から客観的視点でしか学生運動というものを見ることができない。
色眼鏡でしか、歴史を知る事ができない。
それでも何が正しくて、何が間違っているのかという判断はできる...。
当時を生きた人々には、全国規模で勃発した学生運動という名の歴史的事実をどう見据えているのだろうか。
僕の両親は団塊の世代より少し後の世代ですが、リアルタイムで学生運動をテレビなどで観ていたと言っていました。
あまり興味はなかったようですが......💧
今、日本は混沌の渦の中にあり、北朝鮮有事、テロ等準備罪、共謀罪、憲法9条改正、学園問題、皇室の危機、女系天皇推進派などの暗躍、韓国の新たな大統領、文在寅は日本にどれほど大きな反日的影響を及ぼすのか......。
さらにアメリカとフランスの確執、国連の無能さには世界情勢を危惧せずにはいられない状況です。
そうした事で、今の学生たちは皆が皆一丸となって行動を起こすかといえばそうは思えませんよね。
SEALDsのようなただ共産党の庇護下でギャーギャー喚くだけの運動なら誰にでもできるでしょう。
当時の学生運動に対して、僕がひとつだけ確信して言える事があるとすれば、当時の学生たちは、思想はどうあれ国の為に自分達で考え、憂い、大人社会への矛盾や鬱憤を口に出し、身をもって抗議をしたこと。
ひとかどの勇気がなければ、できない事だと思います。またそれができたのも運動を共にする仲間たちがいたからこそ。
今、保守や愛国者を称する人たちなら、思想や主張のやり方は別として、彼らに匹敵するくらいの結束力と声をあげれると信じています。
⬇⬇下記リンク【国民が知らない反日の実態】学生運動の正体 ーat wikiさんから。
https://www.google.co.jp/amp/s/www35.atwiki.jp/kolia/pages/460.amp
最後に一言。当時の学生運動は政治に関心をもち国を憂い、黙っていられなくなった学生たちが運動を起こし、中には共産主義に凝り固まったインテリ学生に諭された人もいたし、自分達の国を想う気持ちを信じて突っ走った人たちもいた。
いくら誤りであった、日本の歴史の恥部だったと言っても、若者たちの身を挺した熱い想いだけは汲み取ってあげてはいかがでしょうか......。
彼らは、自らイデオロギーに飛び込んで、イデオロギーに呑み込まれて自分を見失ってしまったのだと思います。
国を想い、憂い、良くしたいと思う気持ちにイデオロギーは存在しません。
ただ純粋に想い、行動するのみ。
今回も拙い文章でしたが、最後までお読み下さり、ありがとうございました🙏
(※なお、今回のブログでは赤軍派や連合赤軍、革マル派、中核派などはあえて記載しませんでした。言い出すと延々と書いてしまうので 笑 またいつかのブログでお話しさせていただきます🙇)
@2677/ 6/ 4/ 草稿