aikokuken-ryuji 日々の草稿

日々aikoku=愛国.音楽大好きな犬=ken@10年20年もっと後の日本に世界に平穏あれ。

シリーズ沖縄③【"歌"にまつわる沖縄の心と、"テーゲー精神"から学ぶ純日本人の尊び】

こんにちは🎵  aikokuken-ryujiです。

いつも拙いブログを読んでいただきまして、ありがとうございます🙇

これからも、よろしくお願い申し上げます✨

 

今回は、シリーズ沖縄第3弾。て事で、何について取り上げようかと考えておりましたが、前回の最後の方に触れた通りのテーマで書かせていただこうかと思います。

今回は【"歌"にまつわる沖縄の心と、"テーゲー精神"から学ぶ純日本人の尊び】と題しまして、ちょっと政治的テーマから離れ、沖縄を彩る音楽、文化、そしてうちなーんちゅがいかに、純日本人としての特性を秘めているか......について書いていきます。


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このシリーズ沖縄の連載を始める最初のブログでも言いましたが、僕は沖縄が大好きです。

それはあらゆる面を見渡した上で言っているのですが、いかんせん沖縄には一度も訪れる機会を逸しているので、本質的に何が良くて何が悪いのか...というのは細かな所までは、なかなか意識が行き届かないのですが、それでも僕は沖縄が大好きです。

僕は趣味である音楽から沖縄に入った感じで、沖縄民謡やTHE BOOMりんけんバンドネーネーズなど俗に言う沖縄ポップスに一時期心酔していた事があり、三線を購入してからは、練習に明け暮れ、行きつけの沖縄料理屋もでき、大阪での沖縄関連のイベントなどにも足を運んだりしてました。

そのイベントで毎年参加していたのがあって、それは、1995年頃から大阪城野外音楽堂で始まった『琉球フェスティバル』という沖縄の唄者(ウタサー:沖縄の歌手などを指す)やバンドが一堂に会し、順番に歌を歌っていくといって、最後は出演者全員と聴衆とが一丸となっての大カチャーシーで幕を閉じるといった盛大なものです。

 
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☝今まで参加した『琉球フェスティバル』会場で買ったパンフ📕  ※僕は2007年から参加しました。

 

先に言っておきますが、このフェスティバルの後援に『琉球新報』『沖縄タイムス』がかかわっています💧(そこがちょっと気に入らないのですが、当時お花畑だった僕は、なーんも気にしていませんでした 笑)

だいたい、毎年きまって唄者として舞台に上がっているのは、沖縄から上京し様々な音楽を学んだ末に現在の沖縄ポップスの先駆け的存在として知られる知名定男(ちな さだお)と、石垣島白保出身でBEGINとは同級生という大島保克(おおしま やすかつ)。

彼は豊かな音楽性に富む知名定男とは対照的に、主に本格的沖縄民謡、八重山民謡を独特のこぶしの利いた美声を用いています。

そして先島、宮古、与那国といった離島(沖縄は島ごとに微妙に言葉や文化が異なります。歌もまた、しかり)の隠れた伝承歌や民謡なども発掘し、広く沖縄の心というものを歌い継いでいる稀有なシンガーです。
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写真上:知名定男  写真下:大島保克

 

この二人以外も、だいたいメンバーは決まっているみたいですが、昨今は民謡界にデビューしたての新人唄者や、沖縄出身、または沖縄に所縁の若手グループなども多いですね。 

ここで上記に挙げた知名定男大島保克の曲で、僕が好きな歌をそれぞれご紹介したいと思います。

 

⬇⬇【『ウムカジ(面影)』🎵ネーネーズYouTubeさんから。 


ネーネーズ うむかじ(面影) - YouTube

 

まず知名定男。動画は、知名定男がプロデュースした女性四人組のユニット、ネーネーズ(ネーネー  とはうちなーぐちで「お姉さん」「お姉ちゃん」という意味です👩  「お兄さん」は無論、ニーニーw)の歌唱によるものです。

『面影』と書いてうちなーぐち(沖縄の方言)では "ウムカジ" と読みます。

内容は、女性が愛しく想っている殿方に対する辛く切ない心情を歌った恋歌で、メロディーも心なしか寂しげな感じですね。

メロディーキーで言うと、最初『D』ではいり(沖縄民謡はともかく、わりと知られている沖縄POPSのほとんどが『D』か『E』で始まります)、サビの部分は『Bm』『F#m』などのマイナーコードが多用されていて、どちらかと言うと、民謡では無くPOPSの部類に入ります。

あの人を想うだけで切ない、暮らしていけない、生きていけない......そんな繊細な女心をネーネーズが情感たっぷりに歌い上げる、こういう歌が実はとても好きです😂

知名定男といえば有名なのが自身でもネーネーズでも歌われている『バイバイ沖縄』ですが、個人的にこちらの『ウムカジ』を挙げさせていただきました。

ネーネーズは、第一期であった初代メンバーを経て、今では第三期、メンバーチェンジも頻繁に行われていますが、一度機会があればCDやYouTube等で聴いてみてはいかがでしょうか...。 

当の知名定男は、2012年3月に声の不調により引退、現在はプロデュースや後進の指導にあたっているとのこと。

72歳、元気でご活躍いただきたいですね(*^^*)


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⬇⬇【『イラヨイ月夜浜(つきやはま)』🎵大島保克YouTubeさんから。


「イラヨイ月夜浜」 大島保克 (ギター)内田勘太郎 - YouTube

 

そして、二番手、石垣島が生んだ八重山民謡の旗手、大島保克

『イラヨイ月夜浜』は作詞が大島保克、作曲はBEGINのボーカル&三線担当の比嘉栄昇

BEGINや夏川りみ、若手のやなわらばーなど多くのシンガーに歌われている名曲です。

僕個人としては、この大島保克バージョンが一番好きです❗  なんと言っても三線の響きと代々『ひばり』の屋号で呼ばれるほど村の歌い手として知られた家柄に生まれた彼の歌声に惹かれて。

僕も三線で練習するのですが、サビの「イラヨイマ~~ァヌ~~」のところがどーしても声が出ない(笑)

大島保克の、三線一本でライブに臨むそのアコースティックなスタンスがすごく好きで、生のアンプラグド(電気を通さない)な楽器と生の声で勝負する  というスタイルは、さすが沖縄の唄者って感じです。

事実、島のあちこちで行われる毛遊び(もうあしび=かつて沖縄で広く行われていた慣習で、主に夕刻から深夜にかけて、若い男女が野原や海辺に集って飲食を共にし、うた三線カチャーシーなどの歌舞を中心として交流した集会。

毛(もう)とは「野」の当て字で原野や広場を意味し、集落によってはアジマーアシビ(辻遊び)、ハマーアシビ(浜遊び)、ユーアシビ(夜遊び)などと呼ばれる例もあったといいます。参加を許される年齢はおおむね男子は17〜25歳くらい、女子は15〜22歳くらいで、ほぼ一人前となり、結婚適齢期とみなされる男女が対象となったとされる、要は歌と舞いが加わった飲み会、合コンのようなもの)では三線や時には太鼓、指笛など派手な音響設備の必要もいらなかったですから。

その場に人が集まれば、歌が始まる。沖縄は歌の島  というフレーズを昔聴いた事がありました。

なんかすごく楽しそうですよね(*^▽^*)🎶

何年か前に、京都のライブハウスに大島保克のライブを見に行った事がありましたが、その時歌われた『小浜節』という正統派八重山民謡を聴いていたら、歌声と三線に交じって微かに波🌊の音が聴こえてきそうな心地よい雰囲気に包まれてしまいました。 

僕もルーツが鹿児島県なので、なんとなくそういう南国的な旋律に無意識に血が湧いた......という事でしょうか。

こちらも是非、聴いてみて下さいね。

 

さて、もうひとつのテーマ、【テーゲー精神から学ぶ純日本人の尊び】にうつる前に、もうひとつだけ音楽について語らせていただきます。 

 

皆様は、かつて平成の初頭にTHE BOOMというバンドが世に放った『島唄』をご存知でしょうか。

「そんなのくらい知っとるわボケ❗」って怒鳴られそうですが💦それくらい世間の隅々まで広まった有名な歌なのですが、これを作詞・作曲・歌ったバンドは、沖縄出身ではなく山梨県出身のリーダー、宮沢和史を中心としたロックバンドでした。 


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それまでは、ポップ・ロック、スカ、ブラジル音楽、サンバなど、とりとめないくらい様々なジャンルの音楽をやっていましたが、宮沢和史が沖縄を訪れた際、ひめゆり学徒隊の生き残りのおばぁから沖縄戦の話を聞き、今までそういう歴史を知らずに生きてきた自分や集団自決に対する怒りと悲しみから、この島唄が作られたそうです。

しかし、集団自決についてはシリーズ沖縄①で触れたように、軍の強制では無かった真実の歴史とは違った目線で彼は受け止め、沖縄が太平洋戦争の『捨て石』となった  との認識があったようです。

沖縄戦についても、女子学徒隊についても、ただうわべだけで沖縄を単なる常夏のリゾート地として見ていては決して知ることができない、、また知ろうともしない現代日本人が沖縄、沖縄と軽々しく口にするのに少しばかり瑕瑾を抱きつつも、やはり沖縄でかつて戦争があったのは知っているけれども、それがどれ程の規模のものだったか、、どれ程の激戦であったかはわからない、知ろうともしない現代日本人が多いのに悲しくなり、閉口してしまいます。

沖縄で無念のうちに散った英霊様の魂が、何故、そっぽを向かれなければいけないのか。

宮沢和史の言いたいところといえば、僕的に解釈すると、彼の歴史の誤認識は一旦置いといて、どんな歴史でも知ろうとしない、すなわち無知は罪である  ただ良い面ばかり重視して負の部分は蓋をしたり目を向けないようにする、、そういう現代日本人の浮かれた感覚に疑問を投げ掛け、そうであった自分にも怒りがこみ上げてきて、その結果沖縄で散って逝かれた民間人、女子学徒隊、英霊様に鎮魂の為に『島唄』を書いたんだと思います。


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⬇⬇【『島唄』  歌詞に隠された本当の意味】YouTubeさんから。


島唄(歌詞に隠された本当の意味) - YouTube

 

こちらは夏川りみバージョンです。

⬇⬇【夏川りみ島唄ウチナーグチver.』】YouTubeさんから。


『島唄』 Shima uta ☆ 夏川りみ Rimi Natsukawa - YouTube

 

僕も最初この歌を聴いた時は、こんな深い意味があったとは知りもしませんでした💧

こうやって過去の事を振り返りながらブログを書いていますと、つくづくお花畑だった自分に対して反省するばかりです。😣💦

さらに宮沢和史は、『島唄』を歌う時にきまって「自分は沖縄の人間じゃないのに沖縄に関する歌を唄って沖縄や沖縄の人たちに失礼にあたらないだろうか」と悩んでいました。

その彼の悩みをいっぺんに払拭した一言があります。

宮沢和史が相談した相手の喜納昌吉(喜納昌吉&チャンプルーズのリーダーで『ハイサイおじさん』『花 ~すべての人の心に花を』で有名)が発した言葉。

 

「ただ、沖縄の歌をコピーするだけじゃなく、沖縄の心や魂までコピーしてしまえば、それはもうオリジナルだ。コピーではなくなる」 

 

この一言で、宮沢和史は救われたとインタビュー等で述べています。

......まぁ、多少強引な言い回しですがミュージシャンらしい表現の仕方だなぁと僕は思いました(^^;)

ここだけの話、喜納昌吉その人の思想は主に平和活動家として『反原発/米軍基地反対派/辺野古埋め立て承認の取り消し・撤回/選択的夫婦別姓制度の導入に賛成』等といったもので、いわゆる僕らから言わせれば左翼活動家や思想家とあまり変わらないのですね...。


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以前は民主党の議員でしたから、そこは仕方ないっちゃ仕方ないのですが、沖縄の今そこにある危機を考えると、とんでもない危険思想の持ち主だと思います。

同じTHE BOOMのように本土のミュージシャンでも沖縄に関わっている中川敬率いるソウル・フラワー・ユニオンなども度々反原発辺野古移設反対を掲げ音楽を主体に政治活動をしています。(阪神淡路大震災直後には『満月の夕べ』という名曲を歌い慰問や復興支援に尽力されていたのに......😥)

何故、本業に邁進するだけでなく、こういった活動をするのでしょうか。

するならば、日本の伝統を重んじるとか、日本を守るとかそういった愛国精神にのっとった形でやっていただきたいものです。

自分達は日本の為を思ってやっていると勘違いされているのだと思いますが、結果的に我が国の存亡にかかわる行為だと考えざるをえませんので、本当ならやめていただきたいのが願いなのですが。

 

 

だいぶ後味が悪くなってしまい、申し訳ないのですが、音楽の話はこの辺にしまして、次のテーマにいきたいと思います。 

近年、沖縄県民が古くから使ってきた方言=うちなーぐちが無くなりつつあります。

それは戦後、アメリカ統治下で、標準語(うちなーぐちに対して"やまとぐち"と呼ぶ)の普及による事もあるかもしれませんが、今の沖縄に定着しているもうひとつの言語=【うちなーやまとぐち】が、その原因であると考えます。

うちなーやまとぐち  とは、他府県の人には難解な琉球語とは違い、比較的わかりやすく作られた独特の言語です。

そんなうちなーやまとぐちの言葉の中に、『テーゲー』というのがあります。 

テーゲーとは、物事について突き詰めて考えず、程々の良い加減に生きていこうという意味であり、また概念でもあります。

今日のうちなーんちゅ、ひいては沖縄の県民性を代表する精神的扱いとなっていますが、元々の由来は、「大概(たいがい)」の琉球漢字音で、大体、適当、おおよそ、まずまず、そこそこ、といったニュアンスも内包されます。

簡単に言えば、大阪でよく使われる『もうかりまっか?』『ぼちぼちでんな』みたいな感じですね。(違う❔😓)

テーゲーから派生した時間感覚を示す用語に、『うちなータイム』があります。

つまり、島時間。僕はまだ体験した事はありませんが、沖縄は本土の時間的感覚とは少し違うものがあるようです。

ゆったりしていて穏やか、沖縄の南国的な風土がたぶんそう感じさせているのだと思います。

 

さて、テーゲーについてですが、僕はこの、うちなーんちゅが持つ特性『テーゲー』に純日本人の姿が反映されていると見ました。

よく、テーゲー精神の意味するところは、時間にルーズ、いい加減、責任感が無い、などと批判される声もよく聞きます。

しかし、このテーゲー精神は、それ以上におおらかな心、深い懐からくる優しさ、それでいてやるべき事はしっかりする為の気持ちの余裕といった意味で使われるべきだと思います。

つまり【人事を尽くして、なんくるないさ

 

という事だと主張したいです。

別に何に関しても、「なんくるないさ=なんとかなるさ」と構わず言ってるわけではなくて、本当になんとかなるさ  と思うと考えてからの「なんくるないさ」に繋がっているのだと。

僕の友達の父親は、沖縄県与那原出身で、戦時中は山口県にいたそうで、戦後大阪に出てきたと聞きました。

初めてお会いした時は、ちょっと取っつきにくく無愛想だったのですが、何度か友達の家に遊びに行ったりを繰り返していると、段々と打ち解けていき、言葉少なで時折寂しそうな表情を見せますが、話している時は本当に素敵な笑顔で接してくれました。

一度だけでしたが、一緒に三線を弾いた事もありました🎵

女子プロレスが好きで、童謡の『兵隊さんの汽車』を歌って教えたり、はやした髭を自慢して「乃木将軍(もちろん、日露戦争の名将・乃木希典将軍のこと)みたいやろ~」と家でよく言っていたと友達が話していました。

80に手が届く年齢となっても元気でいらっしゃいましたが、3年程前に突然逝去されてしまいました...😢

もともと明るい性格だった友達も、それから少しの間はさすがに悲しみに暮れていましたが、今は「お父さんはここ(胸)の中にいるねん。ちゃんと生きてる。実家に帰れば、お父さんがいるような気がする」と屈託無い笑顔でそう言えるほど元気を取り戻しています。

テーゲー精神には、『どんな時でも前向き』な要素も含まれているんだなと、その時の事を思い出して書いてるうちに感じました。

さらに、沖縄には様々な場所に神様がおられ、身近な家の中とか森とか、その辺にも、此処にも、彼処にも......。

そんな目に見えない存在を信じたり、祀ったり、敬ったりする古くからの沖縄の県民性も、テーゲー精神に通じるところがあるのだろうか  と。

 

現代日本人は、信仰にすっかり疎くなり、自分のルーツも生半可にしか認識できず、ご先祖様の供養も忘れ(あるいはお寺任せにする)、この国の危機を救った英霊様や天皇陛下への感謝の念も頭の片隅におくこともできず、我が身の損得や保身、自分達だけの幸せを考えるのみ。

そんな腐敗した状態にあります。それは都会に目を向ければもっと惨憺たる有り様です。

戦後、欧米文化にうつつをぬかし、高度成長に身も心も奪われ、助け合いの精神、自己犠牲の精神、コミュニティ的繋がりや交わり合いを捨て、自らの世界を構築し外界と自分とを遮断する。

いかに治療の困難な大病に現代日本人が侵されているか......どんな名医でも、この日本列島全土に蔓延しつくされた大病を完治させるのは不可能です。

ただし、その病を治すには必ずしも施術にあらず  という事。

一人一人が正しい歴史認識を見つめ直し、日本という国に日本人として生まれ、育ったその有難さを身を以て感じ、自己を肯定し、自分のルーツと責任感を芽生えさせる自我に目覚める事ができるのだとすれば、たちまちにして重き病は取り除かれるのです。

現代日本人の忘れ去った大和民族の心意気を、沖縄のテーゲー精神を通じて少しずつ自分に還元させていく事。

きっと何かにぶち当たると思います。

長い間忘れてきた、大切な何かに。
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先程の友達の父親についてでも書きましたが、沖縄の人は本当に暖かい方ばかり。純粋な感情を持った方ばかりです。

僕が今まで出会ってきた大阪在住の沖縄の人たちは、皆そうでした。

それでいて懐が深く、疑いを持たない人が多いように思いました。

そんな沖縄の人たちの県民性を逆手に取り、基地反対やアメリカーやオスプレイは危険だと言いくるめる左翼思想の洗脳が僕は許せません❗  いわば詐欺まがいに相当する行為です。

沖縄が沖縄であり、日本であるためには、我々本土の人間もそうですが、まず沖縄県民が怒り、立ち上がる事だと思います。

そして、沖縄の空を、森を、海を、伝統文化を、そして...テーゲー精神を守っていかなければならない必要性に日本人は迫られているのです。それは今......。

 
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『日本を守る事=沖縄を守る事』

 

 

最後に、BEGINの『三線の花』と『島人(しまんちゅ)ぬ宝』の動画で閉じさせていただきます。

今回も、最後まで読んで下さり、本当にありがとうございましたm(_ _)m

次回のシリーズ沖縄も、よろしくお願い申し上げます。(*^^*)

 

⬇⬇【『三線の花』🎵BEGIN】YouTubeさんから。


BEGIN/三線の花 - YouTube

 

⬇⬇【『島人ぬ宝』🎵BEGIN】YouTubeさんから。 


BEGIN/島人ぬ宝 - YouTube

                   

 

                                @2677/ 9/ 17/ 草稿

シリーズ沖縄②【沖縄は日本だ! 未来への架け橋的政策だった『琉球処分』と、沖縄独立運動の裏で蠢く売国奴の狙い】

皆様、こんにちは。aikokuken-ryujiです。 

 

さて、シリーズ沖縄として初の連載を試みた今回のブログですが、第二回は、今日沖縄県が日本の領土として日本の一部として2677年の歴史の恩恵の中に属しているそのきっかけとなった『琉球処分』と、昨今沖縄で絶えず騒がれている『沖縄を琉球王国として独立させる運動』の真意について拙いながらも書かせていただきます。

 


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ネットなどで『琉球処分』と検索してみると、ほとんどが琉球新報沖縄タイムスによる記事、また、琉球大学の左巻き教授による【明治政府と島津藩による琉球処分国際法上不正だった】などという記事が、ずらずら~っと出てきます。

琉球処分によって500年にもわたる琉球王国の歴史が壊された」「廃藩置県(後程説明します)で琉球は強制的に日本の支配下に置かれ植民地となった」これらの言い分は、必ずしも嘘の喧伝ではないにしても、真実であるかと問われればそれも躊躇すべきところです。

其の実、琉球処分については諸説あり、様々な見方がされる歴史上でも難解な史実です。

それを紐解くには膨大な時間がかかりますが、どんな問題でもそうですが、真実は一つしかないわけで、日本を愛する我々はその真実のみを認識できれば良いのです。

 

今回も、まず始めに資料としてのリンクを貼らせていただき、そこから皆様と共に学んでいきたいと思います。 

 

 ⬇⬇【目覚めよ、沖縄県民(1) 琉球独立派に屈するな 島袋 悠飛】 view pointさんの記事から。 


目覚めよ、沖縄県民(1) 琉球独立派に屈するな | オピニオンの「ビューポイント」

 

⬇⬇【目覚めよ、沖縄県民(2) 「沖縄は中華系」との誤認識を改めよ】

目覚めよ、沖縄県民(2) 「沖縄は中華系」との誤認識を改めよ | オピニオンの「ビューポイント」

 

⬇⬇【沖縄対策本部連続セミナー 第五回 ⑥ 琉球処分の真の意義  講師:仲村覚氏】YouTubeさんから。


沖縄対策本部連続セミナー 第五回 ⑥ 琉球処分の真の意義 - YouTube

 

⬇⬇【沖縄の真実  琉球王国の歴史と人物】YouTubeさんから。


沖縄の真実「琉球王国歴史と人物」 - YouTube

 

......これだけ貼ってしまったら、寧ろ僕みたいな若輩者がわざわざ論じたてて多くを語ることはないかな...?  と感じつつ萎縮しつつも、それはできないので(笑) 僕なりの考察を交えて書いていきたいと思います😅

 

まず、前述した『廃藩置県(はいはんちけん)』について概要だけ書かせていただきます。

 

🔎1875年(明治8年)、明治政府は「琉球処分」の方針をかためると、琉球藩に対して「琉球の王国制度を解体し、日本に属する沖縄県とする」ことを伝え、同年には処分官・松田道之(まつだみちゆき)を派遣して次のような命令をいいわたしました。


第一 ●清国との冊封朝貢関係を廃止して中国と断絶すること。

第二 ●新制度や学問を学ぶための若手官吏を派遣すること。

第三 ●日本の他府県にならって政治制度をあらためること。

第四 ●これらの改革を混乱なく実施するために鎮台分営(軍事施設)を設置すること、

 

これを受けた琉球藩は何の対策も見出だせないまま、日清両属的な状態を従来通り維持したいと嘆願するのみでした。

琉球の支配層の多くは、琉球が日本に帰属するとみずからの地位や身分、財産が危うくなるのではないかと考えていたのです。
しかし明治政府は、説得によっては琉球藩の対応がかわらないと判断し、藩王の逮捕をともなう武力行使による処分を決定しました。
1879年(明治12年)3月末、政府の命を受け、警官と軍隊をひきいて来琉した松田は、「琉球藩を廃して沖縄県を設置する」ことを王府に通達しました。

これが廃藩置県です。

これにより、旧琉球王国の土地・人民およびそれに関するすべての書類は政府に引き渡されました。そして、藩王尚泰(しょうたい)は華族の身分をあたえられ、東京に居住を命じられました。

こうして、琉球王国は、日本の領土として沖縄県になり、今日に至る  というわけです。


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写真上.処分官、松田道之  写真下.琉球王朝尚泰王

 

ですが、ここで歴史を認識する上で知っておきたい事は、、

 

琉球処分によって、争いが勃発し殺められた人命は皆無」な事。

 

明治維新の時とは違い、誰一人死なす事のなかった、それどころかこれだけ平和的な併合がかつてあっただろうか❔と思わせるほどの無血の取り交わしであったのですね。

事実、『琉球処分』によって平民は、清国に属し堕落しつつあった琉球王朝をはじめ、宦官の自己保身にも似た立ち回りから解放され、日本国の傘下にはいったという事は、琉球王国は滅亡というかたちをとってしまったけれど、また新たに日本に帰属したことで、他国の植民地にならずに済んだという事が言えると思います。


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当時、明治政府から廃藩置県を言い渡されたにも拘わらず、貿易の面では清国との関係がズルズルと続きどっちつかずな感じでした。

もし、琉球処分を通じて琉球王国沖縄県として日本に帰属しなかったとしたら、その内琉球王国は清国によって乗っ取られ、植民地化されてしまう危険性もなきにしもあらずだったとも言えるでしょう。

これはあくまで想像にすぎませんが、昭和の歴史を振り返ってみても、沖縄で様々な事件や騒動が起きているのをみても、そう考えざるを得ません。

祖国(本土)復帰に反対する運動や、以前のブログでもチラッと触れましたが、当時の皇太子殿下が、ひめゆりの塔を御訪問された時、左翼活動家が火炎瓶を投げつけた  などというふとどきな事件もありました。

この沖縄を語る上で外すことのできない『琉球処分』は、動画にもありますが、琉球国の平民を処分するでは無く、日本に帰属するのを拒んだ王朝や宦官の処分、、という意味合いで考えてみますと成程、琉球処分は今の沖縄県としての姿を見たら来るべき未来への架け橋だったのだとの推察ができるはずです。

 

何年か前に一人の女性の波瀾にとんだ人生を琉球王朝の激動の歴史と共に描いた『テンペスト』という映画(もとはテレビドラマ)を観た事があります。

内容は、琉球王国存亡の危機に立ち、時代の流れに逆らおうとは試みたものの、やはり叶わず琉球処分を経て、それでも我が運命を省みることなく最終的には、沖縄として新たな歴史の扉を開こう  といったものだったと思います。(うろ覚えでスミマセン😅)
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その頃、僕は仲間由紀恵のファンだったもので観に行ったのですが、知らなかったいろいろな沖縄についての歴史が知れて、ますます沖縄に興味が湧きました。

詳細はあえて差し控えますが、DVDや原作本も出ているので、そちらの方をご覧下さい。

 

そして、先程書きましたが、沖縄の祖国復帰も同じ事が言えます。

日本が先の大戦で敗戦して以降、沖縄県は戦後30年余りにわたって米国の領土とされてきました。

本土の方は、昭和27年(1952年)にサンフランシスコ講和条約により主権を回復しましたが、沖縄は未だ米国政府統治下にあったままでした。

しかし昭和47年(1972年)5月15日に、当時の自民党総理大臣、佐藤栄作米大統領ニクソンとの間で話が交わされ、沖縄は祖国復帰を成し遂げたというわけです。

 

この事についてもいろいろ賛否両論がありますが、当時の沖縄県民の多くが、沖縄の祖国復帰を喜んだ、祝ったと聞きます。
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ただ、沖縄では復帰当時や復帰前も安保反対のデモや運動が盛んに行われ、『沖縄返還協議会』なる運動もありました。
これは、沖縄返還するなら沖縄から米軍基地を引き揚げるべきだと主張する団体で、決して祖国復帰を求めるものではありません。

沖縄が祖国復帰を遂げても、日米安保は生きておりましたので、当然米軍基地は沖縄に点在したままでした。

これに不満を抱き、反米・反基地運動を長きにわたり繰り広げ、それが今、辺野古移設問題、普天間基地問題を取り上げ、沖縄から米軍基地を無くせ!と運動、活動している左翼団体に引き継がれたかたちとなって沖縄の治安や秩序を揺るがしているのです。

 

沖縄県知事の、翁長雄志という人物が、その運動を支持し、公の場に於いても米軍基地撤退、辺野古移設反対などと知事自らプロパガンダを発信しているという、何ともおぞましい、恐ろしい状況が現在、沖縄に暗い影を落としています。

那覇市ゲートに建設された『龍柱(りゅうちゅう)』という龍を型どったような柱も、当時那覇市長だった翁長が作らせたものです。


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これには、県民の血税である何億という多額の税金が投入されています。

まだ建設中だった頃、ネットや現実でも龍柱建設反対の署名活動などが多岐に及んでおりまして、僕も署名させていただいたりしてました。

途中、何度か建設中止になったり、中国から取り寄せたコンクリートの部材があまりにも脆く、所々ひび割れたり水漏れしたりといった指摘をされ、中止になったまま計画が頓挫すればいいのに......と思っていました。


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しかしそれは遂に2015年、完成してしまいました😫💧

 

深い理由がわからない人たちの反応は、「那覇市にこんな建造物が作られたんだって。観光客増加のための県の政策の一環なのかな?」と浮かれ気味で取り敢えず認知しているようですが、何故、これ程までに龍柱の存在を否定するのか、建設反対を訴えるのか。

それは、龍柱そのものが支那にとっての沖縄分断工作にほかならないからです。

その理由を3つほど挙げますと、

 

①「龍」とは元来、中国皇帝の権力の象徴でありシンボルであるから。

②龍柱は、沖縄県庁に背中を向け、かつ中国大陸の方向に向いている。すなわち沖縄県民にも外方を向いている。

③龍柱の爪の数が5本ではなく、4本として作られている。(「5本爪」の龍の図柄は中国皇帝のみが使用でき、朝鮮など中国の冊封体制に入った周辺諸国は「4本爪」を用いてきた歴史があり、琉球王朝冊封を受け、首里城の龍柱は「4本爪」。そして今回の龍柱も「4本爪」だった。

 
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以上の要素を含めて龍柱を見ると、これは明らかに沖縄県支那の属国であるかのような工作に見えやしませんか❗❔(# ゜Д゜)

翁長は中国福建省にも縁が深い人物で、知事としての発言などを聴いても、沖縄を支那に売り渡そうとしている、いわゆる売国奴の実像がデスマスクのように浮かんできはしませんか?
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このハゲーー!!💢✨ヅラーーー!!💢💥と上の画像目にした途端、思わず叫んだ方も多いかと思います😂😂😂
前半、お堅い話で埋まってしまったので、ちょっとだけおフザケてみました(笑) スミマセン💦

 

話を戻しますと、翁長は権力に物を言わせ『オール沖縄』という組織を立ち上げ、米軍基地撤退、沖縄を琉球王国として日本から独立させる画策を着実とすすめています。

しかも、安倍総理に対しても一県知事の取る態度とは思えないほど尊大な対応をします。

毎年6月23日に沖縄県糸満市平和祈念公園で行われる、沖縄全戦没者追悼式では安倍総理に対して「帰れ!」などとヤジを飛ばすアホがいますよね。

翁長が言わせているのかどうかは知りませんが、当の翁長はなに食わぬ顔をしていても、腹の底では密かにほくそ笑んでいるに違いないと思います。

このように、沖縄の琉球王国独立を目論む連中の背後には、必ずと断言してもいいくらい支那中共政府の思惑が潜伏しているのです。

連日、尖閣諸島を中国の船が領海侵犯を繰り返しているのを見ると、支那は近いうち沖縄を我が物にしてやろうと虎視眈々と狙いを定めているのも頷けます。

そんな支那中共政府のイヌである親中派、翁長を筆頭とした沖縄県議連、反基地思想は沖縄県民の声だと決めつけて活動する極左活動家(事実として、この反基地運動に参加している反対派の殆どが、県民では無く本土から出向してきているプロ活動家)、彼らは間接的とは言えど支那の手助けをしているにほかなりません。

中には純粋な心の沖縄県民も、言葉巧みに騙され、反基地運動に参加する(或いはさせられる)など、その状況は危機的なものとなっています。

メディアと云えば、活動家達の支援を惜しみ無くやり、まるでそれが正しいことのように書き立てている偏向ばかりの報道しかありません。

おじぃやおばぁ達は、ネットなど見る割合はごく少ないと思うので、新聞やテレビで情報源を得るしか術がないのです。

それにつけ込んで、偏った情報しか流さないものだから、すっかり信じ込んでしまうのです。

まさに沖縄は日本で最も危険と汚辱に晒されているのです!!


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そうだったのか「沖縄!」

そうだったのか「沖縄!」

 

 ☝『そうだったのか「沖縄」』沖縄の現状が詳しく書かれています。仲村覚氏著、必読です❗



沖縄県民の皆様に、お願いします。

どうか、左翼の口車にのせられる事無く、自らのアイデンティティーを保持し、大和と共に沖縄は歴史を紡いでいかなければならない想いに立ち戻っていただきたい、琉球処分、祖国復帰を経て漸く日本のもとに帰ってこれたのだから、もう二度とその神聖な綱を手放さないで、支那に島を、魂(マブイ)を、心(チム)を売り払おうとしている輩に惑わされないで下さい!!!🙏

そうしないと、今からでも目覚め、本当の県民の声をあげないと、口車どころか石車に躓き沖縄は崖から転落する岩の如くゴロゴロとおちていってしまうのです。

どうか、どうか、お願い致します!! 


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最後にまとめとして、琉球処分とよく比較される歴史に、日韓併合がありますが、これも当時の日本人の尽力によって基礎を築き、経済を発展させ大韓民国というひとつの国として再出発する事ができたのです。

すべては日本のおかげだったのです。

しかしながら、その恩を忘却の彼方に投げ捨て、反日抗日を国を揚げて国策としている韓国は、明らかに沖縄とは違います。

韓国なんかと比べるとは何事か!と憤慨された方には心よりお詫び申し上げます。ゴメンナサイ😥💧

沖縄は誰が何と言おうと、日本であることには変わりありません。

その想いを胸に、琉球独立運動を阻止する戦いに手を取り合い、僕も微力ながら学び、挑んでいきたいと思っております。m(_ _)m

 

この辺でシリーズ沖縄②を終わらせていただきます。

最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます。

次回は、少し政治的テーマを薄くして音楽の事についても触れ、かつ啓発的な内容とさせていただきたく思います。

次回もよろしくお付き合いのほど、お願い致します。🙇

 

                                 @2677/ 9/ 9/ 草稿

シリーズ沖縄①【捏造された沖縄戦の真実と、御国のために散った愛国の花...】

こんにちは🎵  aikokuken-ryujiです。

9月に入り、暑さは少しマシになったでしょうか......。   大阪を含め、まだまだ残暑の厳しい地域もあるかと思いますが、お体ご自愛いただきますよう、お願い申し上げます。m(_ _)m

 

今回のブログですが、前々から書こうと思っていた沖縄の事について長期にわたり書かせていただこうかと思います。

沖縄に関する問題は、本当に山積しており一口だけでは到底表すのが困難であるのは、普段ネットなどをみている皆様にもお分かりいただけるかと思われます。

在米軍基地の辺野古移設、オスプレイ普天間基地、本土からの極左活動家による反基地デモ、沖縄サヨクによるキャンプ・シュワブの妨害行為、さらに親中派、翁長雄志沖縄県知事の売国政策、沖縄を琉球王国として独立させようと企む勢力、それらを日常の出来事として県民に情報を流し平然と印象操作する沖縄2紙(琉球新報沖縄タイムス)、メディア、沖教組などなど、言い出したら枚挙にいとまがありません。💦

沖縄というところは、琉球処分、本土復帰を経て現在、これだけの問題に悩まされ、傷つき疲弊しているのです。

今日本で一番存亡の危うい地域とは、まさに沖縄県なのではないのでしょうか...❔ と確信しても疑い無いくらいです。

今回からのブログは、『シリーズ沖縄』と題しまして様々な問題について僕なりに掘り下げて説明させていただき、沖縄の置かれた現状というものを広く知っていただければ幸いと存じます。

 

今回は、シリーズ沖縄①【捏造された沖縄戦の真実と、御国のために散った愛国の花...】とタイトルを銘打ちまして、書いていきたいと思いますので、お付き合いのほどよろしくお願い致します🙇

 

 

はじめに言っておきますが、僕は沖縄が大好きです。(*^^*)

最初は、沖縄の血を引く友達の影響が大半を占めていましたが、その後沖縄という本土とは少し趣を異にした文化や伝統などに触発され、沖縄民謡やご当地グルメ、さらにうちなーんちゅ(沖縄の人の事をウチナーグチ=沖縄方言で表すもの)の気概や県民性といった事にも惹かれていきました。

実際、沖縄に訪れた事は一度もない💧のですが、本土にいながらも沖縄の現状を憂いる気持ちは多分にあります。

特に、三線(さんしん=沖縄の楽器でこっちで言う三味線のような弦楽器)を弾くようになってからは、より一層沖縄文化が好きになりました(^○^)

 
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☝マイ三線です😂🎵 (※画像は加工済みのものです)

 

そういう繋がりで、行きつけの沖縄料理屋や、友達もできたりで良かったのですが、友達の方は音楽の事以外でもいろいろ話をしていく中で、ちょっと合わないところが生じてしまい離縁という結果となりました(T-T)

それはどういう事か......と言うと、ふとしたきっかけで僕が普段からFacebook嫌韓系の投稿していたのを友達が見て、胸を痛めたというのです。

実は、友達の彼氏が韓国人だったとのこと。

でも友達は、彼氏も優しいし周りの人もとても良くしてくれるので、私と友達や彼氏の関係は政治とかが介入するものではない  と言われました。

普通に音楽友達として接していられれば何も問題起きなかったと思うのですが、やはり僕としてもそこの部分はどうしてもいただけず、結果として友達付き合いをやめざるをえなくなりました。😢

とても悲しかったです。

そういう事もあったせいで、僕の中では「沖縄問題」が何よりも深刻で根深いテーマだと思っている次第です。

 

 

ではシリーズ沖縄①について、拙くはありますが書かせていただきます。

まず、沖縄戦についてですが、これは大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)春頃から激化した、本当に我が国が連合国軍によって追い詰められた時の戦闘です。

ネットなどをみれば、いかにそれが史上稀にみる激戦であったかがお分かりになられるかと思います。
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で、史上最大の壮絶なる戦闘といわれた沖縄での地上戦は3月26日~6月23日と実質3ヶ月にわたるものでした。
ふと思い出しましたが、前回、8月15日『終戦の日』と敢えて書きましたが、本当の終戦日は実は9月2日なんですね。

連合国による対日戦勝記念日とされる場合、通常は、大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日を指すといわれています。

実際、占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)や樺太の戦い(からふとのたたかい)など、8月15日を過ぎても戦闘は行われていたのです。

前者は、太平洋戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍大日本帝国陸軍との間の戦闘、後者は、太平洋戦争/大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)8月11日から8月25日にかけ、日本の内地であった樺太南部で、日本とソビエト連邦の間で戦闘が行われました。
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⬇⬇【占守島の戦い】真実の日本さんから。

http://nanyo.club/?p=1003
占守島の戦い – 真実の日本 


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上の2枚目の画像は、真岡郵便局の電話交換手9名の女性のものです。

当時の郵便局では電信電話も管轄していたので電話交換手が樺太の真岡に常駐、勤務しておりました。

樺太の戦い時、彼女らは疎開(引き揚げ)をせずに業務中であり8月20日に真岡にソ連軍が上陸すると、勤務中の女性電話交換手12名のうち10名が局内で自決を図り、9名が亡くなりました。

これは真岡郵便局事件、また北のひめゆり(事件)とも呼ばれています。

靖國神社遊就館には、自決した9名の電話交換手の写真や資料なども展示されています。😢 

 ⬇⬇ 【樺太に残された日本人妻が明かす終戦後の壮絶な日々】iRONNAさんから。

 

樺太に残された日本人妻が明かす終戦後の壮絶な日々 

 

この二つの戦いで亡くなられた日本軍の兵隊さん達、また真岡の電話交換手など民間の方々は一般的に『終戦の日』と今日奇しくも定められた8月15日以降も国の為に戦い、尊い命をただ国体護持の為、大切な日本、家族を守る為、散らして逝かれたのです。

この歴史も併せて、どうか現代の中で風化させる事なく広く知っていただきたいと願います。

 

 

さて、話を沖縄戦に戻します。

まずはリンクを先に貼らせていただき、そこからテーマを拾って僕なりの考察などを書かせていただこうかと思います。

 

⬇⬇【沖縄戦の真実  捏造された捨石作戦】2015年9月の記事から。


沖縄戦の真実 捏造された捨石作戦 | 誇り高き日本を再び!

 

まず、沖縄戦で総司令官を務めたのは、牛島満陸軍中将。
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連合国軍勢54万(アメリカ軍)に対し、わずか11万を率いて戦った日本軍も、明らかなる兵力の差に追い詰められ、追い詰められ、遂に南端まで来た時、洞窟内で牛島中将は自決をされました...。 

辞世の句は、「矢弾尽き 天地染めて 散るとても 魂還り 魂還りつつ 皇国護らん」
「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」

たとえ我が身は散るとも、その不屈の魂は地上より還り皇國を護るものとなる、さらに、この戦いに敗れるのを、秋を待たずに枯れ、散ってしまう島の青草に自分達を例え、それでも必ず春には甦る......。

これは僕的に解釈しますと、この戦いに敗れたら日本は敵である連合国側の手におち、大和民族はどうなってしまうのか...国は滅亡してしまうのではないのだろうか...それがどうしても気にかかる。

しかし、春にはきっと我が国、日本民族は息を吹き返し、以前の栄華を取り戻す日が来るであろう  それを頑として信じる......といったような内容のように思えました。

歴史学者の意見では、たぶんちゃんとした解釈が成されているのでしょうが、あくまで僕の解釈なので😅

 

この胸中穏やかならざる心象は、牛島中将のみにとどまらず、特攻隊編成に拘わり、いかんともし難い戦況で敢えて『特攻は、作戦の外道』と自らを戒め散華していった若き特攻隊員たちに心から詫びつつ自決された大西瀧治郎中将、終戦か、戦争継続か、という極限下で悩みに悩んだ末に昭和天皇の御心に沿うかたちでポツダム宣言受諾に同意、割腹自決を遂げられた阿南惟幾陸相など多くの将校が懐抱していたやるせなき想いであったと思います。

本当に苦しい戦いの中で悩み、傷つき、その末に自決を選んだ牛島中将もまた、後の日本を憂いていたのです。

しかし、この沖縄戦をありったけの兵力を動員してまで圧倒的兵力のアメリカ軍に抗おうとしたその背景には、終戦後を見越しての考えがあったとされます。

上記のリンクにも書かれていますが、連合国軍は、沖縄を陥落させ本格的な日本本土攻略への足掛かりを作ろうという目論見でした。ですが、日本は沖縄での戦いを有利に進め、和平の切っ掛けにしたいという願いがあったようです。

和平の交渉は、ある程度勝敗が決した段階で行われるものとお考えの方も多いと思いますが、より有利な交渉を行うため、敗戦色濃厚な側も一矢報いたタイミングで行うのが通常であり、日本はこの沖縄戦を和平への最後のチャンスと考えていたのです。

敗け戦とわかっていても力の限り戦う、全力を尽くすベストを尽くす❗  これが大和魂ですよね。

一番わかりやすい例えが、オリンピックやサッカーワールドカップなどで、外国人相手に死力を尽くして勝負に挑む日本人選手のその凛とした姿です。🎌🎌✨✨✨🎌🎌


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彼らはみんな、日の丸を背負ってオリンピックという世界大会に挑んでいるのです。

日本のシンボル、国旗と日本人の誇りを胸に外国人と戦うのです。

よくテレビとかでは解説者や最近は芸能人まででしゃばってきて「メダルが取れなくて残念だったけど、みんな頑張ったよね。よかった」などとのたまうコメントが多く見られますが、本当はそんなの慰めにも何にもなっていないと僕は思います。

日の丸を背負い、世界と戦うのですから勝って当然、勝つべき❗というのが本当で、選手もそれぞれ勝つことだけを胸に秘め、炎を燃やして戦うのみなのです。

それなのに、戦い終わって周りからそんな言葉を掛けられたら選手はどういう思いになるのでしょうか......。

勝てなくて申し訳ない、負けて悔しい、勝ちたかった  と誰もが思うはずなのです。💦

オリンピック含めた世界大会というものは、単なるチャリティー番組でカメラ越しにやるようなちゃちなものではないのです!!

日本と日本人の誇り、名誉をかけた、文字通り『戦争・戦闘』ですよ。💥💥💣💪

だから、戦うからには絶対勝たなきゃいけない❗

少々手厳しいようですが、オリンピックを取り上げる特番とかそういうものがあまりにも軟弱すぎるので敢えて言わせていただきました。

⬇⬇【安室奈美恵『Hero』】YouTubeさんから。


安室奈美恵 / New Single「Hero」Lyric Video - YouTubeしかし、

 

あくまでスポーツとしての戦いなので、そこに政治的な煽りや嫌がらせがあってはならないのはマトモな国の国民なら常識でわかるものですが、それがわからない国もある  という事だけ書かせていただき、オリンピックの話を終わります(笑) 

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そして、戦後の人に沖縄戦で最もよく言われているのが、

 

沖縄戦で民間人である沖縄の民が、日本軍に自決を強要された』

 

という話です。

これはリンク内にもあり、作家の大江健三郎(ネット界隈では反原発のパヨクとして右派に認識されていますよねww)による『沖縄ノート』にも同じような事が書かれています。

 

実はこの話を、昨年、十三の沖縄料理屋で前の職場の先輩と飲みの席でした事があります。

先輩は、話を聴いていると極端に左寄りなわけではなく、中道左派という感じの方だと思いました。

話の流れで先輩は「沖縄戦で沖縄の人が自決したのは、日本軍が強制的にさせたものやと聞いた」と主張、僕は「いや、それは違います。日本軍は逆に沖縄の人に逃げてくれと言い、自分たちは自決する決意でいたが、沖縄の人たちは、自分たちも自決する  と頑として言い放ったんです。最後まで戦い、共に同じ道を歩みたいと」と言いました。

学校などで沖縄戦について教えられる事といえば、以下のような話です。

沖縄の集団自決は沖縄県那覇市の南西にある渡嘉敷島であり、米軍の攻撃が激しくなり、住民が日本軍の陣地に逃げ込もうとしたその時、守備隊、赤松嘉次隊長が「住民はここに入るな、軍は最後の一兵になるまで戦って玉砕する。住民は日本の必勝を祈って自決せよ。」と言ったというのです。手榴弾を手にした村長や家長が「みんな笑って死のう」と悲壮な叫びをあげて、329人が集団自決したという、そのようなことが学校の教科書等に書かれ、新聞メディアでも報道されてきました。しかし、これは全くの虚偽でした。

 

真実は、上記の赤松隊長が「あんたらは非戦闘員だから、最後まで生きて、生きられる限り生きてくれ」というもので隊長もそう呼び掛けたといいます。

でもそれを聞いた村長以下、村の幹部は「捕虜になるより死んだ方がいい」とすでに半狂乱になっており、彼がA大尉の言葉を伝えてももはや自決を止められなかった、、死に切れなかった人は日本軍の陣地に行って、「機関銃を貸してくれ、皆自決するから」と言ったそうです。😢

赤松隊長が出てきて、「なんという早まったことをしてくれたんだ!戦いは軍がやるのだから、お前たちはしなくてもいいんだ。我々が戦う弾丸もないくらいなのだから、自決用の弾丸なんてない!」とキッパリ断ったのです!

以上が集団自決の真相です。

ちなみに、こちらは赤松隊長の私記『私は自決を命令していない』です。

歴史の真実が物語るように、赤松隊長も自身の身の潔白を訴えておられます。

atwikiさんからの引用です。⬇⬇


《私記》私は自決を命令していない - 15年戦争資料 @wiki - アットウィキ

 

こういう歴史をも捏造して、戦後教育は『日本軍によって自決を強要された』というまったくのデタラメを教え続けてきたのです。

沖縄の民間人は、600人のうち300人くらいが手榴弾等を用いて亡くなりました。

これについては、曽野綾子さんが著作で書かれておりますので、是非ご一読を。

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)

 

大江健三郎の『沖縄ノート』の言い分を信じるか、曽野綾子さんのこちらの著作の言い分を信じるか、それは皆様の自由です。

しかし、僕は沖縄戦で軍が民間人に命令して自決を強要した  のを信じる事がどうしてもできません。

何故なら、それを信じてしまうと、慰安婦強制連行や南京大虐殺なども同じ目線として捉えなければならないからです。

僕は、慰安婦強制連行も南京大虐殺もまったく嘘っぱち、捏造であると信じていますので、沖縄戦の集団自決の強要性も嘘、捏造であると信じます。

 

 

最後に、ひめゆり学徒隊について触れたいと思います。

当時、女子学徒による看護隊として最も有名なのは『ひめゆり学徒隊』ですよね。

ひめゆりの塔』として何度も映画化されてるのは皆様もご存知かと思います。
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実は、このひめゆり学徒隊以外にも、これだけの女子学徒隊が編成され、銃後の守りに励まれたのですね...。
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あまり知られていませんが、『白梅学徒隊』『ずゐせん学徒隊』『積徳(ふじ)学徒隊』などがあったそうです。

彼女達はまだ幼く、恋も知らない可憐な少女でした。しかし、そんな稚けない女学生がお国の為に、故郷沖縄の為に共に戦い、亡くなっていかれました。

この事実を前にして、沖縄戦は敗色濃厚な戦況にもかかわらず、幼き少女達までもかりだし、人命を疎かにして大儀を守るという妄執に取り憑かれた大日本帝国軍によって利用され、悲惨な末路をたどった   などと誰が言えましょうか!?  沖縄は未だに戦争終結をみていない  基地が無くならない限り沖縄は救われない  かつての誤りであった戦争に巻き込まれ国に殺された沖縄の民の魂は浮かばれないまま   そんな無責任な戯言が飛び交っている中、国を想う僕らは一体どう考えればいいのか......。何を正しく認識し、虚偽と汚名を伝播する見えない巨大なプロパガンダという名の悪意に、どう立ち向かっていけばよいのか......。

答えは依然、霧の彼方で渦巻いたまま。

答えを見出だす唯一の方法は、正しき歴史を見定めて、護国と愛国の精神を何度も見直し、何度も御祓を繰り返し、漸く自分自身を信じる事ができたなら、少しだけ霧の中から霞んだ文字を読むことができる筈だと確信しております。

沖縄では、女子学徒隊として動員されたおばぁ(沖縄では、ほとんどの地域で"おばあさん"を親しみを込めてこう呼ぶ)が、語り部として当時の歴史を本土から訪れた人たちに話して聴かせています。

悲しいかな、その語り部の中には、ほんの数人だと思いますが真実とは離れた、ただ沖縄戦は悲惨だった、仲間の少女達は国によって殺された、二度とお国は戦争という過ちを起こしてはならない、と必ずしも悪意をもって言っているのではないにしても、そういう話をされる語り部のおばぁもいるという事を知っていただきたいのです。


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⬇⬇【白梅学徒隊についてのお話  青山繁晴氏】YouTubeさんから。


【感動】天皇皇后両陛下が白梅学徒隊の生き残りと会った話 青山繁晴 - YouTube沖縄の

 

この動画のほかにも、女子学徒隊に関する動画は、YouTubeをはじめ、検索すればたくさんヒットしますのでそちらの方をご覧下さいませ。

 

長くなってしまいましたが、この辺でシリーズ沖縄①を締めくくりたいと思います。

次回【シリーズ沖縄②】は、琉球処分と沖縄独立について書かせていただこうかと考えています。

終わりまで読んで下さった方々に、感謝を申し上げます。m(_ _)m

次回も、よろしくお願い致します。🙇

 

                                    @2677/ 9/ 4/ 草稿

2017.8/15 『終戦の日』に日本人が想う事とすべき事...。【後編 ~国賊『反天連』による不敬デモ行進に鉄槌を❗迎撃カウンターデモ活動~】

皆様、こんにちは。aikokuken-ryujiです。

お疲れ様でございます🙇

 

前回のブログ、2017.8/15 『終戦の日』に日本人が想う事とすべき事...。【前編~靖國神社参拝 英霊に感謝と祈りを~】は、いかがでしたでしょうか。

前編は、主に靖國神社参拝と大東亜戦争の歴史や英霊様に畏敬と感謝の念を捧げるといった事が主題でしたので敢えて政治的な事を控えめにしたブログにするよう気をつけて書きましたが、今回は、、もぅバンッバン❗書かせていただきます!!ww

 

というのも、後編のテーマは、前編の最初にも番宣... あッ、ちゃうちゃう😂💦  予告した通り、国賊集団『反天連(反天皇制運動連絡会)』の反日不敬デモ行進に抗議の声をあげる迎撃カウンターデモ活動についてですので。


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前編では、いい子チャンぶっておとなしくしていましたが(笑) 後編は思いっきり本性むき出しにして、この反天連なる反日サイコ集団のやっている事がどれほど日本にとって不利益で危ないものなのかを徹底的に書いていきます。

 

そもそも、反天連って何❔  どんな集団❔  何故、反日で不敬なの❔  と思っている方のために少しだけ反天連について軽く説明させていただきます。 


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反天連(反天皇制運動連絡会)とは、反皇室闘争を目的とする日本の新左翼グループの一つ。

つまり皇室に反対する、天皇いらないと主張している集団なわけです。

これは、日本そのものを否定している、いらないと言っている事に相違ありません。

すなわち国家転覆を企てるヤバい奴らなんです。メッチャわかりやすいですよね(≧∀≦;)

上記にあるように新左翼グループの一つなので、1960年代、70年代に世間を騒がせた学生運動でその名を知られた『赤軍派』や『革マル派』『中核派』と同じ部類に入る、共産主義者主導がメインだった学生運動の流れも組んでる集団なのです。

当時の学生運動でも、反天皇の意識が高い学生が多く、それらの主張も随所に見受けられていたように思えます。

マルクス主義を革命のバイブルみたいに唱えてたあたりw

反天連の中にも、そういった学生運動の残党みたいな者が少なからずいると思います。

機関誌もあるようですが、そのタイトルがウケる(笑)

反天皇制運動カーニバル」

何コレ?  運動がカーニバル!?   つまり「天皇いらない」「靖國いらない」という主張をシュプレヒコールあげて行進してるのがお遊びって事?

これにはワロタwww  と、同時に腹立った❗💢💢💢

こっちは真剣に国を想い、憂い、良くしていかなければならないとマジになって活動などしているのに、その対抗勢力がふざけている......。😒💧

そのおフザケ感をデモ行進に利用し、一般国民に天皇いらない、靖國解体などと喧伝する行為は、国賊売国奴に等しい❗

何よりも許し難い鬼畜行為であると思います。 (`へ´*)ノ

 

話を元に戻します。

靖國神社参拝を終え、未だザーザー、時にはシトシト降り続ける雨に辟易しながらも境内を15時になるくらいまでぶらぶらしていました。

そして、時間が来たので靖國神社を離れ、九段下の交差点付近にやってきました。

本当言うと、頭の片隅には「こんだけ雨降ってたら、反天連かてデモ行進でけへんの違うんかなー。中止すればええのに...」という思いがありました。

ですが、いざ九段下に赴いてみると、すでに警察によって歩道にバリケードが敷かれ、その中をたくさんの傘をさした人やレインコートを被った人が集まっていました。

靖国通りには交通規制に余念の無い表情の強張った機動隊の面々がそこかしこ。

 

あぁ...やっぱりやるんや......。💧



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人だかりの中には、例年と同じく日の丸🎌、旭日旗日本第一党行動する保守運動🌸などの幟が掲揚されていました。

まさに戦闘準備、昨年、日本第一党党首の桜井誠氏が訴えていた「怒りをもって反天連に抗議の声をあげよう!」との言葉を即座に思い出しました。

集まっている人たちも、反天連に大いなる怒りに満ちた感情を今にも爆発させんと挑んでいるのが、手に取るように僕にはわかりました。

其の実、僕も毎年怒りをもってこの迎撃カウンターデモに参加していますので😡⚡

これを踏まえると、やはり反天連のお遊び感覚の皇室否定、靖國解体の主張が余計に腹が立ってくるのです❗

 

僕もバリケードの中に加わり、どしゃ降りの中でも熱っぽく訴える弁士のメッセージが、入れ替わり立ち替わり耳に届いてきます。

それを聴いて「そうだ!」「許せない!」などの声を相槌としてうちながら、反天連のデモ行進がやって来るのを待つばかり......。

 

 

そもそも、反天連って日本人ばかりで組織されてるのかな?  と、普通に疑問がわくところですよね。

戦後レジーム自虐史観日教組などの悪思想に侵され、天皇陛下を良く思わない日本人は団塊の世代を中心に多くいますが、あれだけ声高に「天皇反対」と叫ぶのが日本人ばかりだとはどうしても考えにくい。

 

しかしてその実態は!?(多羅尾伴内ではない 笑)

 

イヤイヤ💧実は反天連の中にも多くの外国人が、いっちょまえに日本人ヅラして紛れ込んでいるのですよ。

その多数が在日韓国朝鮮人、または韓国人。支那人もいるんかな...❔

話では、この日のデモ行進の為にわざわざ来日した韓国人もいるとの事。

考えられますか?  たわけ❗つってナンセンスだろ❗って思いませんか?

実のところ、外国人が日本で政治活動やる事自体に問題があるわけで、それは入管法違反にあたるものです。

これについては、8月12日に神保町で行われた反天連キャンドル・デモのカウンター活動の中で警察と一触即発のひと悶着があった時、桜井氏も言っていましたよね。 

 

⬇⬇【"桜井誠 夏の陣! 反天連キャンドルデモカウンター H29年8月12日"】YouTubeさんから。


桜井誠 夏の陣! 反天連キャンドルデモカウンター H29年8月12日 - YouTube 

 

ほかにも朝鮮総連、韓国民団などが、頻りと外国人差別、民族差別ヤメロ!日本は日本人だけのものじゃない、偉そうな思い込みするな!などと我々日本人からしたら(いや、国際社会の常識に於いても明らかおかしいw)理解しようにも理解できない奇想天外な事を言っています。 
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完全に論理破綻、こういう言い方は憚れるかもしれませんが、精神的に病んでるんじゃないの❗❔って思わず言いたくなります。

朝鮮学校補助金、支援金問題ひとつとってもそう。

何故、日本国からの補助金が必要なの?

あなた方、平気で日本を、英霊様を、歴史を貶めるような事教えてるのに対して、何でそんな学校組織に金出す理由があるの?

結局、彼らは金が欲しいだけなのだと思います。

生活保護にしてもそうです。これから通名制度問題で厳しくなるような気配ですが、ボロを着ていかにもやつれた、生活苦に喘いでいる、そんな体で役所に生活保護求めて来るのなら、少しは話がわかります。

けど最近の在日は、ヴィトンのバッグ(言わずと知れた高級ブランド👜✨)を肩にかけ、したり顔で生活保護の前借りを、当然の如く貰いに来る厚顔無恥ぶりらしいです。(無恥ぶり/無茶振り 笑)

で、こうこうで簡単にお支払はできませんよと役所の人が諭そうとすると、急に机をバンバン叩いて「なんでやねん!!」とキレまくるそうです。

コレ、れっきとした威力妨害だと思いませんか?

その聞き分けのない駄々っ子w 在日のおかげで仕事の手が止まってしまうのです。

迷惑千万ですよね。役所の方は、頭が痛いですね😩

つまるところ、在日のやることなすことすべてが日本や日本人にとって、迷惑なのですね。

勿論、在日でもただ従来のお国の言う事とは真逆の認識を得て、日本を愛し友好的に接してくれる人も中にはいますが、そんなのは一握り。10人いて1人いるかいないかの確率にすぎないと思います。

韓国国内や中国国内では、親日(主に、あの頃の日韓併合で韓国が国として独立できた事を日本人のおかげだったと思ってるお年寄り)の人たちが少しでも「日本は良い国」みたいな発言をすると、あっという間に周囲から総スカン&袋叩きな目に遭ってしまうようです😨💧

いつだったか、韓国のお年寄りがそういった事を口にすると、若者が4、5人でそのお年寄りに暴行をくわえたという事件がありました。😣

ネット界隈ではさらにフルボッコ

それに対して、我が国は日本人同士で思想の違いだけでそこまでする!?  しないですよね。

支那、韓国、北朝鮮の特亜3国といわれる国はこぞって反日無罪、抗日万歳を掲げるマジキチ💢💥国家なだけに、国内での言論統制、言論封殺は日本以上に厳しく取り締まっているのです。

反対に、日本の法律もそれくらい厳しくして、在日を取り締まってくれよって思いますよね。
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戦後日本は、高度成長という経済的、物質的な復興とひきかえに、古来より引き継いできた日本民族の在り方、伝統文化、シャーマニズム、そういったものが蔑ろにされ、置き去りにされてしまいました。

前回のブログで掲載させていただいた、我那覇真子さんの演説にもあったように、今を生きる現代人たちは、一体何の為に生きているのか......そして自分達は、一体何に生かされているのか......。

白痴となった脆弱な精神は、国体護持の本分を忘れ、英霊様に背を向け、何もかも他力本願、何もかも政治まかせ。それでは、あまりにも勿体無い。ご先祖様から代々受け継がれてきた「自分」という存在を大事に思わない。生きている価値が無い。それではいけないと思います。

国あってこその自分達、ご先祖様あっての自分達、そして天皇陛下あってこその国民であるのだという事実から、徒に悦楽だけに走り目を逸らしてはいけないのだと。

だから、この国家解体を目論む国賊集団のデモ行進をやめさせる為に身を以て抗議する、日本人のアイデンティティーを守る、さらに国体を護持する、当たり前の行為で、何ら過激な事などではないのです。

デモや街宣、カウンター活動などが日常茶飯事ではない人たちにとっては、うわー、なんか過激やなぁー💧  なんて思えるかもしれませんが、それは表皮に過ぎず本質は日本人として当然の訴えであり、思いであるというのをわかってもらいたい、周知させたい。

その手段としているのが、デモや街宣なのです。

もちろん、反天連のデモ行進だって、かつて戦争をおっ始めた天皇なんか日本にいらない、その侵略戦争に加担した軍人を祀る靖國神社など潰してしまえ! というデマゴーグな主張を周知させる思惑があるのでしょうが、こんなものハッキリ言って日本人として日本に生まれた人が聴いたなら、絶対に違和感しか胸にわかないと思うのですね。

普段、紀元節天長節に日の丸を掲揚しない日本人でも、反天連の言っている主張は「なんか変だなぁ」と何故だかわからないけど嫌悪を感じるはずなのです。

 

......九段下に来てから、時間がだいぶ経ったかな~と思っている時に、ちょうど弁士の方から頑張れ日本!全国行動委員会の日の丸行進の一団が来たというので、僕らは拍手と歓声をあげました。

目の前を、いっぱい いっぱいの日の丸が街宣車の後ろをゆっくり行き過ぎていく光景は、とても素晴らしく思いました(゜▽゜*)🎌🎌 

 

⬇⬇【頑張れ日本!全国行動委員会による日の丸行進🎌 on Twitter】自身のツイートから。  

https://twitter.com/Ryuji_ILJ2676/status/899081879021699073?s=09


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上の写真は、一昨年の15日に撮ったものです。

これからやって来る反天連とは、似ても似つかぬ行進でしたね😂

拍手と歓声をあげる中で「ありがとう、日本❗」と頻りに叫ぶ人が何人かいて、あぁ、これこそが真の日本人のとるべき行動なのだと改めて日本という国の美しさを目の当たりにした瞬間でした。

 

頑張れ日本の日の丸行進も行き過ぎ、いよいよ反天連のやってくる番が近づいてきました。

現責(現場責任者の略)を務める日本第一党の堀切氏が、もうすぐ、もうすぐ反天連がやってきます!!とマイクに金切り声をぶつけ、怒りのシュプレヒコールがカウンターの中から沸き上がりました。

「帰れ帰れ、反天連❗」「出てけ出てけ、反天連❗」(*`Д´)ノ📢💨💥


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やがて、道路の向こうから警察の車と機動隊の数人を先頭に「天皇制反対」や菊の御紋にバッテン❎をつけ、その下に「DANGER(=危険)」と書かれたプラカードを掲げた国賊反日クソッタレ(失礼💦)集団、反天連のデモ隊がノロノロ歩いてきました!!

 

⬇⬇【無修正 ノーカット版】平成29年8月15日 靖国神社での反天連の極左デモ vs 日本第一党さん(旧在特会さん)YouTubeさんから。


【無修正 ノーカット版】平成29年8月15日 靖国神社での反天連の極左デモ vs 日本第一党さん(旧在特会さん) - YouTube 

 

「日本から出ていけ❗」「このバカヤロー❗」「帰れ帰れ❗」......。

様々な罵詈雑言が反天連のデモ行進に叩きつけられました。

僕も力の限り大声をぶつけました。

それでも奴らは、したり顔で平然とデモ行進を行うばかり。

中にはこちらの様子をデジカメ📷で撮ったりしながら行進してる者もいました。

それと、毎年カウンターデモに参加するたびに思う事なのですが、反天連を取り囲む警察や機動隊のあの多さにすごく違和感を感じるのです。

ハッキリ言えば、警察という職業は市民の安全と社会の秩序を守る立場にいる、いわば国家の公僕たる存在です。

決して私利私欲を目的とした職業ではなく、国家の下に位置し、最終的には国体を守るべきはずの警察官という職務に就きながら、何故反天連のデモを許可し、あろうことかそのデモ隊を警備するのか。 

おかしいと思いませんか!?

この事については、桜井誠氏も毎年カウンターに来た人たちに問題提起していますし、桜井さん自身も直接警官と衝突するようです。

批判されている当の皇室、天皇陛下はいくら国民から罵られようが嫌味を言われようが蔑まれようが、憲法上何一つ言い返す事はできないお立場におられます。

それをいいことに、こんな不敬で悪質なデモを日本国内でやらせていいものか。

また、そんな輩どもを警察が守っているのは一体どういう事なのか。

これを絵図にしてみると、実に滑稽ですよね。

抗議している僕たちの姿さえ滑稽にみえてきて、なんなんだ?この国は   と。

 

 ⬇⬇【機動隊にも激怒!桜井誠氏 東京九段下 反天連を殲滅せよ 2017/8/15】YouTubeさんから。

機動隊にも激怒!桜井誠氏 東京九段下 反天連を殲滅せよ 2017.8.15 民進党さんたちch - YouTube 

 

今年の反天連の数は、聴くところによると80数人だったといいます。

対するこちら側カウンターの人数は、雨の影響で例年より少なかったようですが、なんと1000人くらいと聞いた時、近い将来いつか必ず反天連を撃滅し、この不敬なデモ行進を無くす事ができると確信しました❗

そのためには、絶えず反天連にカウンターを浴びせかけ、確固たる意志をもって国体護持、皇室安泰をネットなり街宣なりで呼び掛けていく事が日本を守る事に繋がるのだと思います。

もちろん、そうする中でいろいろな妨害もあるでしょう。

しばき隊、在日の嫌がらせや脅迫もあるでしょう。

しかしそれに怯んでいては、正しい事が闇に葬られ、守るべきものも守れないと思います。

デモや街宣に参加するのがどうしてもハードルを感じるのであれば、例えばデモ、街宣を遠巻きに見ながら拍手を送ったり、声援を送る事だけでもいいのです。

拉致被害者奪還の街宣などであれば、一般人を装って署名したり、群衆に紛れて「頑張って下さい!」と声をかけるのだけでも立派に参加してる事になりますよね。

簡単に言えば「サクラ」なのですが(笑)

最近聞いた話では、そんなサクラが広く国民に周知させるのに最も力強いというのです。

普通の道行く人たちが、近くに声援や拍手を送っている人を見ると、何だか聴いてみようかな...?  何を訴えてはるんやろう...? と自然と気になってしまいますよね。

そう考えると、サクラもひとつのデモ活動、街宣活動という事になります。

デモや街宣に直接参加するのも大事ですが、それをもり立てるいわゆる裏方的な存在も無視できないと。

だから、そういうのに参加するのを躊躇している方々は、はじめはそういったカタチから入っていくと良いと思います。

実際、桜井さんも10年前、反天連のカウンター抗議をした時集まった人数は僅か20人で、200人の反天連デモ行進に訴えたと仰っていました。

その時も警察にカウンターする場所を指定され、辺鄙な目立たない場所に連れて行かれたそうです。

20人 VS 200人   どちらが優位なのかは歴然としています。

敵うはずありませんよね。💦

それが今は、2000人、3000人もの人が九段下に結集し、当時に比べて見る影もないくらい弱体化した単なるジジババ集団と成り果てた反天連との立場を見事に逆転させました!!

もう少しです。反日逆賊の息の根をとめられるのは。

一人の声が二人になり、五人になり、十人になり、そしてそれは次第に大きな塊となって強い光を帯び、日本を護る後光と輝きさんざめく......。✨✨✨

そこから道は必ず開けるはずなのです。

共に手を取り合い、共に助け合い、共に戦っていく。日本の明日に向かって......。
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最後に余談ですが、この日父母と弟は、靖國ではなく地元大阪の天王寺にある、旧真田山陸軍墓地にて『万灯会(まんとうえ)』という行事に参加していました。
墓前にひとつひとつ、蝋燭をたてて灯を点し、英霊様に感謝と祈りを捧げるというものです。
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地元の方はもちろん、何かの機会で大阪に来る事があれば、是非立ち寄ってみて下さいませ。m(_ _)m

 

●アクセス👉👉真田山陸軍墓地 日本、〒543-0013 大阪府大阪市天王寺区玉造本町14−83 https://g.co/kgs/Jx5xF1 

 

前・後編と2回にわたり8月15日『終戦の日』について書かせていただきましたが、どちらも少し長くなってしまい大変申し訳ありません💦

最後まで読んで下さった方に、感謝申し上げます。🙏

まことに、ありがとうございました。

これからも、aikokuken-ryujiをよろしくお願い致します🙇

 

                                @2677/ 8/ 21/ 草稿

2017.8/15 『終戦の日』に日本人が想う事とすべき事...。【前編 ~靖國神社参拝 英霊に感謝と祈りを~】

皆様、こんにちは。aikokuken-ryujiです。

先日、前回の冒頭でも書きました、8月15日『終戦の日』に靖國神社に参拝させていただく為、前の日の14日の夜から東京に行ってきました。

もちろん新幹線で(笑)

なんか天気予報では、15日東京は雨模様だときいておりましたので傘を持参、そんなに降りはしないだろうと軽く考えていたところ、いざ東京駅に着いてみるとすでに激しい雨が降り注いでいるのを窓越しにみとめました😨💧☔

ありゃー❗ てなもんで東京駅から中央線高尾行きに乗り換えて三鷹に向かいました。

何故三鷹まで行くのかと言うと、駅前に何度か行った事のあるネットカフェで一夜を過ごそうというプランがあったからです。(ホテルとかやったら宿泊代だけでも高くつくもので💦)

そしていざ、三鷹に来たはいいですが、あてにしてたネットカフェがすでになくなっていました(笑)

またまた、ガーン😱💥💧💧

仕方なく吉祥寺まで出てネットカフェ検索、駅近くにあるとの事で急遽そこに泊まることにしました😂

のっけからトラブってもうて、明日大丈夫かな...  と懸念しつつ眠りにつきました。

そして運命の8月15日がやってきて、ネカフェを5:30に出て、中野から乗り換え、地下鉄で九段下に向かいました。
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☝朝の吉祥寺 サンロードです🎵

 

とまぁ、個人的な戯言はこの辺で置いといて(笑)今回のブログは、前・後編に分けて8月15日『終戦の日』に靖國神社に参拝した事を前編に、その日の夕方から九段下の靖国通りで行われた国賊集団『反天連(反天皇制運動連絡会)』の反日不敬デモ行進に対する迎撃カウンターデモに参加した様子を後編にもってきて、二部にわたり書かせていただこうかと思いますので、毎度拙い文章ではございますが、お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m

 

 

僕は毎年、この日には靖國神社に参拝させていただいております。

初めて靖國を訪れたのは、確か2014年頃だったと思います。

当時は、Facebookをメインにネットでの愛国活動やそれと平行してのデモ行進、講演会を拝聴などの活動をさせていただいておりました。

そういった活動をしている中で、やはり『終戦の日』には靖國神社に参拝し我が国を守る為に散っていかれた英霊様に感謝と祈りを捧げなければならないと確信し、今日に至るところと相成りました。

昨年などは、月イチのペースで東京に行き、靖國神社(ほかに東郷神社千鳥ヶ淵戦没者墓苑などにも行きました😌)を参拝させていただくまでになり、その度に国を守る事はなんだ、かつての英霊様のように国難に瀕している日本を守る為に自分たちができる事はなんぞや❔と自問自答していました。


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しかし、靖國神社に祀られる英霊の方々は、戦後の教育やメディアの偏向報道などで侵略戦争を起こした犯罪人として間違った認識を広められ、貶められ続けています。

それを思うと、靖國神社に参拝する事自体が現代日本人として当たり前の行為であり、また英霊様に感謝と祈りを捧げるのが何ら特異な事ではなく、この戦争もなく平和な日本で個々の生活を営めているのは、元はと言えば英霊様のお陰だから、靖國神社の御霊に頭を垂れるのは当然の事だという結論に達します。

靖國神社に参拝し、英霊様に感謝と祈りの念を捧げる事こそが、まず自分たちができるこの国を守る行為の一環だと思います。

 

今年は、例年とは違い、早朝から拝殿に参拝させていただきました。

毎年もう9時、10時くらいの時刻になると拝殿を参拝する方々が行列を成してしまうのですね。

昨年は、カンカン日照りで気温も35℃くらいあったと思います。その中を行列に並ばなければなりませんでしたので、かなり辛かったです(><;)

宮司さんや巫女さんも、「熱中症にお気をつけ下さい!」と必死で何度も呼び掛けていたのをおぼえています。

ミストやスポットクーラーなども至るところにありました。

ですが今年は、雨という事もあって気温は若干低かったものの湿度がある程度高く、ちょっとムシッとしていました。


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雨は降りみ降らずみ、終始微妙な天気で参拝を終え、あちらこちらを写メりながらブラブラしていました😅

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大村益次郎銅像も元気そうで...思わず嬉々としちゃいましたw
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こちらは、動物たちの像です。
上から、鳩、馬、犬......人間の英霊様だけでなく動物たちも我が国の為に健気に戦ってくれました。

動物といえど、立派な英霊様です(^^)

こういう、人だけでなく動物までも慰霊する姿勢が、外国とは異なるところ  と言えるでしょう✨

ましてや犬猫を食する鬼畜支那朝鮮人には到底理解できない境地であるのは言うまでもありませんよね!!

あー、日本人でよかった❗🎌\(^o^)/🎌

 

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そしてこちらは、特攻隊の像です。

凛としてますね~(゜▽゜)  今まさに特攻せんとする意気込みが伝わってきますね。
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そして靖國に一度でも行かれた方にはお馴染みのラダ・ビノード・パール判事のご登場です(*^^*)
この方は、戦後の極東軍事裁判(俗にいう東京裁判)で、日本は自尊自衛の為に戦争を起こした。すなわち侵略戦争などでは無い❗と仰っていただきました✨

 

そんなこんなしてるうちに、能楽堂前で白鳩が空へと放たれるイベントが10時から始まったので、そちらに赴きました。

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白鳩が曇天の大空へと放たれる瞬間が、こちらです⬇⬇
https://twitter.com/Ryuji_ILJ2676/status/897272154416218113?s=09

「英霊様、ありがとーー!!」の言葉とともに白鳩の群れは美々しいまでの羽ばたきをみせてくれました(*^▽^*) 

 

白鳩のイベントが終わると、遊就館に行きました。

遊就館には、日露戦争大東亜戦争時の記憶そのものが展示品とともにあります。

真の歴史を知る事はもちろん、すべての世代に痛切なる光と影を投げ掛けて、戦争とは何か、国を守るとはどういう事だったのか  という素朴な疑問に無言で答えてくれるはずです。

一階はお土産屋さんや食堂『結い』がありSL機関車や零戦が悠然と、展示されているのに迫力と感動をおぼえます。
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下の2枚は、大展示室のみ写真撮影可でしたので、撮ったものです📷✨

(ほかの展示室は写真撮影禁止で、拝観のみ)

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日露戦争で、史上最強の連合艦隊を率いた東郷平八郎元帥の肖像画もステキでした😍💕
「皇國ノ興廃、此ノ一戦ニ在リ 各員一層奮励努力セヨ」と旗艦『三笠』に掲揚されたZ旗のたなびきが彷彿とされますね。
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零戦も好きで、以前雑誌と模型がセットになった本を買っては零戦を棚に飾って楽しく眺めていた事もありました(^^)
その証拠に、ブログのアイコンの背後にある(カバー写真...  でいいのかなぁ❔ 笑)画像は、日の丸の小旗を背景に模型の零戦を撮影したものにしています💕✨
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近々、下の2枚のどちらかにカバー写真変更しようかと思ってます。🎶

それはさておき、遊就館には、様々な資料や展示品があり、さらに靖國神社が初期の『招魂社(しょうこんしゃ)』だった時の歴史から今の靖國に至るまでの成り立ちなど、訪れる拝観者を感動させ、認識させ、自らのアイデンティティーを呼び起こさせてくれる強い力をもっているように思います。

まだ行ったことのない方などは、是非一度行ってみて下さいませ。

拝観料は、大人800円、大学生(短期大学生・専門学校生などを含む)は500円、中・高校生300円、小学生は無料です(#^.^#)

 

遊就館で英気を養い外に出ると、雨がまだしつこく降り続けていましたが、お昼を過ぎると拝殿に参拝しようと大勢の人が長蛇の列をつくりあげているのを見た時、

「こんなひどい雨降りにもかかわらず、これだけたくさんの人が靖國神社に来て、英霊様に頭を垂れ、感謝と平和の祈りを捧げているんだなぁ。」と、靖國神社の放つ目に見えない力に、ただただ感心するばかりでした。


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ほかにも、普段は人も少なく閑散としている靖國神社境内やその周辺で『終戦の日』ならではの賑わいと様々な光景を目にしたので、画像を載せておきます。

これらの光景は、だいたい毎年のように見られますね。
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大村益次郎像を通りすぎて少し歩いた先の右側に位置する売店と飲食店がいっしょになった場所に落ち着き、土産物を物色(笑)しながら時間を潰していると、ベンチで喇叭(ラッパ🎺)の音色が聴こえてきて、次の瞬間、軍歌を歌う人たちの勇ましい声が雨音に混じって聴こえてきました。
帝国陸軍の軍服を着込み、喇叭(欧米ではビューグルというらしい)を吹くおじさんと、それを取り巻く人たちの歌声......。

海ゆかば』『同期の桜』『暁に祈る』などの正統派軍歌を聴くと、なんだか嬉しくなり思わず口ずさんでしまいました(^^)🎵

 

⬇⬇【海ゆかば


 

⬇⬇【同期の桜】


<軍歌>同期の桜 - YouTube 

 

⬇⬇【暁に祈る】


暁に祈る〈軍歌・戦時歌謡〉 - YouTube

 

よくカラオケで歌ったな~(笑)  最近、全然行ってないけど💧

また行こうかな?(^▽^;)

 

ここで先程出てきた喇叭について少しだけ豆知識🔎的な説明を書いてみますと、我が国にビューグル(ラッパ、喇叭)が紹介され持ち込まれたのは幕末まで遡り、慶応元年にイギリスの歩兵操典(英国歩兵練法)が翻訳された際に、信号喇叭譜(喇叭譜、らっぱふ)が紹介されたといいます。
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その後、日清戦争などでも旧陸軍によって用いられ軍隊内での起床や、点呼などに使われました。

⬇⬇下記リンク【旧陸軍喇叭】biglobeさんから。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~the_whirlwind48/kyu.html
‹ŒŒRšh™Ú 

 

土産物も買って、トイレ前の喫煙所で一服してしみじみと歌を聴いていると、その向こうにある白いテント内とその周囲に集っている人たちの姿をみとめました。 

『靖國の心を未来へ  感謝の心をつなぐ青年フォーラム』という講演会です。

この催しも、毎年行われています。

今年は、第三回目とまだ浅いですが、いろんな方々が講演をし、若い世代に靖國神社と英霊様への想いを引き継いでいってもらおうというすこぶる前向きな課題のフォーラムは、これからも続けていってほしいと思います。

講演には高須クリニックの高須院長、沖縄から来られた我那覇真子さんが講演をされました。

特に我那覇真子さんの講演は、YouTubeでみましたがグッと胸に突き刺さるものが感じられました。

物事を省みて、前進する  そして国を、故郷を想って生きていく......。

まさに今の若者に足りない志、しかしながら、このような心を一人でも多くの若者に持ってもらいたいと考えさせられる素晴らしい啓発的な内容でした。

 ⬇⬇【我那覇真子さん  靖國神社で感動的な講演! 日本と世界の未来を担う若者からの提言】YouTubeさんから。

 
我那覇真子【靖国神社で感動的な講演!日本と世界の未来を担う若者からの提言】 - YouTube 

 

我那覇真子さんは、沖縄県名護の出身で、名護市といえば沖縄でも左派意識が強く色濃い地域として知られていますよね。

前(現?)名護市会議員は、かつて皇太子殿下であらせられた明仁親王と美智子ご夫妻が、沖縄に御訪問された際、ひめゆりの塔で当時過激派だった川野純治という男が、明仁親王殿下、美智子妃殿下に対し火炎瓶を投げつけたあまりにも不敬な事件を起こしました。
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この手前の男がそうです。彼が今は名護市の市議会議員になっているところから推察すれば、そんな酷い地域から我那覇真子さんのような立派な考えを持った若い人が出てくるなんて......と誰しもが思ったに違いありません。

こういう凛とした方が、若い世代からもっともっと生まれて小さな渦巻きから大きなうねりとなって、日本はいつの日か誇りを取り戻し、立派な精神を蓄えた「日本国」として再興する事を祈願しています。

 

最後に『青年フォーラム』で童謡「故郷」を歌われた山口采希さんの歌の動画で、前編を締めくくらせていただきます。


【故郷】山口采希ライブ【靖国神社・感謝の心をつなぐ青年フォーラム】 - YouTube

 

長くなってしまいましたが、終わりまで読んで下さり、ありがとうございました🙇

ー後編に続きます。

 

                                 @2677/ 8/ 18/ 草稿

アニメから学ぶ古き良き日本と日本人の「こころ」......そして愛国心🎌

皆様、こんにちは。aikokuken-ryujiです。

暑い中、どのようにお過ごしになられているでしょうか。

前回のブログでは、前置きに只8月にはいって暑中見舞いを申し上げただけだったのですが、実は、8月  という月は我が国にとって種々考えさせられる事の多い月なのですね。

8月6日は、1945年(昭和20年)、広島に原爆が投下された日。

大東亜戦争末期、アメリカが核兵器リトルボーイ』を初めて広島市に使用した、文字通り人類史上初の核による大量殺戮を具現化した日本国民にとって決して許す事のできない、忘れる事のできない日ですね。


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そして、その3日後には長崎に続けて、原子爆弾が投下されました。


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この広島、長崎への原爆では罪もない多くの尊い人命が失われてしまいました。

その方々に、現代に生きる我々は、ただひたすら黙祷、そして二度とこのような惨事が起きないようにと祈念するばかりであります。😢

 

そして8月15日。この日は普段ブログを読んで下さっている皆様にとっては、すでにご周知だと思います。

終戦の日』ですね。

すなわち、日本がポツダム宣言を受け入れ、昭和天皇による詔勅がラジオを通じて、日本国民の耳に痛切な程に届いた屈辱的なあの日です。

この来る終戦の日、日本国民は粛々と英霊様に頭を垂れ、感謝と追悼の念を持たなければなりません。

靖國神社に祀られる二百四十六万六千余柱の英霊様は、現代日本人が参拝されるのを心から嬉しく思っておられるに違いありません。

一人でも多くの日本人が参拝されるのを、仏様になられた英霊の方々は、待っておられるはずです。

8月15日 終戦の日には、靖國神社、各地の護国神社に参拝させていただきましょう❗
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だいぶ前置きが長くなり、すみません💦

それでは、今回のブログの本題にうつらせていただきます。

 

今回は、アニメを通じて古き良き日本、日本人のこころ  そして愛国心を皆様とともに学んでいこうと思います。

日本のアニメは、昔からいろいろありますが今はすごくリアルと言うか、書き方も何もかも従来の「漫画らしさ」を超えるものとして定着していますよね。

そんな中でも、従来の「漫画らしさ」を保っているアニメも少なからずあります。

最近で言うと、『ワンピース』『進撃の巨人』『プリキュア』『名探偵コナン』などが人気ですね。

もっと奥深いマニアックなところまでいくと、もっといろいろあるかもしれませんが、あまり詳しくないので上記に挙げた作品くらいしか最近のは知らなくて......σ(^^;)  スミマセン💧

さて、そういったアニメ作品のある中で、とりわけ僕自身が胸をうたれた作品を今から3つほど挙げていきたいと思います。

 

まずひとつ目。

これは僕の子供の時に夏休み子供劇場かなんかで放映されていたアニメで、朝に布団の中で観ていたのをおぼえています。

三丁目の夕日』 

 原作は西岸良平で、原作の連載自体は1974年9月20日号より連載。

1955年から1964年まで(昭和町30年代頃)の「夕日町三丁目」を舞台としています。

アニメ放映は、だいぶ経ってからの1990年10月からでした。

そしてそのまた後年、『Always 三丁目の夕日』と題して二度にわたって実写映画化もされましたね。

実写化の方が、記憶に新しいかもしれません。
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僕は最初テレビでみた時、子供ながらに何だかすごく懐かしい感じがしました。

映像全体から感じられる古臭さ(?)が、妙に穏やかな風情をそよ風の如く送り、いろいろなエピソードを綴る独特の世界観に自然と呑み込まれ、子供なのに何故だか心が平和になる、心が安らぐ  みたいな強い印象が今でも残っています。

とりわけ、オープニング・テーマとして流れる富田靖子が歌う『恋かくれんぼ』の叙情的メロディーがすごく好きでした🎵

 

 アニメ『三丁目の夕日』オープニング映像。YouTubeさんから。⬇⬇


三丁目の夕日 OP - YouTube

 

この『三丁目の夕日』は、戦後10年余りしか経っていない、日本のいたるところがまだ貧乏で、いたるところが空き地だらけで、今のようにアスファルトの舗道があるわけではなくほとんどが砂利道で、家や学校などの家屋も鉄コン筋クリート(もとい💦  鉄筋コンクリートww)のような綺麗なものではなく、ほとんどが木造などによるものでした。

いわば、来るべき高度成長期の前夜だったわけです。

そんな状況下で語られる様々なエピソードは、楽しい話もあれば悲しい話もある、、滑稽な話もあれば深刻な話もあるわけで、それはその時代を生きた人にしか良さなり何なりがわからないものですよね。


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僕なんぞは、いわゆる『新人類』と呼ばれる世代のもひとつ次の世代なので経済的にも物質的にもある程度安定していたので、『三丁目の夕日』で繰り広げられる世界とは少し異なるものです。

あの頃は日本中が貧しかった......。

しかし、それに伴って日本人が現代人に比べてまだ「こころ」という精神的支柱をしっかり持っていた時代でもありました。

何もかも行き届いていない時代だったからこそ、無い物ねだりをする、欲しいものがあれば自分で努力なり倹約なりを考え、最終的に我慢、忍耐が物をいい、達成、得ることができたと言えると思います。

ところが今の時代は、物質面では手に入れるのに何ら支障が無い。欲しければ何でも安くで手に入り、安かろう悪かろうでもそれになんとなく中途半端な満足をおぼえてスルーしている。

これでは、物の有り難みが薄らいでしまいますよね。

三丁目の夕日』の子供たちは、メンコ、ベーゴマ、かくれんぼ、缶けり、電車ごっこ等、時には自分達で面白いと思う遊びを考えたりして遊んでいました。

メンコにしてもベーゴマにしても、いかに相手に勝つか、強くなるかを自分たちで工夫したりとまさに日本人の持つハングリー精神と言いますか、そういうものを持っていたように思います。

今の子供たちは、中には昔ながらのかくれんぼや鬼ごっこで遊ぶ子もいますが、そのほとんどがテレビゲーム📺❇ですよね。

かく言う僕も、ちょうどファミコン(初代のファミリーコンピュータ)が出始めた頃の世代だったのでゲームもしていましたが、それと同時にザリガニ釣りや田んぼで泥まみれになって遊んだりもしていました。

僕の子供の時分は、今よりまだ田地田畑が多かったように思います。

大人の場合もそうですよね。前にブログで『サザエさん』についても触れましたが、昭和30年代のお年寄りというとだいたいが明治、大正生まれの年代で、現代のお年寄りとは比べ物にならないくらい厳格で、古風で、浮わついておらず、躾に厳しい、肝の据わった方ばかり。

自分の子も他所の子も、同じ扱いで可愛がり、また厳しく叱りつけていたようですね。

そういうお年寄りが、家や近所にいてくれたからこそ、秩序が保たれていたと言えるでしょう。

つまり、『三丁目の夕日』には現代人が失ってしまった何も無かったけれど、そのおかげで大切なものを常に持ち続けている事ができた。

それは「こころ」です。

戦中、戦後間もない頃を通して贅沢が悪と見なされていた時代、日本人はそのほとんどが感謝のこころを持って日々生活を営んでいたものだと僕は思います。

先ほど言いましたが、その時代を生きた人にしかわからないものがありますが、僕は「感じる」事はできないとわかっていても「わかる」事だけはしたいです。

何故なら、今を生きる現代人も、あの時代を生きた人の血を受け継いで生きている、ルーツある日本人にほかならないのですから。

 

always 三丁目の夕日』は話題になったようですが、好きな人には申し訳ないですが、実写版を観た限り、アニメのような懐かしさ、昔臭さが何だか僕には伝わってきませんでした😥

あの西岸良平の描くほのぼのとしたキャラクターの輪郭などがそう思わせているのかもしれませんが(笑)

三丁目の夕日』では鈴木オートを経営する鈴木一家と田舎から上京してきて、住み込みで働く従業員の六ちゃんを中心に、まさにその時代を反映する個性豊かなキャラクターが出てきます。


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上は、作家の茶川先生と実子ではないが生活を共にしている淳之介、母代わりの存在であるヒロミ。
いずれも実写版にも登場します。

彼らと夕日町三丁目の住人が織り成す、悲喜こもごもの人間模様は、ふと胸がつまったり、思わず微笑んでみたり、一時として同じ表情で見てはいられないですね。

皆様も、機会があれば漫画なりアニメなりを一度観て読んでみてはいかがでしょうか。

特に若い人たちには、こんな時代もあったんやー!!とはじめてわかる事が盛り沢山で楽しいと思いますヨ🎵

 

それでは、続いてのアニメにいきたいと思います。

ズバリ、国民的ヒーローの名をほしいままにした愛と正義と勇気の象徴、、

アンパンマン


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これも子供の頃によくテレビで見ていました。(*^^*)

ちなみに、こちらが初期のアンパンマン
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なんかどことなく、朴訥としていますよね(笑)

とても悪者の立場にいるバイキンマンと戦う気骨が感じられない......というか、なんだかそれ以前に、瓢然と現れた感がアリアリ。

とても正義の名のもとに悪と戦うヒーロー  という印象が欠けているような気がします。

しかし、作者のやなせたかし氏は、アンパンマンのヒーロー像を、単に勧善懲悪のテーマだけにしぼって生み出したわけではないらしいです。

それは、漫画やアニメを拝見すると、自ずと判ずる事ができました。

「愛と勇気」です。

一体何が愛と勇気なのかと言うと、いつもアンパンマンは空を飛んでいると、何か辛い事や嫌な事があったのか、幼い子供が(と言っても、クマさん🐻や象さん🐘などの小動物が子供に扮してる感じ?)泣きじゃくっているのをみとめると、ヒューンと降りていって自分の顔の一部(無論、あんパンw)を子供に分け与えて元気と笑顔を取り戻してもらおうとします。

するとさっきまで泣きじゃくっていた子供は、アンパンマンの優しさに触れ、ひときれのあんパンを口にすると笑顔でアンパンマンに心からのお礼を言いますよね。

これこそが、アンパンマンが愛と勇気を身を以て実践しているヒーロー像なのです。
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アンパンマンは、何もバイキンマンが心底憎いわけじゃない。ただ、無抵抗で成す術もない弱い人たちを困らしたりする時だけ、アンパンマンは、お仕置き  程度の制裁アンパンチ❗👊💥  をバイキンマンに喰らわすだけに止めています。

しかし、バイキンマンは毎回悪さをしたりします。

その時はまたアンパンマンがアンパンチを与え、お仕置きをする。

こう考えるとなんだか母と子の日常みたいな絵が背後に浮かんできませんか?

つまりアンパンマンは、その都度悪さをするバイキンマンを「成敗」するのではなく「お仕置き」をしているのですね。

その証拠に上のキャラクター全員集合の画像にも笑顔ではしゃぐバイキンマンがちゃんといますよね。

アンパンマンは、悪を完膚なきまで倒すというヒーローではなく、むしろ弱者に手を差し伸べるサクリファイス的な行為でもって人々に幸せを与える心優しきヒーローなのです。


 【言葉ってすごいね(5)完】正義の味方はカッコよくなんか、ない…やなせたかしさんの物語
2014.1.19産経ニュース  やなせたかし


【言葉ってすごいね(5)完】正義の味方はカッコよくなんか、ない…やなせたかしさんの物語 - 産経WEST

 

それが今までのアニメとはまた違った強い印象を与えたからこそ、アンパンマンは世代を越えていつまでも子供たちのヒーローたる所以なのだと思います。

 

それと、もうひとつ☝(またまた『相棒』の右京ではないですがww)アンパンマンについて触れておきたい事があります。

それは、皆様も一度は聴いた事があるであろう「アンパンマン・マーチ」についてです。

最初に歌詞を掲載しておきます。

 

アンパンマン・マーチ』作詞:やなせたかし  作曲:三木たかし

 

♪そうだ うれしいんだ
  生きる よろこび
  たとえ 胸の傷がいたんでも

 

  なんのために 生まれて
  なにをして 生きるのか
  こたえられないなんて
  そんなのは いやだ!

  今を生きる ことで
  熱い こころ 燃える
  だから 君は いくんだ
  ほほえんで
 

  そうだ うれしいんだ
  生きる よろこび
  たとえ 胸の傷がいたんでも
  ああ アンパンマン
  やさしい 君は
  いけ! みんなの夢 まもるため

 

  なにが君の しあわせ
  なにをして よろこぶ
  わからないまま おわる
  そんなのは いやだ!
  忘れないで 夢を
  こぼさないで 涙
  だから 君は とぶんだ
  どこまでも 

 

  そうだ おそれないで
  みんなのために
  愛と 勇気だけが ともだちさ
  ああ アンパンマン
  やさしい 君は
  いけ! みんなの夢 まもるため

 

この歌詞についてですが、ネット上で都市伝説として語られている「アンパンマン・マーチと神風特攻隊の関連性」と照らし合わせたところ、いくつか特攻隊員の気持ちとシンクロしている箇所がいくつかあるように思いました。

特に一番の歌詞などは、「なんのために生まれて  何をして生きるのか  こたえられないなんて  そんなのはいやだ!」とあり、その次のサビの部分では「今を生きる ことで  熱い こころ燃える  だから君はいくんだほほえんで......」と続くあたりはまさに『今を生きる』=『日本を亡国から救うために自分ができること』に繋がる一大決心であると。

その結果、特攻隊の若き尊き命が御国の為に散華されていったのです😢

すなわち、『アンパンマン・マーチ』の歌詞を深読みすると、神風特攻隊と限りなく近い位置に座するともいえるのではないのでしょうか。


 【本当は深い  アンパンマンマーチ】YouTubeさんから。⬇⬇


本当は深いアンパンマンマーチ - YouTube

 

確かにこの説に関しては、否定的な意見も多々あります。

しかし、僕はあまりにも『アンパンマン・マーチ』と神風特攻隊の関連性がありすぎる......と思ってしまうのです。

ブログを読んで下さっている皆様も、それぞれご意見や認識が千差万別あると思われます。

アンパンマン......世代を越えていつまでも弱者の、子供たちのヒーローとして認知されていってほしいですね。

 

さて、それでは最後になりましたが、3つ目のアニメにうつります。

3つ目は、テレビアニメでも幼児の心を鷲掴みにした『クレヨンしんちゃん』の劇場映画9作目となる『クレヨンしんちゃん  嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』について書いていきたいと思います。


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映画公開は、2001年4月21日。上映時間は89分。興行収入は約15億円という事でした。 

ちょうどミレニアムから一年後の2001年公開で、20世紀と21世紀の拮抗みたいな内容となっています。

物語の概要をザックリ簡単に書きますと、しんのすけ一家の住む埼玉県春日部に『20世紀博』なる1970年大阪で開かれた万国博覧会をまんま模したようなテーマパークが出来、春日部の大人たちは連日通いづめ、昔の青春を懐かしんでいた。

だが、大人たちに連れられてやってきたしんのすけ以下、子供たちは退屈で仕方ない。

そんなある夜、テレビで『20世紀博』の"大事なお報せ" を聞いた途端、しんのすけの両親・ひろしとみさえは人が変わったようになってしまう。まるで大人の体のまま心は童心へと還ったように。

それはふたば幼稚園の友達、風間くん、ネネちゃん、マサオくん、ボーちゃんの両親も同じだった。

翌日、大人たちは「証城寺の狸囃子」のメロディを刻むトラックに乗せられて(或いは自主的に乗って)春日部の町から連れ去られた。

残ったしんのすけと仲間たちは、両親を取り戻すべく行動を起こす。

両親を連れ去ったのは『イエスタデイ・ワンスモア』と名乗る組織で、21世紀の未来を自分たちの手でなきものにし、代わりに自分たちの想い描く21世紀を作ろうと企む者の仕業だった。

しんのすけ達は、自分たちの未来と両親の心を取り戻す為奔走する......。

と、こんな感じですかね?

 

【映画クレヨンしんちゃん『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』予告編】YouTubeさんから。⬇⬇


「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 予告編 - YouTube

 

この映画は、クレヨンしんちゃんの劇場版のなかでも特に好きな、そして泣いた映画でしたね😭

何故そんなに泣いたのか  と言いますと、物語中盤で『イエスタデイ・ワンスモア』春日部本部の中で難を逃れたしんのすけと妹のひまわり、飼い犬のシロが内部で迷っていると「EXSPO'70」とプレートの掛かったドアを見つける。

中では1970年当時、万国博覧会に来ていた幼いひろしと両親の姿があった。

そこにしんのすけが乱入(笑)し、『イエスタデイ・ワンスモア』の作り上げた昔の匂いに対抗する今の匂い(臭い? 笑)としてひろしの靴の悪臭を幼きひろしに嗅がせ、意識を現実に戻そうとするしんのすけ

その過程で綴られる映像の数々が、涙を誘いました。

幼き頃は、自転車で父の後ろに乗って釣りに行った思い出、成長して学生の青春を謳歌、結果悲しい想いで終わってしまった思い出、埼玉に上京して双葉商事に入社し先輩から教えを乞いながらついて回り、時には仕事でミスり上司から叱られるも同僚たちから励ましてもらった思い出、そして現在の妻となるみさえとのお付き合い、さらに結婚後第一子となるしんのすけの誕生を夫婦で喜びあい、今の家に引っ越してきて新しい生活を幸せいっぱいでスタートさせる思い出、第二子ひまわりの誕生、四人(シロを入れて四人と一匹w)となった家族で自分の幼き頃のように自転車の後ろに我が子を乗せて同じように釣りに出かける家族......  それらがすべて映像だけで流れていくところでは本当に涙が溢れてくるとともに胸の奥で熱いものが沸き立つような気持ちになりました。


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そして、足の悪臭(笑)で、ようやく現実に戻るひろしとみさえ。
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本当は笑うところなのでしょうが、何故かホロリ、ホロリと来てしまうのがクレヨンしんちゃんの劇場版に随所みられる憎い演出ですよね。

さらに野原一家が『イエスタデイ・ワンスモア』のリーダー、ケンとチャコと対決する為爆走する下りは、涙なくしてはみれません。

仮想空間で「高校三年生」を口ずさみながら巡回しているお巡りさんに、ひろしが胸ぐらを掴み「おい、出口はどこだ!?教えてくれ。早くここから出ないと懐かしくて頭おかしくなっちまうんだよ!!」と涙を流して訴える様は本当に泣きます。

すごく切ないですよね。本当ならあの頃に戻りたい......しかし愛すべき家族を得た今、家族と共に未来を生き抜いていきたいという想いが交錯してしまう。

それは家庭を持った大人しか感じられない唯一無二の感情ですね。

また、挿入歌も昭和をリアルタイムで生きた人にはこたえられない昭和の歌が盛り沢山。

『白い色は恋人の色』🎵ベッツイ&クリス /  『今日までそして明日から』🎵吉田拓郎  など懐かしい曲が流れ余計に涙腺を刺激してきます。

僕はこの頃の歌なども好きで、若い頃よく聴いていたものなので、オート三輪蕎麦屋の出前持ちが普通に砂利道を走っている時代に同化できなくても何だか懐かしさで目頭が熱くなってきます。


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ケンとチャコは、昭和の人間誰しもがこころを持っていた貧しくも懐かしい時代に、今の空虚な現代を塗りつぶして理想郷を作ろうとしていました。

日本人が真に「こころ」と「未来への 希望」を持っていたあの頃へともう一度帰依しようと。

でも、21世紀を家族と共に生きていきたいしんのすけは、傷つきながらも、体が疲れながらも、最後には息も絶え絶えにケンとチャコの計画を阻止しようと最後まで頑張りぬきます。

その勇姿をみて、また涙が......😢😢😭😭
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まぁ、5才児なのでオチはお笑い的なものになりましたが、それでも大人になりたい、家族と共に未来を生きていきたい  という強い想いはケンとチャコ、そして20世紀博の仮想空間で生きる人々の心にも直接的に響いて、ケンの作り出した『懐かしい匂い』を世界中に散布させようとしましたが、匂いのレベルか最低まで下がり、結果としてケンとチャコの計画は失敗に終わりました。

チャコ「(涙ぐんで)......おしまいね......」

ケン「(低く)......あぁ......」

チャコ「でも私、外へは行かないわよ」

ケン「......わかった」

そこへひろし、みさえ、ひまわり、シロがしんのすけの下へ駆けつける。

みんなの格好もボロボロだ。

ケン「小僧。お前の未来、返すぞ」

そう言うと、建物の舳先へと歩き出した。

彼らは死ぬ気だ。
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しかし、しんのすけの「ずるいゾ!!」の呼び掛けと飛び降りる間際に一羽の鳩の羽ばたきによって二人は一命をとりとめました。

しんのすけ「バンバンジージャンプ(正確にはバンジージャンプw)  二人だけでやるのズルいゾ!オラにもやらせろ」とその時のケンの台詞がすごく印象に残っています。

 

『また......家族に邪魔された...』

 

ケンとチャコの足元には、鳩の巣があり、巣の中には雛とたまごがありました。

チャコは全身をわななかせて思わず屈んでしまいました。

「死にたくない......」

ケンは、同じように屈み、チャコの体を優しく抱きしめました。

こうして、長らく懐かしい匂いに支配されていた大人たちは我を取り戻し、愛する我が子、愛する家族とともに帰路へとついたのです。
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このクレヨンしんちゃんを観て言いたかった事は、最初に紹介した『三丁目の夕日』とちょっと主旨が似ているのですが、古き良き時代に生きていた日本人が持っていた「こころ」が現代人の中に失われてしまったために目的を履き違えたケンとチャコのような純粋で実直な人たちが結果として悲しまなければならない、苦しまなければならない事が問題なんだと思います。

日本は今年で2677年という年を迎えています。

その途方もない長い歴史の中で、古くから伝わる伝統や習慣を重んじてきました。

これらが儚くも失われてしまうのは絶対にあってはならない事です。

今、それが失われようとしつつある現代の状況は、まったく危惧せずして見据えるなんてことはできません。 

ひとつひとつ、我々日本人が学び、教え、広めていかなければなりませんよね。

そういう意味では「保守」という言葉がしっくりくると思います。

日本に観光でやってくる外国人なども、世界にふたつとない稀有な日本文化に当の日本人以上に興味津々なところを見ると、東洋文化、すなわち日本文化に日本人自身が誇りをもって接しなければならないのではないでしょうか。

そしてこの映画で野原一家が観客に訴えたメッセージとは、【過去を懐かしむのはいいが、それに溺れて今の生活を疎かにしてはダメだ。大事なのは家族とともにこれから先の未来を生きること。悲観する事も挫折する事だってたくさんあるだろう。けど、自分たちに託された未来を生きるという責任を全うせずして自分たちの存在価値はありえない。

先を歩くのを恐懼して、後退りするくらいなら裸一貫でも敢えて前進していこう。家族や仲間とともに】という事なんだと僕は解釈します。

それは、在日反日勢力から日本を取り戻そうと日夜頑張っていただいている草の根運動の方々や、保守政治家、愛国活動家の方々にも当てはまりますね。

悪くなるとわかっている未来なら、自分達の手で良くしていかねばならない、未来とは運命、つまりそうする事は日本人として先人に報いる避けられない運命なのだと認識できますよね。

ブログを読んで下さっている皆様の心にも、そういう気概や強い想いが必ず備わっているはずです。

その心を決して忘れないように、日々の生活を営んでいってほしいと思います。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました🙇

 

                                 @2677/ 8/ 10/ 草稿 

 

 

『共産主義による罪』と『お花畑=無知 による罪』の紙一重を問う超短編小説②📖

こんばんは。aikokuken-ryujiです。 

 8月に入りましたね。今月も不定期ですがちょこちょこブログ更新していきますので、ご愛顧の程よろしくお願い申し上げます🙇🙇


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さて今回は『共産主義による罪』と『お花畑=無知  による罪』をテーマに、拙作ながらまたまた超短編的小説を書かせていただく事と相成りました。😅

前作の『梅雨時』も、かなりの中途半端な出来となってしまいましたが、今回もそうなりうるやもしれません。😣

何卒、お許しいただきますようお願い申し上げます。m(_ _)m

 

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『邂逅』

 

(一)

 

妻の秀子が手慣れた様子でいつものように床を敷いていると、不意に低い唸り声のような静かなる轟音が窓の外に響いた。

秀子は立ち上がって窓を開けると、どうした事であろう、、今宵は日中の天候より予期せぬ雨天からの水飛沫がみてとれた。

「貴方、雨ですわよ。お昼間のお天気からは想像もできゃしなかったわネ...」

長らく机上とにらめっこを続けていた本木公二は、妻の嬉声とも落胆ともとれぬ声色に振り向き、

「あぁ、そうかい。昼間はあんなにお日様カンカンだったのになぁ」

と低く呟いて妻のもとへ歩み寄った。

窓外をのぞき見る。  なるほど、よく降っている。

「貴方、雨なんて久しぶりだわね!  明日の天気大丈夫かしら!?」

「なんだい??  明日の天気ってのは」

「あら、もうお忘れなの?  明日、近所のご婦人方と芝居観に行こうってお約束してたのに......」

本木氏は、渋い顔をして斜めから妻を見た。

「そりゃ君......天に聞かなけりゃァ、わかりゃしないぜ」

「(ふふと口をすぼませ)あら、そうね。貴方の好きな天照大神に明日の事ようっくお願いしておかなくちゃ」

妻は絶えず上機嫌で、楽天的な様子を夫に見せたあと、そそくさとその場を立ち退いた。

「おい、寝ないのか?」

夫の呼び掛けにめんどくさそうに「御不浄よ!」と声だけ与えて厠の戸を強く閉めた。

本木氏は、しばらく窓外を見つめていた。

「ここんとこ、降らなかったが、ここに来てようやく天の恵みかぁ...。なんだか、俺もいい物が書けそうな気がするな。うん、きっとこの愛する日本の為に、ひとつでも良い話が書けそうな気がする!  そうなればだ......今書いてる探偵物は途中で切り上げた方が良さそうな気配だな。うん......雨もこんだけ降ってる事だし」

妻はいつの間にか小水を済ませ、独り言をぶつぶつ言ってる夫の傍らに座り込んでいた。

「貴方......何、ぶつくさ言ってるんです?  もう寝ないと」

と、夫の腕に絡み付く妻を一瞬ではね除け、本木氏は立ち上がり帯をほどき始めた。

その様子を見て、「あら、お出掛け?こんな時間に......」

「うん。ちょっと雨降りの町を歩いてみたくなったものでね。あ、君は先に寝ていていいよ。気にしないで」

秀子は、少しふて腐ったような表情で俯き加減になったが、夫のこの突然の「外出癖」には夫婦(めおと)になった時分から承知していたもので、直ぐ様諦め、外出用の着物を箪笥から出して夫に手渡した。

「傘、お要りでしょう?」

「......あぁ。この降りじゃ、要るね。もう少し小降りなら被るもの無しで出掛けたい心境だったのだがね」

今夜の本木氏は、何故かうきうきしていた。

妻にもそのように見えた。

自分でもよくわからないが、何故か雨降りの景色を見た途端、その渦中に飛び込んでみたくなって嬉々としている自分の意気の高揚したる心中がよく解せずにいるのだが、本木氏はとにかく出掛けたくてしょうがなかった。

玄関先で火打ち石を チンチン と鳴らし、秀子は酔ってもいない目を泳がせ、今にも弾け飛ばんとする夫を見送った。

 

(二)

 

本木氏は、傘を手にまるで子供のように、はしゃぎながら雨の降りしきる町を歩いた。

ともすれば「Sing'in in the rain♪」と口笛とともに口ずさんでしまうような陽気さであった。

外出用の着物の裾も、すでに水気にやられびしょびしょになっている。

しかし、そんな事も構わず本木氏は、雨の中を楽しそうに跳び跳ねている。

ふと、いつもの商店街に差し掛かると、雨中の中に朧気な飲み屋のネオンや、街灯などが余計にファンタスティックに見えて、なんでもない事にも感動してしまい、余計に欣喜雀躍せんところの本木氏は、周囲から見れば気違いに見えたか、ジーン・ケリーに見えたか......。

恐らく、多数派は前者だと思う。

そして、何を思ったか駅に向かった本木氏は、新宿までの切符を買い、山手線に揺られた。

電車の中では、こんな午前様のような時間になっても乗客の多いことに、本木氏は半ば驚愕していたが直ぐに窓の外を見遣ると、そんな雑念も消えた。

 

やがて、新宿に着くと、乗客の半数以上が洪水の如くホームに溢れ出た。

ほとんどが頑迷固陋な会社員がほとんどであったように本木氏の目には映じた。

自分は物書きで、決して雇われ者ではない故に自由人であるという誇りを持つと同時に、毎回まとまった収入の獲れる身分ではないという思いが頭をもたげ、煩悶を呼ぶ。

彼の「外出癖」には、いつもついて回る煩悶である。

自分のような物書きは、所詮"やくざ"な稼業なのか......。

そして、まるでロボットのように雇い主の支配下のもとで何もかも従順になり、汗水垂らして働く薄給の傀儡どもの稼ぎや生活こそが安定しているのだろうか......。

そんな思いを抱いているにも拘わらず、本木氏は物書き生活から抜け出せずにいた。

いや、当人がこの商売に決定的な疑念を抱かぬうちは、やめないだろう。

そして、本木氏は日本の現状を憂いているからこその執筆活動に明け暮れているのだから。

 

(三)

 

本木氏は、未だ降り続ける雨と同化したように傘をぷるぷる回し、歩き続けた。

が、今書いてる探偵物よりも良い作品にとっかかる思案を見出せないままでいた。

今書いてる探偵物......  というのは、戦後の荒れ果てた東京が舞台で、文無しの探偵が貧民街で起こった猟奇殺人に挑むというもの。

かつて戦後の町を闊歩した朝鮮進駐軍の悪行を重ね合わせて書こうとしていたものだが、一人前に犯人の使ったトリックやら殺人の手法やらに行き詰まりを感じて、それから先が書けないままになっていた。

ただ、朝鮮進駐軍による悪行をそのまま書こうと思えば、本木氏にとっては容易い事なのだが、いかんせん探偵物といえば、謎解きが絡んでくる。

そのもつれた細い糸を、探偵がいかにして紐解こうとするかを読者は期待しているのだ。

残念ながら、本木氏にはそのようなもつれにもつれた糸を如何にしてほどこうかという解釈が書くことができない作家であった。

はなから探偵物など無理だったのだ。

本木氏は只、衷心なるは朝鮮進駐軍の悪行や支那共産党による日本に及ぼした影響をのみ書けるというもの。

これをエンタテイメントなる探偵物に置き換えたなら、本木氏の絶筆となるは無理からぬ事であった。

彼は純粋すぎるのだ。それ故、世間受けする作品を未だかって書けたためしがない。

だが、そういうものが書けないのなら当然の如く飯は食ってはいけないし、妻の秀子にも多大な労苦をかけることになる。

彼は太宰治志賀直哉などをことのほか羨ましく思った。

奴らに書けて、何故俺には書けぬのか......。

ふと、さっきまで雨の中、喜び勇んでいた本木氏の目に涙が浮かんだ。 

自分が書けないからではない。自分が書けないことによって、妻の秀子が容易ならぬ苦労をしょいこんでしまう事を悲嘆しての涙である。

そんな本木氏のうなだれた肩を、軽く叩く者がいた。

本木氏は矢庭に傘をたたんで、肩を叩いた主をみとめた。

「間違ってたらすみませんが、あなた、本木公二さんではないですか?」

「(立ち上がり)えっ?  ええ、僕は本木ですが、あの......あなたは......?」

「いや!  やっぱりそうでしたか。僕ですよ。同じクラスメイトの有島です。有島芳男ですよ」

有島  と名乗るこの小男は、満面の笑みを浮かべて本木氏の両肩をがちっと掴んだ。

本木氏は、最初この男が何者かわからなかったが、ふと幼少期に思いを馳せると、なるほど、その男がガキ大将にいつもいじめられていた有島芳男であったとすぐに思い出す事ができた。

「お......おぅ!  お前か。久方振りだな。どうしてた?」

「久方振りは変だな。なんだか武士みたいな物言いじゃないか。僕は元気だよ。今、ある議員の秘書をしてるんだけども、君はどうしてた?」

本木氏は一瞬顔面を強張らせた。

言うべきか......?  言わざるべきか......?

果てして彼はこう言った。

「あ、あぁ。相変わらず書いてるよ。しがない物書きさ。今じゃ雑誌をみっつ掛け持ちしてるよ」

真実と嘘をうまい具合にミックスさせ、有島芳男にそれとなく現状の自己紹介をしてみせた。

「そうかい!  いや、おめでとう。君も今じゃ立派な小説家ンなってたんだな。友人として僕も嬉しいよ!」

有島は、まるで本気で喜んでくれているようにも見えた。

本木氏はそれを見て、心底嬉しくもなりしたが、同時に恥ずかしい気持ちも胸をかすめた。

 

(四) 

 

二人は駅近くの居酒屋に入った。

有島は麦酒(ビール)を、本木氏は焼酎を頼んで落ち着いた。

「君は焼酎派だったかい?  知らなかったよ。麦酒は飲まないのかい?」

「いや、麦酒はどうも体に合わないらしくてね。もとい、僕は大学生の頃より焼酎を嗜んでたものだからね」

「そうだったよなぁ。でも、君は作家としての志を決めていたというのに、何故大学では法学部だったんだい?」

「......六法に興味があってね。あと憲法のこととか。」

「そうかい」

話してるうちに麦酒と焼酎が運ばれてきた。

本木氏と有島は、各々を手に持ち、久しぶりの邂逅を祝って乾杯を交わした。

有島の方は、中ジョッキの麦酒をすごい勢いで飲み干し、だん  とテーブルに置いて一息ついた。

本木氏は、一気に飲みはしないものの、グラスの真ん中らへんまで飲み、有島の乾杯に応える形をとった。

「いや~、しかし、ここで君に会えるとは思ってもいなかったよ。何しろ、知り合いはほとんどが音信不通でね。僕も探してるところなんだけども......なかなか、見つかりゃしない。この広い東京では  ね」

「ほぅ。探してるって、なんで?」

「いや!  そりゃ君。僕の支持する政党にだね。議員にだね。ひとつでも多く票を入れてもらわにゃあ......と思ったもんでね」

「近く選挙でもあるのかい?」

「いや。無いんだがね......君、今や政権与党の腐敗ぶりを見るにつけて、ここらで総理を引きずりおろさんと一大発起に乗り出さなきゃ、君、日本の未来はどうなることか......と嘆いているのだよ」

中ジョッキの麦酒一杯で、もう酔いがまわったのか??

本木氏は、有島の顔をまじまじと観察した。

両頬赤く染まりしも、目はまだそんなに赤くはない。

虚ろでもない、泳いでもいない。

有島は、まだ管をまくほどに酔ってはいまい。

「日本の現状?  うん、それは僕も同じ気持ちだよ。このまま行くと、どうなることやらだね」

「(顔を上げ)本木さんは、今の与党を許さないですよね!?」

こいつ......酔ってるのか?  それとも見せかけか?

どちらにしても、有島は現政権にただならぬ不満と疑念を抱いている。

本木氏は、現政権の支持者であるのだが、100%支持しているか?と問われれば、詰問するに至るだろう。

何しろ、総理大臣がその席に腰を落ち着かせてから未だに8月15日の終戦の日(本木氏は、終戦記念日という呼び名を断じて嫌うところがある。)靖國神社に正式参拝をしたためしがないのだから、国を憂いる日本国民の一部にとっては苦言を呈す者も出るのは無理からぬ事なのだ。

しかし、本木氏はあくまで基本的には現政権支持者である。

「ねぇ、どうなんだ。君は現政権に一抹の不安や不満も見受けられないかね?」

「あっ?  あぁ...少しね」

そう言うと本木氏は、アテに頼んだ蒲鉾(かまぼこ)を苦々しく啄んだ。

「そうだろう。僕は今の総理大臣はじめ閣僚なんかが大嫌いでね。また、その尾ひれについてネットでギャアギャア喚いてる論客も好かないがね。まァ、金にはなるんだろうがね」

「論客って?」

本木氏は、敢えて聞いてみた。

「ホラ、よくYouTubeとかのネット番組でグダグダ言ってる評論家ですよ。日本の伝統文化だの天皇だの、果ては韓国人は日本から出ていけだの愚にもつかん戯言を言ってる奴らですよ」

本木氏には有島が名指しでは無いが指摘してる人物像には、いくらかの想定がついていた。

自身の職業である執筆は、今風にキーボードを叩くのではなく、原稿用紙をわざわざ買ってきて鉛筆などで書くいわゆる古風なスタイルを固持してはいるのだが、そういう世相や政局の情報源は、もっぱらネットを活用しているので彼には有島が口先で批判している論客が誰なのかはだいたい予想がついた。

「ところで......君の支持する党ってのは?」

有島は、二杯目の麦酒を  ぐっ  と飲み干し、机上にどんと置くと袖で口のまわりを拭いた。

そして本木氏の目をじっと見つめ、

「......知りたいかね?」と、半ば酔いの手伝うところの優越気味に呟いた。

本木氏は、素直に軽く頷いた。

「実は、半年ほど前から『赤旗新聞』を近所に配る仕事を仰せつかってね。いや何、朝早いったらありゃしない。ハハハハ」

赤旗新聞!?  もしや......。

本木氏は驚嘆した。もしやこの男の支持政党とは......。

「新聞を配るって......君は議員の秘書をやってるんじゃないのか?」

「あぁ、やってるよ。でも先生から言われたのさ。初心に戻ってまず新聞を配るところから頑張れって」

そうだ。有島は間違いなく共産党支持者だ。

本木氏が最も嫌う、アカの政党、日本共産党

彼はこの次、どう会話を切り出していいのやらわからなくなってしまった。

しかし、本木氏から話すのを思慮する必要はなかった。

何故なら、三杯目の麦酒をグラスの真ん中あたりまで飲み干していた有島の饒舌が、本木氏を自然と聴き手役へといざなったからだ。

 

(五)

 

時間は夜10時をまわったところだ。

この時刻から依然として酔客の方々での盛り上がりや談笑は、賑やかになるばかりである。

有島は、麦酒のもう三杯目を飲み干してしまうところだ。

対する本木氏は、一杯目の焼酎をようやく飲み干さんとするところである。

「いいかい?  今の防衛大臣なんてのはだね、着飾る事しか考えてない。国の為に祖国防衛とか言って、自衛隊を国軍にとか言ったりしてるけど、あんなのはナンセンスだよね。ましてや在日米軍をいつまでも沖縄に置いとくのなんか僕ァ、反対だ。何故だか教えてやろうか?  え?」

「ほぅ......何故だい?」

「そりゃお前ぇ、アメリカは明けても暮れても戦争ばかりしてやがる国よ。下手すりゃ今度はどっかと戦争おっ始めかねない。日米安保で日本政府がそれに加担してみろ。国民の生命が危険に晒されるんだぜ?  日本人は、戦争したくない民族なのに、無理やり戦争に駆り出されるんだぜ?  将来の希望もある若者たちが。これを悲劇と呼ばずになんて言う?  えぇ? そうだろ、本木しゃんよ」

本木しゃん  とは、、有島の奴、かなり呂律がしどろもどろになってきている。

しかし、有島はやはり共産党支持者だ。

戦争反対、個人的生命尊重の立場を主張する日本人は、そのほとんどが憲法9条の信奉者である事実は否めないものである。

先の大戦では、自分の将来など二の次に、国を守る最後の砦となって自ら死んでいった特攻隊の若者がいたというのに。

今では、憲法9条を盲信する日本人が多いために、神風特攻隊は歴史上軽視されているままなのだ。

本木氏の胸に、やりきれない焦燥感が沸き立った。

そして、意を決して有島に言った。

「しかし君、今沖縄から在日米軍を撤退させたら、沖縄はどうなるんだい?  すぐにでも中国が攻め寄せてくる可能性だって捨てきれないんじゃないのかな?

中国は、連日尖閣諸島を領海侵犯しているのだから、その本願は沖縄の領略なのだとすると......」

「(本木氏の言葉をさえぎり)いや、アンタの言う事は、万に一つの妄想に寄りかかった妄言だ。いや、暴論だ!  中国が沖縄を攻め落とす?  ハッハッハ、、君、寝言は寝てから言えよ。中国が沖縄に攻めてくるわけなんかないじゃないか。だいいちテレビでもそんな報道はされていない。確かに、尖閣周辺をうろつく中国船は日本政府にとって問題なのだろうが。でも、それがどうしたって言うんだ?

彼らは、我々に危害を加えたりなんかはしない。いや、もっと言えば海域を誤ってたまたま入ってきただけなのかもしれないじゃないか。それを海上保安庁が威嚇するなんて、日中関係が悪化しかねない。海上自衛隊護衛艦が出てくるなんてもってのほかだと思うがね」

「いや......でも、現実に彼らはチベットウイグルを武力でもって鎮圧し、そのあとでも弾圧をしてるじゃないか。えらく酷い仕打ちをね。それに抗議する為に彼らは焼身自殺をした。これがどんなに悲惨な事か、この流れが沖縄に及んでくる可能性は大いにあり得るとは思わないか!?」

「あり得んね。鶴の一声で君に諭しの言葉を与えよう。百歩譲って中国が日本に何か危害を加えるような事をしたとしよう。それは中国に対して、真摯な態度を示さなかった傲慢な政府に責任があると思うね。

まして南京大虐殺がまるで嘘のような事を喧伝し中国当局を刺激するような一般ピープルのバカがいるせいもあって、中国をそのような凶行に駆り立てたのだとしたら?

真に悪いのは日本人という事になるよ。必然的にね」

「それは君、筋が通ってないんじゃないか?  君はどれほど中国の事について知ってる?

彼らが我々日本人に対して、どれだけの憎悪と嫉妬と劣等感を感じているか、理解した事がないのか?  南京大虐殺も仮に本当にあったとしたら、当時の資料やらがとっくに出ている筈だろう。しかし今日に至るまで何一つ確証たるものが現出していない。だから南京大虐殺は中国政府が打ち立てたデマだと言わざるをえないのだよ」

「......本木さん、あなたがそれほどまでに無知で無教養な人間に成り下がってしまったのだとは気づきもしなかった......。少なくとも、さっき何十年かぶりに会った瞬間にはね!」

有島は、そう言い放つと強くテーブルを叩いた。

すぐ横のお客が  きゃっ  と小さな悲鳴をあげて身を引いた。

有島がそのお客に対して、すまなさそうに会釈してからは、普通に連れの男性と会話を続けていた。

何やら日本語ではない言語だ。  少し女性が酔ったためかフラついたら相手の男性は「大丈夫?」ととれる何かを呟いた。

女性もそれに応え、座り直した。

そして男性は、女性に「飲み過ぎだ」みたいな感じの言葉を発してから「アラッソヨ?」と女性を指差して言った。

アラッソヨ  とは韓国語で「わかったか?理解できたか?」の意味であるのは本木氏には判ずる事ができた。

本木氏と有島の隣に座している客は韓国人だった事が本木氏には漸くわかった。

本木氏は、随分気持ちが悪くなった。

今までの有島の話に付加し、隣席の韓国人に対しても大きな要因を占めていた。

えてして、本木氏は閉口した。

 

(六)

 

本木氏と有島が店を出たのは、11時半頃だった。

有島は、その後も在日韓国人に友達がいるだの、在日韓国人に日本から出ていけと言うのは差別だからそういう事を平気で言う日本人は恥知らずだのさんざっぱら管(本木氏にとっては)を巻き続けた。

しかし、話の最後で「日本はいつまでも在日米軍にお世話になっていてはいけない。日本が正規の軍隊を持って、在日米軍をとっとと日本から追い出すべきだ」と啖呵をきった。

有島との会話で、唯一同調できる点は、本木氏にとってはその一点だけだった。

自衛隊が国軍となる、、それは長い間アメリカの傘下に甘んじている日本にとっての自立心の第一歩になると信じて疑わないからだ。

有島にとっては、沖縄県民が在日米軍による婦女暴行やオスプレイの騒音、危険性を除去したい考えから成るひとつの結論付けだと思うが、本木氏は、日本が軍隊を持つ  という有島の主張だけは自分と意見が合致するので、そこだけは素直に認めた。

半ば、討論会のようになってしまったにも拘わらず、別れる時の有島の顔は妙にほころんでいた。

別れ際に「今日は君に会えて、いろいろ話ができて実に楽しかったよ。久しぶりに良い気持ちにさせてもらったよ。ありがとう」

と本木氏に握手まで求めてきたのに、本木氏も笑顔で応えるほか術なかった。

其の実、有島は単なるお花畑日本人であって、韓国や中国のように真から日本という国を憎んでいるわけではないのだ。

ただ、2670余年続く日本国家についての認識が若干足りないだけなのだと。

本木氏も、日本の歴史的真実を頭から爪先まですべて知っているわけではないが、今日本が危機に瀕している  という事実からは目を逸らせないでいる。

そういう意味では、本木氏も純粋だが、有島も果たして純粋なのだろうか......?

 

宵も深まり、電柱に寄りかかって空を見上げた。

いつの間にか沛然の雨は、なりを潜めて上空には厚い真っ白な雲が漂うばかりである。

いつまた降り出すかしれない空模様に、本木氏は酔歩蹣跚(すいほまんさん)たる足取りで、駅の方へと歩き出した。

そして、電車の中で、今書いている探偵物をきっぱりと打ち切り、違うものを気持ちを新たに書いてみたいとの想いが、一層強くなった。

高田馬場駅を過ぎたところで、窓にぽつりぽつり、雨雫が吹き出物のように本木氏の目に映じた。

ふと、本木氏は手元の傘を確認した。

あの居酒屋にもしや忘れてきてはしまいかと、少し不安になり。

 

 

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如何でしたでしょうか...❔💦

『梅雨時』に続いての拙作を最後まで読んで下さった方に、本当に感謝を申し上げます。m(_ _)m 

日本には、北朝鮮は悪いけど韓国は違う  という誤った風潮やマスゴミによる情報操作が一般国民に認識されています。

本当の、真実の歴史というものは、もっと根深いところにあると思うのです。

我が国を攻撃、批判する特亜3国(中国、韓国、北朝鮮)は、言わずもがな悪いですが、それを上回る最も危険な存在とは、日本という由緒正しき国に生をうけながら、真実に向き合おうともせず間違った認識を鵜呑みにしているお花畑日本人  だと僕は切実に思います。

そこのところを、日本人のアイデンティティを認識、取り戻す前提のもと、日本国民は深く考えていかねばならないのではないでしょうか......。

 

今回も終わりまで読んで下さり、ありがとうございました。

 

                                 @2677/ 8/ 1 / 草稿